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ツムラじゃないけど笑いを科学する

どうも、シーズン野田です。

まずは、わけのわからないタイトルで不快な思いをさせてしまったこと深くお詫びいたします。「お詫びする」って言うけど、いつお詫びしに来るんだ?と思った方には輪をかけてお詫びしたい気持ちです。

さて、先日「明日のアー」という劇団が主宰しているコントのワークショップに参加しました。

笑いを科学的に考察する内容でした。まじめにバカをやる類の面白さと、自分が今までなんとなく使ってきた笑いの手法の原水をたどり「なぜ面白いのか?」を考える面白さ。引き出しの中を整理するような気持ちよさ。

まさに科学です。

さて、弊社の名前は「LAUGHTECH」。ラフをテクノロジーする会社。つまり、笑いをに科学しなければならない社名となっています。強制的に。

自然と健康を科学するのがツムラなら、笑いを科学をするのがラフテックでなのです。

ということで、毎週金曜日は<笑いを科学するシリーズ>を始めたいと思います。(ということでじゃねーし)

第1弾は、前々から気になっていた「ノリツッコミ」について考えたいと思います。実は前々から「ノリツッコミって本当は面白くないのではないか?」と思っていました。

愚問だとは思いますが、みなさんはノリツッコミを知っていますか?

ノリツッコミを調べてみると

「ボケにある程度乗っておいて、ツッコミに転じること」
あるボケに対して「そうそう、××××が●●●●してな…ってなんでやねん」というのがオーソドックスなパターン(はてぶろ)

・・・・この説明自体がすでに、なんかすべってる感じがしないでもないのですが、ようは通常のツッコミは

フリ(ボケ)⇨ウケ(ツッコミ)

で成立するところ、ノリツッコミの場合は

フリ(ボケ)⇨新たなフリ(ボケ)⇨ウケ(ツッコミ)

で完結するということです。

一端ボケを引き受けてからさらに遠心力でそのボケを振り回し投げとばす、いわばハンマー投げ的な手法です。

こう書くと立派なように見えますが、
ノリツッコミはって本当にもしろいの?(真剣30代)

ということで大雑把ではありますが考えてみます。


1、一度ボケという非常識に乗っかっておいて、やっぱりやめるその態度が許せないのかもしれない?

あなたが提案した旅行。ノリノリだった友人が、途中でいきなり

「やっぱりやめるわ」

と、急に断ってきたとします。あなたはどう思うか?きっと

「ノリノリだったじゃん!裏切り者!」

と、がっかりすることでしょう。
ノリツッコミもまた、途中までボケにノリノリで同調したツッコミがいきなり、我に返って「なんでやねん!」とつっこむあたり、確かに、旅行の例の「やっぱりやめる」酷似しています。
しかし、一つだけ違う箇所がある。それは、提案者(ボケ)が、友人(つっこみ)に対してそもそも何を期待しているのかという点です。
旅行の場合、途中でやめられることを提案者が望んでいない。
しかし、ノリツッコミの場合はボケがつっこみに対し、最終的にはその提案を否定することを望んでいます。

旅行の例の場合、提案者がイラっとするのに対し、ノリツッコミの場合は提案者がほっとするのです。
ということは、やっぱりやめるという卑怯な態度自体が枠組みの中にあるので、その態度自体が許せないということではなく、もしかしたらそもそも枠組みの中で戯れるその茶番に苦手意識があるのかもしれません。


2、ひとつのボケに対しての反応が長い?

こちらの会話ごご覧下さい。

A「あの〜、今日の報酬をいただけますか?」
B「はい、これが今日のギャラです」
A「そうそう、焼いて食べるとコリコリしてて、酒がすすむんだよな〜ってこれギアラ!!」

Bのボケに対して「これは牛の胃袋!ギアラ!」で済む話を大仰にしてツッコむしょうもなさが伺えたと思います。ギアラであることをみんながわかりきっているのにもかかわらずです。

つまり受け手(C)に「我慢を強いる」構造になっているのです。

この我慢を強いられてる間、受けては全員「もういいよ、わかってるよ」という了解で意識がつながります。
「みんなはこの時間をどう思っているのだろう?」
こんな気分させるノリツッコミを、どうして面白いと言えるのでしょうか、いや言えまい(反語)

このノリツッコミの長さを逆に利用した作品がこちらです。

一見、ネギを携帯だとノリボケ続ける、純度の高いノリツッコミのようにみえます。
しかしこのネタ、本質的にはノリツッコミで笑いを取っている作品ではありません。
ノリツッコミの長さをいじることで笑いを生んでいる「しつこい」というジャンルのネタ。むしろノリツッコミのつまらなさを利用しているの批評的なネタです。

