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パスしないとパスはこない

競技人口世界一のスポーツ



先日、タイ人やラオス人のスポーツ観ついてこのようなポストしました。好きなスポーツというのはもちろん個々人で異なるとは思いますが、国単位で特色があり興味深いものがあります。

タイの女性は日焼けをかなり嫌がります。肌が黒いことは炎天下で従事する肉体労働者や貧乏人のイメージがあり、反対に肌が白い人は清潔、お金持ちというイメージがあるためです。そのためタイ人女性の好きなスポーツは日焼けしないバレーボールが多いのだと思います。またポストに対してタイの田舎(イサーン)ではバドミントンが人気だという返信もありました。これも日焼けしないインドアスポーツです。

世界全体で人気のスポーツをインターネットで調べたところ下記のような結果でした(競技人口です)

スポーツ競技人口ランキング世界TOP5
1位:バレーボール       約5億人
2位:バスケットボール  約4億5000万人
3位:卓球                         約3億人
4位:クリケット             約3億人
5位:サッカー                 約2億6000万人

参照:スポスル https://sposuru.com/contents/sports-trivia/popular-sports/

世界全体での競技人口ランキングを見てみるとポストでも述べた通り、1位だったバレーボールは個人的に意外な結果です。また卓球とクリケットについては人口が多い国で支持されているスポーツであるから高順位につけていると考えられます。卓球は中国、クリケットはイギリス発祥ですが大英帝国時代にイギリスの植民地に広まったスポーツとされていて、インドが競技人口を牽引しているのでしょう。

さらに日本では毎日のように報道されている野球がランクインしていません。調べてみると野球が人気である国はアメリカ、日本、韓国、台湾など限定的だということがわかります。

人気スポーツの共通点

人気スポーツの共通点は何でしょうか。私は下記の条件だと考えます。

①球技であること
②パスが多用されること
③ボールを敵陣(ゴール)に移動させると得点になる

シンプルですがなかなか的を射ている条件だと思いませんか。スポーツの定義はいろいろあるのかもしれませんが、陸上や水泳、空手やフェンシングなどボールを使わないスポーツは概してメジャーとはいえません。そして、パスがないスポーツは球技であってもメジャーではありません。例えばゴルフ、テニスなどが挙げられます。敵陣(ゴール)にボールを入れると得点することも重要な要素になりますが、そもそも自陣・敵陣の区分けがないスポーツは総じて競技人口ランキングの上位にありません。

※メジャーかどうかはスポーツ競技人口ランキング世界TOP5で判断

みんなボールゲームが好き

なぜみんな球技が好きなんでしょうか。小さい頃、多くの子供がボールゲームに夢中になります。その熱狂は大人になっても継続され、たとえプレイヤーでなくてもオーディエンスとして参加します。

それはパスすることが楽しいからだと思います。そしてパスするのに都合がいいのが丸い形状だということです。おそらく太古のサッカーはヤシの実とか奴隷の頭蓋骨とかを使っていたのではないかと思います。もしボールが四角形のものだったとしたら蹴っても転がらないためパスもうまくいきませんし、投げるにしても丸い物より投げづらいため採用されなかったのでしょう。

相手に危害を与えることの他に球技ではやってはいけない共通事項があるとするならば、それはボールを保持し続けることです。例えばボールをずっと持っていたあげく相手に囲まれボールを奪われる、そういう場面に味方選手や観客は苛立ちを覚えます。また多くの球技でサーブをするまでの時間(ボールを保持できる)が決まっているのはなぜなんでしょうか。サッカーのオフサイドなど、球技にはパスを多用させるためのルールが散見されます。

また球技にはサービスエースという相手が返球できないサーブを打つことで得点をもたらすプレーがあります。速いサーブやテクニカルなサーブで得点することは戦いを大きく有利にしますし、歓声も沸き上がます。しかし、サービスエースのみで構成された試合を私たちは見たいと思うでしょうか。私たちが見たいのは多彩で華麗なパス回しであったり、必死で拾い上げ繋がるラリーではないでしょうか。

