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失恋で傷んだ心に、どんな薬を処方しようか

失恋をした時、みなさんどのように乗り越えているのだろう?

きっと人それぞれだし、その時々の状況により、傷んだ心にどんな処方箋を出してあげるかを検討する必要があるのだろう。

去年、この恋はもう無理だ、諦めた方が良い。
そう気づいたものの、どうすれば良いのかわからなかった。
あまりにも辛すぎて、何をしても気が紛れることはなく、お手上げ状態だった。

なんせ、こんなにも誰かを好きになったことがなかったから。

ずっと家にいると、あんなに楽しい日々を過ごしていたのに。私のどこがダメだったのだろう、とネガティブな思考が止まらなくなる。

外に出ても、ふいに好きな人と楽しく話していたものを目に留めては辛くなってしまう。

街に溢れるあらゆるものが地雷となり、それらを踏むたびにまたネガティブ思考が止まらなくなってしまっていた。

友人に相談すると、「次いこ次!もっと素敵な人見つかるよ!」と言われ、半強制的にマッチングアプリを登録させられたりもした。

まぁ前からアプリが気になってはいたし、ゆるくやってみるか。
そう思い、2週間ほどやってみた。

2,3人メッセージのやりとりをし、1人だけ食事に行った。

だけど全く気が乗らなかった。
メッセージひとつでも、好きな人ならもっとこう知的で丁寧な返信をくれただろうな、と想像し、比較してしまう。

一度だけ行った食事も、相手のすべての言動を好きな人と比べてしまい、結局好きな人のことが好きなのだと確信しただけの時間となってしまった。

その帰り道、夜風のつめたさと共に悲しくなり、こっそりと泣きながら帰宅した。

その日以来、今の状態ではすぐに誰かを好きになるのは難しく、真剣であればあるほど、マッチした相手に失礼だと感じ、一旦アプリは辞めた。

はい、この人とは終わった!忘れた!次いこ次!
そんな風にサクッと切り替えて好きな人への想いを断ち切ることはできないのだと知った。

好きな男への想いを別の男で紛らわせることは失恋後すぐは不可能らしい。
さて、次はどうしようか。また悩んだ。

毎日情緒が不安定すぎた。
ある日は「せめて友達でいてほしかった」と嘆き、
またある日は「なんで私があんなひどい扱いされなければならなかったの」と苛立つ日もあった。

苛立った日は、あんなひどい人のことはもう知らん。きらいだ。
そう思うこともあり、相手の悪いところを脳内で列挙させてみたりしたけど、結局そんなことしてもなんだか惨めになるだけだった。

相変わらず自分のダメなところを考え続ける日々が続いたけれど、じっと耐えた。考えずにはいられなかった。

眠れない日も続いたし、何度好きな人を想って枕を濡らせる夜があったことか。
私、こんなに恋愛にのめり込める人だったんだなぁなんて新しい自分に気づいたりもした。

とにかく3ヶ月ほど、完全に気を紛らわせたり、忘れたりすることはできなかったので、もうこうなると自分の気の済むまで考えればいいやと思った。

もうあれこれ処方箋を出してみることはやめにして、自然治癒で挑んでやろうと。

要するに、時の流れに身を任せたのだ。
なんの面白みもなく、遠回りで時間はかかるけれど、こうするしかなかった。

彼のことがとても好きだったからこそ、吹っ切れるまではまだ想っていよう。
どうせいつかは記憶も薄れる。だから、せめて今だけは。

先ほど自然治癒で挑むと言ったが、いま思えばこの方法もある意味治療薬なのかもしれない。



それから数ヶ月経ったある日、ある小説にとても共感した。

恋の終わらせ方について、山田詠美さんの短編小説『放課後の音符』内の「Red Zone」というお話でこんな文章があった。

「恋の結着をつけるって、大切なことだ。私たち女の子は、前の恋をきちんと終わりにしないと次の恋に進めない。ー(中略)ーめめしい思いを残したままでは、次のお相手になんだか悪い気がする。」

「決着」でなく、「結着」という言葉が印象的だった。
相手と白黒つける必要はなく、自分の中で想い出を昇華して終わりにすれば良い、そんな風に捉えられた。

また、結着のつけ方については以下のように語られている。

「一番簡単なのは、相手の男の子を大嫌いになること。でも、これって問題だ。だって、今まで、その男の子に夢中になっていた自分も否定しなくてはならなくなるのだもの。」

まさにそう。好きだった人の嫌な部分を挙げ、あんなひどい人と関係を切れてよかったなんて思うのはまた辛かった。

自分の見る目がなかったのだ。最終的にそんな結論に至り、自分を否定することになるから。

そして以下のようにも語られている。

「時間をたよりにする方法ってのもある。苦しかったり、悔しかったり、悲しかったり色々な感情が心の中を行ったり来たりするままにまかせて、じっと待つ。心を痛めつける感情の糸が絡み合っているのを時間の河に流してあげるのだ。そうすると、段々、そういうものがほどけて行く。そうすると、大好きな男の子は、かつて大好きだったただの人になる。」

この文章が、すとんと腑に落ちた。
あぁ、シンプルに時の流れに身を任せることに決めたのは最適解だったかもな、と。

私の場合、無理に好きな人を忘れようとせず、自分の気が済むまで、想いたければ想えば良いし、自分の直すべきところを考えようと決めた。

自分の欠点と向き合うことは悪くない。
改めて欠点の多さに頭を抱えたくなるが、まだそれだけ素敵な人間になるための伸び代があるということだ。
欠点を少しでも潰していけば、確実に人として成長できる。

当時この世の終わりかのように気が沈んだことも、今となれば良い経験だったかもしれない。
そんな気がするし、たしかに辛かった日々のことを、私の都合の良い頭は徐々に忘れかけている。

自分のなんとなく行き着いた結論が、別の誰かの美しい言葉によって代弁されていることがまた、心の救いとなった。
まさか、たまたま読んでみた小説にこんなに感銘を受けるなんて。

今はまだ、好きだった人は私の中でどこか特別な存在である。

それが、「かつて大好きだったただの人」になる日まで、
あぁあんなに辛いこともあったけどそんなことどうでもいいくらい今がしあわせ。
そう笑って話せるような日がやってくるまで、もう少し時の流れに身をまかせてみようか。

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