3、常にあえてがつきまとうゆえ、日常に還元できない

ここでもう一つ、ノリツッコミな作品を一つ。
ごっつええ感じの「ミスターベーター」というコントです。

先ほどのジャルジャルのネタほどではないですが、これもノリツッコミという手法をいじるコントです。
ベタであるという認識のもと松本人志が<あえて>ノリツッコミをすることでスベるという構成です。

このようにノリツッコミとは<あえて>使われるという、メタ的要素が非常に強くなる手法なのです。
手法そのものがいじられて、ネタ化されている。ノリツッコミそのものが面白いのではなく<ノリツッコミをしている誰か>というように、手法と人が先に立ち現れます。

もしこれを、あなたの上司や恋人、両親や兄弟が日常の中でやったらどうなるか。
普通に突っ込めばいいものをあえて引き伸ばして、目にもあてられない様を披露しながら、誰も得することない冷たい空気を充満させることでしょう。

言い換えれば<すべり芸>であると言えるかもしれません。
すべり芸とは「あえてすべる」ことで、哀愁と同情を撒き散らす笑いの取り方です。
これを成立させるには、ノリツッコミをする人間が単体で面白くなければなりません。のすごく人に依存する手法でありなのです。ハライチなんかを見るとわかるのですが、人の面白さ全開でノリツッコミをしています。

つまり、あくまでも絵空ごとの中のプロの技であり、決して素人が手を出してはいけないのです。何をやっても許される赤ちゃんや美女ですらこのノリツッコミだけはとても危険です。

そもそも、ノリツッコミとは面白いボケを殺しかねません。
ノリツッコミとはボケのつまらなさを隠すためのいわばセーフティネット。太鼓持ち芸と言ってもいいかもしれません。
面白くないボケをツッコミの様でフォローするという特性を持っているので、面白いボケには禁じ手です。

ここまで何を言っているのかわからないまま、ノリツッコミをディスってしまってるかもやしれませんが、その構造自体はとても面白いものだと思うし、実は似たようなことを日常生活の中でも無意識のうちにやっていたります。
間違っている相手に「なるほど・・・・でもさ」と、相手を一回認めておいて自己主張したことはありませんか?

もしくは誰かの作品や仕事に対して「まずはありがとう!流れや構成はとてもあなたらしく好感がもてました!しかし、セリフが微妙で退屈です」みたなフィードバックを無自覚にしていませんか?

一度は上げて落とす。
言いにくいことがあれば、まずは相手を褒めて、乗っかって、隙をついて指摘する。

おそらくこの配慮や気遣い(弱さと言っていいかもしれない)に対しての「抜けない感じ」もまた、ノリツッコミが苦手な理由なのかもしれません。

しかし、この場合、先にもあげた旅行の例のように、フリ手は相手に反論を望んでいないので、やっぱりノリツッコミとは若干違うのですが。

さて、ここでさらにもう一つ、ノリツッコミな作品をご紹介します。
『頭頭』という、またまた松本人志の作品です。
とてもセンセーショナルでシュールな内容なのですが、松本人志も言うように「ノリツッコミ」として受け取るととてもクリアになる映画です。
あえてすべる(すべり芸)も包括しながら、不条理の世界から急激なハンドリングで日常に舞い戻る不思議な体験ができます。
実はノリツッコミの本質はこの作品に垣間見ることができます。

ノリツッコミとは不思議な体験のことです。一度ボケとして投げられた不思議さを「体験」に落とし込む。その体験を強大なツッコミという遠心力でなぎ倒す過去の否定。
つまり体験として受け手を巻き込むことができればその茶番はフレームの枠を超えるのです。それが長尺の作品であれば、もしかしたら可能なのかもしれません!!

さて、やんや偉そうに語るのは簡単。自分もまた「ノリツッコミ」を使った漫画を描いてみました。
正確には「ノリツッコミの気分を抽出した漫画」です。ちょうどいいノリツッコミとはなにか?を目指しました。
ご覧ください。

相手が反論を望んでいるのかいないのかをわからない状態にすることで、ノリツッコミにある<わかりきっていることを引き延ばす>という茶番を排除することに成功しています。その結果スリリングさが増しました。

ただ、これはノリツッコミなのでしょうか?

ノリツッコミとはあくまで誰もがノリツッコミをしている状態だと認識していなければならない手法なのかもしれません。つまり、ノリツッコミをしていること自体に意味があるという。

となるとこのようにノリツッコミに対してあれこれ考えること自体が愚の骨頂であり、まるで釈迦の手のひらで転がされているような恥ずかしさを覚えました。

もしかしたら、ノリツッコミって、一度ボケに乗っかってよく考えてみたものの、急に恥ずかしくなって正気にもどるってことなのかもしれません。。ってなんでやねん!!!!!

敬称略!!!


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