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ホーチミン

私の最後の望みは、我が全党・全人民が団結して奮闘し、平和・統一・独立・民主・富強のベトナム国家を建設して、世界の革命事業に、その名に恥じない貢献をすることである。【我が民族は英雄:ホーチミン主席の遺書】

 自分は、ホー伯父さんの後継者を志している。かつて、ソクラテスの後を継いだプラトン・アリストテレス、孔子の後を継いだ孟子・荀子などのように、その偉業・遺訓・遺徳等を学び受け継いで、先師と並んで、いや、先師以上に、徳業を高めていきたい。論語にこうある、

「師はこう言った、「仁に当たっては、師に譲らなくてもよい。」【論語 衛霊公 15:35】

 最高にして至難の徳目である「仁」を成し遂げるに当たっては、「師」に譲る必要は無いのだ。そして、「師」には、三つの意味がある。それは、

①教え導く人(師匠)、または、手本となる人(師範)→『伝統 ⇒ 偏執』
②多くの人々が集まる場所(京師)         →『多勢 ⇒ 常識』
③軍隊(師団)                  →『戦争 ⇒ 死期』

 荀子にもこうある、

「青は藍より出でて、藍より青し」【荀子 勧学 1:1】

 自分は、先師達を仰いでは、確りと誠心誠意・全身全霊で学び受け継いで、その遺徳を越える徳業を成し遂げたい。

 ホー伯父さんも、そんな先師達の中の一人の御方である。自分(現実の主人格)と自分達(夢の中で発生した各副人格)は、ホー小父さんに対する、特別な思い入れ、そして、忠誠心と誓約を懐いている。今の現代社会では、「忠烈」や「報恩」などの道徳は、滅多に存在せず、死語となりつつあるものの、自分自身にとって、これらが人生の目的・存在の使命である。昔、主君の為に決死の覚悟をした刺客「予譲」は、このような名言を遺した、

「志ある士は己を知ってくれる者の為に死に、女は己を喜ぶ者のために容姿を飾るのだ。」(主君への報恩の為の復讐を誓った時の言葉)
「明君は人の美点を覆い隠さず、忠臣は名節の為に身命を投げ出す義を持っている。」(暗殺が失敗し死刑にされる前に語った時の言葉)【史記 刺客列伝 26:2】

 自分は、生涯を掛けて、誠なる『忠君愛国』を実現したい。愛と言えば「恋愛」や「家族」について、多く言われているが、「友情」「仕事」等、そして、「先師」「国父」「国家」についても、言われるようになって欲しい。

 一度会ったことすらも無い死者への愛は、究極の片思いであり、狂気の妄想であろう。しかし、それが至誠なものになれば、それもまた、立派な愛ではなかろうか?

 ホー伯父さんと自分(現実の主人格)の関係は、死者と生者の関係、正に自分の一方的で、究極の片思いである。決して報われることも、両想いになることも無い。しかし、逆に考えれば、ホー小父さんが生きていた頃は、ホー小父さんと自分(現実の主人格)の関係は、存在する者と存在しない者の関係でもあったのだ。ホー小父さんは、後世に、己の志と念を、伝え遺して、学び受け継いで欲しかったに違いない。自分は、そう信じている。それは、孔子と周公旦や文武・堯舜(古代の聖人達)、そして、ソクラテスやプラトン・アリストテレス、孔子と孟子・荀子のように。中庸にこうある、

徳性を尊んで、問い学ぶ道を人道として、広大な見識に致(いた)り、精微に物を研究し尽くして、高明ぶりを極めながらも、中庸の道を行って、故(ししゃ)を温(あたた)めて知(かこ)を新(あたら)しくし、敦厚(とんこう)を以て、礼を崇(とうと)ぶことである。【中庸】

 自分(現実の主人格)だけでも、ホー伯父さんが現れる夢や幻を、何度も何度も見た。自分は考えたのだ。恋愛が「性欲」(本能)に基づくのであれば、忠誠は何に基づくのか?そして、自分は、個人的な結論を出した。それは、「温故」(幻夢)に基づくのだ、という結論を出した。

 そして、「性欲」(本能)を「純愛」(決心)へと変えていくように、「温故」(幻夢)も「知新」(現実)へと変えていかなければならない、と自分は悟った。「天命」を知って、「人道」を為していくように。

 今の拙作にして処女作である『愛国心 伯胡への書簡集』でも、このように書いた、

 そして8/8の夜に、自室で、現在と未来について、物思いに耽(ふけ)っていると、幼少期から深く敬愛している伯(バク)胡(ホー)(Bác Hồ。ホー・チ・ミンの敬称)と共に、上空にまで及ぶ高山に登って、二人で一緒に、快晴の青空・清涼な風・広大な山々・大地・大海等の美景を眺望する、という幻覚を見た。そして伯(バク)胡(ホー)は、自分に次のような詩を送った。(解題 p4)
1. Có bông hoa không bao giờ nở. Vậy sao lại biết đó là bông hoa?
1.決して咲かない花が在る。ならば、なぜそれが花であると、知っているのだろうか?
2. Nơi không bao giờ có ai đến. Vậy sao lại biết có nơi đó?
2.誰も行ったことが無い場所。ならば、なぜその場所を知っているのだろうか?
3. Đã qua không phải là sự kết thúc hoàn toàn.
3.過ぎたということは、完全に終わったということではない。
4. Đã đến không phải là sự bắt đầu thật sự.
4.着いたということは、本当に始まったということではない。
5. Thiên địa mênh mông. Nhưng chỉ có Thiên mới là vĩnh viễn.
5.天地は広々としている。だが、ただ天のみが永遠である。
6. Vô hưu hiển nhiên. Nhưng chỉ có vô mới là chân thật.
6.有無は明らかである。だが、ただ無のみが信実である。
7. Quay lại rồi ấp, dừng lại rồi yên, tiến lên rồi nối.
7.戻っては育み、止まっては静まり、進んでは繋げる。
8. Ấp là bác học, yên là trung hanh, nối là vận mệnh.
8.育むことは博学であり、静まることは中行であり、繋げることは運命である。
9. Mỗi một hơi thở là mỗi một bước gần đến sự chết.
9.一つ一つの気息は、死への一歩一歩である。
10. Mỗi một ý thức là mỗi một bước gần đến sự sống.
10.一つ一つの意識は、生への一歩一歩である。(解題 p4~p5)

 仕事による多忙と、それによる研究・思案・執筆の時間の減少や、自省・自責・自戒のために、出版予定を来年に延期した。この作品は、自分が築く哲学体系の第一作目である。確りと書き、そして、ホー伯父さんの後継者になる志を、誠なるものにして、天に誓約し、世に公表する。中庸にこうある、

誠は天の道なり。之を誠にするのが、人の道である。

01_愛国心(表紙)_001

01_愛国心(完成版)-1

01_愛国心(完成版)-2


ありがとうございます。心より感謝を申し上げます。