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人間は踊らずにはいられない?踊りってなんだろう。

踊り。人類にとっては歌と同様、もっとも古くプリミティブな芸術だと言われています。でも・・・。踊りといわれても、あまり身近に感じないなぁ・・・と思う人も多いのではないでしょうか。

リゾート地やディズニーランドなどのショーの踊り、コンサートのバックダンサーや歌いながら踊るアーティストたちの踊り。確かに存在は知っていますが、踊りは観るもの、という感覚があるかもしれません。

しかし、古くは盆踊り、その後はバブル期のディスコやクラブ、カラオケなど、誰もかれもが踊ることに夢中になっていた時代も存在します。

音楽に合わせて身体を動かすこと。言ってみればそれだけのことなのですが、実は踊りは世界最古の芸術とも言われ、舞踏する人々の姿は旧石器時代の壁画にも描かれているとか。

ちょっと遠ざかってしまっている「踊る」ということ。なんだかそこにプリミティブな喜びのヒントがあるように思えます。


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自然への祈りから始まった

そもそも人はなぜ踊りはじめたのでしょうか。野生の世界では鳥や一部の動物に求愛のダンスをする種が存在しています。また子供同士のじゃれあいや遊びが踊りのように見えるものもあります。

そのような求愛・娯楽の踊りは人間にも存在しますが、もっとも古い時代に意図的に踊りを始めたのは、呪術や祈りが目的だったと言われています。

自然の猛威や飢饉などの災厄を乗り切るために、神と一体となるための旋回舞や、災いを祓うために大地を踏みしめる舞踊、天に近づくために跳躍する舞踊が世界中で行われてきたと言われています。

雨や風をまねるところから。

日本でも記述に残る踊りでは、日本神話でのアメノウズメの舞や、雨乞いが起源となる念仏踊りなど神や自然との交信手段として存在し、現在でも能楽や神楽にその要素が生きていると言われています。

踊りの原始的な表現は模倣だと言われていますが、雨のしずくや風の流れ、木々のざわめきや大空にかかる虹、さらには鳥や花や獣や魚など、自然の動きを取り入れ自然と一体となって、みずからの身体性を高めることで、インスピレーションを得るアンテナを磨いていたのかもしれません。

【画像提供・Takahumi Tanakaさん】

現代に残るプリミティブな踊り、フラ・カヒコ

ハワイの伝承的な踊りであるフラは、1970年代の復興運動のおかげで現在でも踊りのプリミティブな要素を色濃く残して存在しています。

リゾート地のショーのイメージのある「フラダンス」はアウアナと呼ばれ、現代的な音楽に合わせた魅せるための踊りです。一方、伝承的な自然や神との交信手段としての踊りは古典フラ・カヒコと呼ばれ、厳しい戒律の下で今でも踊り継がれています。

カヒコとルーツを同じくする踊りはポリネシア・南太平洋全般に見られ、ラクビーで有名になったニュージーランドのハカも同じ起源だと言われています。

言葉のない時代、自然と交信する手段として、神々の物語や伝承を覚え伝える手段として、さらには求愛や娯楽、権力者への捧げものなど様々な要素を含みながらも常に暮らしの中にフラは存在していました。

踊りの神様が降臨した、伝説のフラダンサー

今でもハワイではフラの技術を競う大会が各地で開催されますが、その中でも伝説的なカヒコ(古典フラ)と言われているのが、 2001年メリーモナーク大会でミスアロハとなったナターシャ・オダ(Nathasha Oda)さんの踊り。

踊りの神様が降臨したと思われるような、神懸かったその身体表現は、森の生き物やハワイの大地、海、空など様々な情景が浮かび、まるで壮大な物語を見ているような気持になります。

自然と一体となる手段として生み出された踊り。

踊り手の顔を見ていれば、ただそこに生きる喜びに溢れていることが伝わります。


プリミティブな喜びを取り戻して生きる、新しいライフスタイル。何かを所有するのでもなく、どこか遠くへ行くのでもなく、ただ自分の身体を使って自然と一体となることで得られる喜び。

今のわたしたちからは遠ざかっていた踊るということ。

まずは古典フラ・カヒコの世界を覗いてみて、自然の波動がそのまま伝わってくるような感覚を味わってみませんか。瞑想手段であるヨガに対して、フラは「踊る瞑想」とも言われています。

ただ息をして、そこにあるだけで生まれる喜びの感覚。掴んでみたいですね。

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