パスしないとパスはこない

ボールを保持し続ける者には何か悪いことが起こることは先に述べた通りです。これはボールに限った話ではありません。

おもちゃを独り占めしてしまう子供は新しいおもちゃが手に入らないだけでなく、他の子供たちから嫌われて相手にしてもらえなくなります。新入社員が悪い報告を上司にしないまま(保持し続け)時間が過ぎると何が起こるかは明白です。市長や議員には任期があることはなぜなんでしょうか。たとえ聡明で優秀な人でさえ、権力というものを長期間保持すると不正に走ってしまうことを人は過去から学んで知っているからです。

経済悪化の原因の一つにタンス預金があるなど、保持、独占、貯蔵することで何か悪いことが起こる例は枚挙にいとまがありません。

これら悪いことを未然に防ぐ方法はただ一つ、「パスをする」ことです。おもちゃを貸す、報告連絡相談をする、次世代に座席を譲る、お金を使って経済を回す、これらは全てパスすることに他なりません。

手元にあるものを躊躇せずに次の人にパスして渡す、これが楽しく感じるようにDNAレベルで刻み込まれている、だから私たちはボールゲームが好きなんだと思います。

ハウ

誕生日、クリスマス、バレンタインなど人気のイベントに共通することは誰かにプレゼントするということです。お中元もお歳暮も昔から絶えず続いている文化ですが、そこには贈り物があります。

贈り物が付随するイベントが途切れないのは、贈り物をもらった人は返礼するからです。何かもらったら、何かを贈らないと気が済まないし、何もしないのはなんだか居心地が悪いからです。返礼する贈り物はお金でも物でも情報、知識、何でもいい、それに贈る宛先はもらった相手じゃなくてもいい。

ギフテッドという言葉をここ数年でよく聞くようになりました。同世代の子供と比較して、突出した能力(知性など)を持っている子供を意味します。その語源は贈り物を意味する英語の「ギフト」 から来ています。日本でも「天賦の才」と表現するように神(天)から授かった贈り物としています。

「神童も二十歳過ぎればただの人」という言葉があります。幼児期の天才が成長するにつれ普通になってしまうことを表したものですが、その理由はたいてい教育のせいにされています。私はそうは思いません。きっと神童は「天賦の才」という贈り物を誰のためにも使わず(他者へ贈り物をせず)に自分のために使った(独占した)結末ではないかと思います。

だから親などが神童に教える必要があるのは才能を維持するための教育だけではなく、そのギフトを他者のために使うべきだということではないでしょうか。

男子元陸上競技選手の為末さんが以前「贈与論」についてポストしていました。このモースの「贈与論」は大変面白い本なので一読する価値があります。

ポストで言及している、ニュージーランドのマオリ族の「ハウ」というシステムは贈与を継続するための根幹をなしています。為末さんも説明していますが、内容を加えて説明すると下記のようなことです。

私は誰かから贈り物をもらい、それを誰か別の人に贈ったとします。
今度は逆に、贈り物をした相手から返礼として何か別の物を贈られたとしたら、それは私が贈った贈り物の霊であり、それを「ハウ」と呼びます。
その「ハウ」は、私が贈った物の霊であるのと同時に、私が初めにもらった贈り物の霊でもあるので、それは私の手元に止めておいてはならず、最初に私に贈り物をしてくれた人に遡って返さなくてはいけないものとされます。
もしそれを私のために手元に取っておくならば、それは災厄をもたらすことになります。

一言でいうならば「悪いことが起きるから何かをもらったら返礼しろ」ということです。ちなみにタイ語で贈り物をของขวัญ(コンクワン)といい、ของは物、ขวัญは魂を意味します。タイ語(この単語)を作った人は贈り物について熟知している、本質を見抜いているんだと大きく感心しました。

