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そもそも”白ワイン革命”って、なに?

Vol.017
今回は、近年に整ったイタリアのワイン造りの話をします。いま、日常的に楽しんでいるイタリアワインは、実は、ほんの50年前に起こった”革命”を経て生まれたのです。

ワインのビッグヒストリーでいえば、紀元前6000年前に遡ります。いまでいう、南コーカサス地域のジョージアで、自然発酵によってワインができました。紀元前2000年ごろには、ギリシアやイタリア中部などでワインが発祥します。これも、自然酵母で造られたワインです。

ルネッサンスのころに、イタリアからフランスにワイン造りが伝播され、フランスやイタリアのワイン造りの基盤が整った、というのが大胆なビッグヒストリーです。

一気に、ときは1960年代。イタリアからフランスにワイン造りを伝授した反対の事態が起こりました。つまり、問題意識を抱えたイタリアのワイン醸造家たちが、フランスのブルゴーニュやボルドーに醸造法やブドウ栽培などを学びにいったのです。

端的に目的をいえば、イタリアのワイン醸造の劣化を改善するため。古いワイン造りの価値観から、新しい時代のワイン造りへの転換です。
イタリアは1960年代ごろまで、大量にワインを消費していました。水よりもワインの値段が安いから飲まれていた、という伝説もあります。大量の需要にこたえるには、大量の生産が必要。その結果、何種類ものブドウを混ぜて醸造し、ワインの生産量を増やしたのです。黒ブドウだけではなく、白ブドウも混ぜて造る、という状況。品質は、度外視されていました。

ここからが本題。
1960~70年代、フランスを訪れたイタリア人の造り手は、ピエモンテ州のガイアさんや、トスカーナ州のアンティノーリさんなど、世界に知られる伝統的なワイナリーの名士です。彼らも同時代に、赤ワインで”革命”を起こします。これについては、追って“ディアリオ ヴィーノサローネ”でお話します。

一方、白ワインの造り手としてフランスに渡ったのが、フリウリ・ヴェネツィア・ジューリア州にワイナリーを構える、マリオ・スキオペットさんです。現地、ブルゴーニュで学んだことは、単一品種で造る品質の高いワイン。
帰国後は、それまでフリウリで行っていた、ブドウを何種類も混ぜる醸造を改め、単一品種による白ワイン造りをはじめました。これが、“白ワイン革命”です。

単一品種のブドウによる醸造は、ブドウの香りや味わい、ブドウの木を植えた土壌の個性がはっきりと影響します。ワインは、自然のなかで育む作物の成果であり、単一品種から生まれる味わいや香り、テロワールの個性を堪能するという、品質を重視した新しいワインの時代を迎えました。
そんな”白ワイン革命”の先頭に立ったのが、マリオ・スキオペットさんなのです。

下の写真をみてください。
ヴィーノサローネのインスタグラムや、ベイスのネットショップにも写真を掲載しました。1960年代に撮影した写真のようです。
重要なワインの造り手を紹介します。

写真提供/ワインウェイヴ

左から2番目の紳士が、トスカーナの銘醸ワイナリー「アンティノーリ」のピエロ・アンティノーリさん。同ワイナリーの『ティニャネッロ』を1970年代に造り、一躍世界的に有名になったスーパー・タスカンを代表する人物。

4番目の方が、フランチャコルタの第一人者「カ・デル・ボスコ」のオーナー、マウリツィオ・ザネッラさん。彼もフランスでワイン醸造を学びました。

その隣が、マリオ・スキオペットさん。ステッキを持った、堂々とした風格です。

おふたり飛んで後方が、トスカーナ州モンテプルチアーノのワインを世界に知らしめた、フルボディの『ブルネッロ・デイ・モンタルチーノ』を造るワイナリー、「ビオンディ・サンティ」のヤコポ・ビオンディ・サンティさん。

そして、スーパー・タスカンといえば、やはり『サッシカイア』。『サッシカイア』のオーナー、ニコロ・インチーザ・デッラ・ロケッタさん。

最後が“ワインの女王”と呼ばれる『バルバレスコ』を育て上げ、ピエモンテ随一の銘醸ワイナリーに君臨する「ガイア」のオーナーである、アンジェロ・ガイアさん。

錚々たるメンバーのなかにいるマリオ・スキオペットさんこそ、“白ワインの革命児”なのです。

次回の“ディアリオ ヴィーノサローネ”に続きます。


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