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「思っていて」を考えていて

おはようございます。昼でも夜でもおはようございます。業界人のシーズン野田です。クリエイティブな会社にいながらバリバリの社会人であることには変わりないので、今回は社会人として書きたいと思います。。

大学を卒業し、社会人になって日が経ちますが、気になることが2つあります。

ひとつは、

社会人って「思ってて」って言わね??もしくは「思っていて」。

また軽率な戯言を…と思う方もおられるでしょう。

がしかし、大学卒業後、社会に放り出された自分がまず最初に感じた事が、この「思ってて」現象なのです。

例えばちょっとした会議、何気ない会話の中でその「思ってて」は軽やかに発動されます。

この話は、一回整理した方がいいと「思ってて」

自然の摂理には叶わないと「思ってて」

他人をコントロールしようとする人間はだめだと「思ってて」

ポケモンをモンスターボールに入れるのはかわいそうだと「思ってて」

近くに寄ったら遊びに来てくださいという社交辞令をいじるのは、うんざりだと「思ってて」

というように、まるで語尾に「ゲス」を付ける江戸弁よろしく、語尾に「思っていて」を付けるので、ゲシュタルト崩壊を起こしたのです。

「え?私『思ってて』って普通に使うんですけど、駄目ですか?」

だって?

なるほど。

確かに気にしなければ何気ない言い回しです。自分が「思ってて」を意識し出してからも、使う人によっては気にならないこともあります。

では、この、気になる場合と、気にならない場合の差は一体なんなのか??

おそらく、本当に前から思っていた感じがしないときの「思ってて」に、違和感を覚えるのではないかと。

「思ってて」、、というけれど、今突発的に思ったんじゃないの??

ただの思いつきに、歴史的、時間的重みを加味することで説得力を増強させ、議論をより優位に進めようとする立ち回りの姿勢が「思ってて」に込められているのではないでしょうか。

「いやいや、シーズン野田さん、あんたそれは考え過ぎだって!そんなことより僕を探して!」

と、ウォーリーならばそう諭してくるでしょう。

仰せの通り、自分の見方が穿っている部分もあるのかもしれません。でもどうしたって、この<思っててもどき>が気になって仕方がないのです。

思われニキビならぬ<思っててニキビ>で、顔中凄い事になっています。

ではなぜ、社会人に妖怪<オモッテテン>が多いのか?

おそらく、いかに責任を回避するか、いかに物事を優位に運ぶかといったマウンティングが最重要視されているからではないかと。

(極端に言えば)口八丁手八丁で、とりあえずクライアントを<握って>から考える、という様なかましの慣例が存在しているのではないかと。

それが例え本当に文字通り前から「思っていた」としても、よりそれを強調する意味合いと、優位に立つための策略がふと露見された感じがするといいますか、はい、自分の土俵に来ました、自分のターンです、とかまされた気分になって、身構えてしまうのです。

相手のリーゼントの先っぽが、自分のおでこにフェザータッチをしているような、くすぐったさというか。

自分は、その事に気がついてからは「思っていて」という言い方はしないようにしてます。

というか、そもそもそのような言い方をして来なかったんだと思います。

作品を作る事でしか、相手との対話方法がないものだから、普段の会話や立ち回りで優位に立とうとかそう言う事はほとんど考えません。

だからいつも言葉が出てきません。

優位に立ちたい人がいるなら、どうぞどうぞと、むしろ目の前に手を差し伸べてあげて生きてきました。議論で勝つとか、そんなのは本当にどうでもいいのです。

もちろん、必要以上に意味付けしているだけだとも思うし(文字通り「思っていた」人の方が多いと思うし)、みんなが使ってるから似てしまうという単純な理由がほとんどだと思います。

ただ、どっちにしろ、そういう物言いの人間が多いわけで、そういった牽制し合う文化が醸成しているんだと思います。

さて、二つ目の気になることです。

社会人って、最初に問題点の個数を言わね??

「まず考えなきゃ行けない事が二つあって」・・・みたいな言い回しです。

これが「思ってて」とダブルパンチで

「まず考えなきゃ行けない事が二つあると思ってて」

とくると、もうお手上げです。

手を上げたままそこから立ち去りたくなります。

冒頭で、自分も試しに使ってみて思いましたが、問題点ってそんな単純に何個あるとか言えなくないですか?

おそらく、簡潔さ、明快さを提示し、相手の気持ちを早めに<握る>効果があるんだと思いますが、自分の場合、こういった言い回しをされると、物事ってそんなに単純なものなのかな?と思考がそこでストップしてしまうのです。しかも二つあってと言っておきながら三つあったらどうするんだと、ヒヤヒヤする。

かといって、

「まず考えなきゃ行けない事が67個あって、一つは・・・」

なんて始められたらもちろんうんざりするのですが、複合的に、多角的に見た場合、それこそ67個くらいあるんじゃないの?

なんとなく、個数を言われると世の全てを把握してる神の御言葉の様に感じるのですが、そのテンプレートに気がついてからは「思ってて」と一緒で、どうしても身構えてしまうのです。

もちろん社会人というのは、牽制しながら戦い続けていく戦闘民族なので、その事自体を批判しているわけではないし、むしろ自分にはできない芸当なので、凄いなぁ…と思うのですが、その時点ですくなくとも自分の心は議論の本題を見失っています。

この世の中のありとあらゆる会議という会議において、一切の内容が頭に入ってきません。

その社会人用語というか、独特な言葉の営みみたいなものがどうしても気になるのです。ギャル男やビーボーイ、アッパー系、メンヘラー、オタクなど、いろいろな種族がおりますが、なるべくカテゴライズされずにいようとすると、その文化の変遷みたいなものを俯瞰で見てしまう癖が染み付いているのかもしれません。

だからもし、会議の内容が頭に入ってなくて、「あれ、そんなこといってたっけ?」というようなことを口走ったとしてもどうぞ怒らないでください。これは病気なのです。

怒られるのはいやなので、最近は覚えてるフリをするのですが、正直内心焦っています。

冒頭に二つ気になるといいましたが、他にも気になることがありましたが、もう疲れたの筆をおきます。

そうか、最初から個数を少なめに言っておけば、たくさんある問題点そのものが消えるのか!!

なんだよ、いってよ。

ようやく自分に近い写真を見つけました。ネクタイすら結べないのに社会人気取ってすいません。

じゃあの。じゃあのだ。


 

 

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