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お盆の由来と親の愛〜飢餓感は脳の錯覚かもしれない〜

こんばんは。Vinoです。
はじめましての方へ。

今日からお盆ですね。

7月のお盆より8月のお盆の時期に仕事をお休みされる方が多いので、8月のお盆の方が一般的なイメージです。

元々は、旧暦の7月15日頃に行われる「盂蘭盆会(ウラボンエ)」という先祖供養の儀式のことで、日本古来の信仰と仏教が結びついたものらしいです。

ちなみに、サンスクリット語のウラバンナ音訳で「逆さまに吊るされた苦しみ」という意味だそうです。

お盆の語源がサンスクリット語から来ていたとは、驚きました。
その意味も「逆さまに吊るされた苦しみ」って、なかなかハードな感じです。

語源をたどっていくと、地獄に堕ちて苦しんでいる霊を供養するためという意味合いが強いようです。

お釈迦様の弟子の1人の母親が、托鉢にきた自分の子供ばかり食べ物を与え他には与えないという、慳貪の罪というのを犯して餓鬼道で逆さ吊りにされたそうです。

なかなか助けられずにいましたが、その弟子が他の僧侶にも寝食を与えた結果、ついに母は救われたそうです。

母が子に対して想う気持ちすら罪になるって、なかなか厳しいですね。

自分で選んで仏門に入った我が子といえども、托鉢に来たら、少しでも多く食べ物を与えてあげたいと想うのは、仕方のないことだとしても、他の僧侶に分けてあげなかったのは、まずかったのでしょう。

自分たちさえ良ければ良いという気持ち、少しでも得したい欲は、人間、大なり小なりあると思います。

その欲に振り回されず、理性を持って自分を制していくことの大切さを感じました。

人間も種を守る本能があるはずなので、理性が未熟であれば自分の欲に振り回されてしまいます。

幼い子供は理性が未熟な為、右手にバナナを握りしめているのに、それを食べる前に次のバナナが目の前に来たら、それも掴もうとします。

おまけに両手でバナナを掴むけど、掴んで満足して食べないこともあります。

これがサルなどの動物であれば食べちゃうのでしょう。

しかし、人間は不思議なものでお腹が空いているわけではないのに、目が欲しいと欲張ってしまいます。

その背景には、もう手に入らないかもしれないという飢餓感があって、こういう時、飢餓を避けるための脳の仕組みが理性を乗っ取ってしまっています。

原始時代は食糧を得るのには不確定要素が大きく影響していましたが、現代に暮らす人々は、原始時代に比べたら食糧を手にするのは簡単です。

飢餓感はある意味、脳の錯覚かもしれません。

今の自分があるのは、自分の力だけでなく、誰かのお陰で自分は存在出来ているのだと、真摯な気持ちでご先祖様に手を合わせたら、少しは飢餓感や空虚感も和らぐかもしれないなぁと思いました。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

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