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何十着も持っているのに。なんで今日着たい服がないの?

「クローゼットを開けると、春夏の服だけでも数十着がずらっと並んでいる。でも。今朝は服を選ぶのに随分と時間がかかってしまった。

ありすぎるから困るのではない。

着たい服がない。

今年の春に買ったお気に入りの上着を着たいけど、ボトムが去年のものだとなんだかちぐはぐ。ぴったりのボトムはおととい着てしまった。1週間の中で同じ服を着るのは嫌・・・」

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私たちを悩ます「服」問題。最近では地球のためのミニマルな暮らしが提示されて、服を捨てることも心苦しいのに、新しい服を買わないと気分よく一日をスタートできそうにない・・・。そんな悩みを抱えている人もいるのではないでしょうか。

そもそもわたしたちはなぜ、こんなにもたくさんの服を必要とするようになったのでしょうか。何かを我慢するのではない快適な服選びはどうすればよいのでしょうか。


まずはファッションの裏側を知ること。

私たちは服を選ぶとき、良い悪いに関わらず常にその時の流行を意識させられています。流行りの服を選ぶことは時に楽しいことでもあり、時に煩わしさを感じることでもあります。

「人はなぜ服を着るのか」の著者、鷲田清一さんがその本の中で流行について、「よいから流行るのではなく、流行るからよい」「ただ前のシーズンと異なるということだけが重要なのである。」と書いています。

貨幣経済の中で流行を作ることは、常に消費者に新しいものを買いたい衝動を与えるためには必須だったということですね。

ただその流行を作り続け人々を煽り続けた結果、繊維産業は石油産業についで世界2位の環境汚染産業となり、日本国内だけでも年間で100万トン、なんと33億着もの服が捨てられる大量消費文化を生み出してしまいました。

服を買っても買っても心が満たされないのは、満たされないように仕向けた産業界に踊らされていたから。そして私たちが踊らされるたびに自然環境は汚染されていっていた・・・・

このことをはっきりと意識すると、服選びの基準が変わっていくのではないでしょうか。

流行の服→わたしを生きる服へ

今まで私たちにとっての服は、「新しい流行の服を、外に出かけるために、シーズンごとに選ぶもの」でした。

でも誰に踊らされるのでもなく自分のために、と考えていくと

「わたしらしく生きるための服を、暮らしの中で着るために、一生の相棒として選ぶもの」に変わっていくのではないでしょうか。

前述の鷲田さんは同じ本の中で、「装いとは古来から続く宇宙をより深くみずみずしく迎え入れたり、悪霊の侵入を防ぐ呪術的な意味もあった」と、プリミティブな感覚においても「衣服を着る・装う」ということは非常に意味深いものであったとも書いています。

また高度経済成長前の1960年代までは、服は自分に合わせて仕立てるものであり、繕いながら長く着続けるもの、子供の代まで受け継いでいくものという価値観がまだ残っていました。

雑誌やネットに溢れるトレンドをチェックするのではなく、自分はどんな服をなぜ着たいのか、それを着続けられるのかを考えていく。その問いは自分自身を内観する良いチャンスになるかもしれません。

ヴィフラでも、古くて新しい服の選び方を一緒に考えていきたいと思います。



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