「ハウ」システムを守ることは、私たちがパスをするのは、贈り物をするのは多くの人を結びつけ、共同体を作る、つなげるための人間の英知ではないかと思います。一度切れた縁をつなげることは難しい、だから縁が切れてしまわないように、次なる運動を生み出すために、私たちは手元にあるものをパスします。

挨拶しない自由

先日、挨拶には「挨拶をしない自由」があるとを主張している方をXで見ました。なるほど、「挨拶をしない自由」というのはあるんだろうと思います。

私たち生まれたときから贈与と返礼のサイクルに巻き込まれていて、そのサイクルが順調に機能している限り、その共同体では人間的な生活を送ることが保証されています。

だから挨拶をされても返答しない自由を行使する、つまり受け取るだけでパスをしない人は徐々に贈与と返礼のサイクルの隅に追いやられ、挙句の果てにはパスが来ないところにたどり着きます。その人宛の贈り物はもう誰からも届かない。人は一人では生きれないのだから、それは死活問題だと私は思います。

返答をしないことは「あなたには価値がない」といっているのと同義です。だから無視されると人は傷つくのです。無視するそんな人にはもう二度と挨拶したくないでしょう。

ゴールとは贈り物

長くなりましたが球技の話に戻りたいと思います。人気スポーツの条件にあったゴールについてです。球技においてのゴールとは相手への贈り物を意味します。贈り物をもらった場合はお返しをしないといけません。そのお返しができなければそのチームは負ける、それがボールゲーム です。

なぜオウンゴールがダメなのか、それもゴールが贈り物だからということで説明ができます。もし自陣のゴールにボールを入れることで得点できる球技があるのであれば、誰もやらないし誰も見ません。だって面白くないからです。

冒頭で記載したスポーツ競技人口ランキング世界TOP5に野球がない理由もわかりました。日本では毎日のようにテレビなどで取り上げられる野球がなぜ、限られた国でしか人気がないのか。キャッチボールをする人口は多いはと思いますが、野球には相手に贈り物を贈る行為がありません。

野球ルールを変えてみよう

野球はバッターがホームから一塁、二塁、三塁へ移動し、最終ホームへ帰ることで得点を得ることができます。

バッターは相手からのボールを打ち返し、ランナーとして出塁します。ボール(グローブに包まれた)に触れるとランナーはアウトになります。野球ではセーフは生存を意味し、アウトは死ぬこと意味します。3アウト(3死)すると攻守が変更になります。

また野球では得点を得るために、バッターがわざと死ぬ戦略があります。それが犠牲バント、犠牲フライというものです。そうした戦略・戦術を駆使し、ランナーは塁を進め、ホームを狙います。

以上簡単な野球の説明ですが、もう明らかに「戦争」なんです。おそらく一塁〜三塁は敵の基地でボールは兵器で、危機的状況をなんとか回避して脱してHOME IN(自陣に帰る)すると勝つ、そういう戦争ゲームです。プロ野球チームには巨人軍という軍隊もいることからも明らかです。

野球が海外から日本へ伝わった時、日本人はひと目でこれは戦争ゲームだと直感したのではないでしょうか。だから野球用語を作ったときには戦争をイメージするものが多く採用されたのだと思います。

なぜ日本で野球が人気なのかはわかりませんが、戦争が頭をよぎるスポーツを多くの国が採用するとは思えません。だから野球は競技人口ランキング上位に入らなかったと結論付けたいと思います。

ではどうしたら、野球が人気になるのか。それは敵へ贈り物をしたときに得点が入るようにしたら良いはずです。例えば、ホームへ返ってきたランナーは自陣のベンチではなく相手のベンチに行く。つまり相手のベンチに無事に選手を贈ったとき、得点が入る。相手は選手をもらったことで返礼義務を負い、。これで野球は人気になるはずです、きっと。






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