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「カメラを止めるな!」が「話題を止めるな!」になってきた。

シュッボッ。ライターのシーズン野田です。

毎週金曜日公開なのにもかかわらず「今日は金曜日!なーんもやることないなぁ〜」と公開1時間前まで悠長に過ごしてしまいます。
単純にポンコツなのです。
さて、今回もなんと「カメラを止めるな!」のネタを書こうと思います。

noteの編集部様がお気に入りにしてくれるまで「#カメラを止めるな!」をやり続けます。「カメラを止めるな!について書くのを止めるな!」の始まりです。

今回は「カメラを止めるな!」のパクリ疑惑問題に少し触れたいと思います。

「少し触れたいと思います」という部分が、自分の中の「少し」の許容なのでもう触れません。
いや、触れます。
やっぱり触れません。

すいません、若干迷ってます。というのは、自分が専門家でもなんでもないからです。
この類は法律も絡んでくるわけですので、こんなの専門家やその道に詳しい人が語るべきじゃないか?と。

それに、いろんな思考が備蓄した果てに生まれた感情摩擦だと思うので、ある部分を切り取りうんぬんかんぬん門外漢がネタ化して意見をいいたくないのです。当人同士にしかわからない、尊厳を傷つけ傷つけられる何かがきっとあったんだと思います。
ただそれを客観的に言語化し「パクリ騒動」と呼称するのも、なんかひもじい。起こった物事よりもなぜそれが起こってしまったかが重要です。ということで、暇なのでちょっとだけ想像してみようと思います。

言葉の裏側にある「サブテキスト」を。


盗作だと声をあげた和田さんは、公開当初ツイッターで「めちゃ面白かった」と褒めたたえ、それに監督が「ありがとー」と反応し、まるで友好的でした。しかし、それはツイッタのたった数文字だけの世界の話であり、結果華麗にこじれました。

和田さんがカメ止めを絶賛した裏側には「こいつまじか」という<嫌い>がきっとあったのだろうと思います。しかし、自分を落ち着かせるために、その<嫌い>を封印するために、<良い><悪い>を用いてまるで気さくなお兄さんを演じ切って見せた。
ツイートにあるように面白かったのも本当だし、嬉しかったのも本当だ。
でもでも嫌いだ。
それはたぶん自分も同じような感覚だったから勝手に想像してしまうのだけれど、和田さんの中の嫉妬心が、作品が評価されるのと比例して膨れ上がり、そもそも隠していた嫌いが建前の壁をぶち抜いてしまったのだと思う。
自分もクリエーターだからその嫉妬心はわかるが隠すことができる。
ポーカーフェイスで、負けて勝つことができるのだ。
しかし和田さんは当事者だ。
当事者が何かしらの嫉妬心で埋め尽くされると、もうそれは手に負えない。
下手な行動なる。
下手な行動とは、社会的に褒められたもんじゃない炎上作法のことだ。
それは時に脱社会化し、化け物になることすらある。
和田さんは、こうして化け物になり、われわれにはわからない言葉でカメ止めを罵ることとなった。人間のそもそもである「好き」「嫌い」がドカンとたちあらわれたのだ。周りの目なんか気にしない。
「あの時こういってたじゃん」
は全く意味をなさない。
そもそも人間に一貫性なんてないわけで、みんな一貫性がありすぎると思いすぎてる節がある。すぎすぎなのだ。

数分前までこんなこと書くつもりじゃなかったのに、気がついたらなんだかよくわからない戯言を書いている自分に到底一貫性があるとは思えない。

さて、上田監督は大変だと思う。
「パクってない!」と言い張るしかない。徹底的に理論で戦う。
周りの目を気にする立場の人間だ。
クリエーターにとって盗作は死活問題だ。
たまたま似てしまっても、見てても見てなくても、一回槍玉に上がり騒ぎ立てられたらなかなかその色を拭うことはできない。
個人的には(法律知らないから個人的にと書くが)本来パクリなんてないと思ってる。逆に言うと全てがパクリだ。
絵画だって自然の模倣じゃないか。でも自然が「お前パクったな!」と騒がないだけのもの。もしかしたら風に揺られる木々たちのざわめきが「パクるな〜」なのかもしれないけど、そのサインに我々は気がつかない。

騒ぐ人間がいて初めてパクリになるのだ。

だから、運悪く騒がれてしまった上田監督が不憫でならない気もするが、たぶん上田監督に和田さんの言うような不遜な態度があったことは事実だと思う。
「俺悪くないし」というのが本音だろう。しかし良い悪いは、好きと嫌いにかなわないのだ。
<良い、悪い>VS<好き、嫌い>。

なかなかこじれる試合である。

さて、解決策があるとするならやはり金だ。

原案者としてクレジットされてるのだから、お金は払ってあげてほしい。というか役者にも監督にもちゃんと支払われてるんだろうな?


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