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「カメラをとめるな!」が腹立つ理由


どうも、金曜日を担当しているシーズン野田です。
火曜日のマユスガライターと交換し、今回は自分が書くことになりました。
マユスガファンの人ごめんなさい。

さて、今回は先週の月曜に金井ライターも触れていた「カメラを止めるな!」について書いてみようと思います。

ものすごい勢いで公開規模が大きくなっているようで、すでに100館以上で公開が決まってるとのこと。すごいですね。

本作はENBUゼミナール配給の超低予算映画。たしか300万とかで撮ってるんですよね。
300万でここまで稼いだら、ENBUもウハウハだと思いますが、作り手としてもとても励まされる出来事だと思います。

低予算で最近思わぬ広がりを見せたのが小林監督の「ヘドローバ」です。携帯だけで撮るプロジェクトで、強烈な印象を残しました。

ちょっと前だと、AVが劇場公開されるという時代的な盛り上がりと新しさを感じさせた「テレクラキャノンボール」も低予算ながらヒットしました。

別に大きな配給会社じゃなくても、社会的に広がることがあるんだという事例として、本作「カメラを止めるな!」もそのような位置づけで、どれだけ尖っててメタで変化球なのかを楽しみにしていたのですが、蓋を開けてびっくり。

とてもちゃんとした映画で肩透かしをくらいました。

ネタバレ厳禁のお触れ書きがネットで散見されてましたが、別にネタバレもクソもねーじゃんかと思うほど、かなり正攻法で作られており「面白さ」がなによりも作品の担保になっています。(本文ネタバレ含むよ)

(ちゃんとの定義は難しいが)ちゃんと作った映画が、ちゃんとヒットしており、うちの親でも楽しめます。

しかし、世の中金だ、コネだ、政府だ、陰謀だとふてくされ、それを理由にふて寝していたタコ助たちに「低予算でもやれる奴はやれるぜ!」っていう現実を突きつけたことにおいて、とても残酷な作品とも言えます。

お前らが認めらないのは、作品がつまらないからだ。
暗にそう示しているのです。

全く腹がたつ作品です。ある側面ではヘドローバよりも残酷で、テレクラキャノンボールよりもスケベであると言えるでしょう。

しかし、少し寂しい自分もいました。

結局、こう言った伏線回収劇がわかりやすくて多くの人に受け入れられるのかぁという、それ以上分析することもないような、いわば刑事物、推理ものは安定して数字が取れるという道理がそのままヒットに起因しているのではないか?とつい勘ぐってしまう、そんな寂しさです。

昔「キサラギ」という映画が流行りましたが、あれもそうですね。アイドルの死因を探る内容なのですが、張り巡らされた伏線が見事に回収され「うまい!」と唸り、生理的な気持ち良さを喚起するという。

この、張り巡らされた伏線を見事に回収するという答え合わせ的な映画の間口はやはり広いのだろうと思います。

もっと得体の知れない「なんだこれは!ポニョの再来か?」というような映画を期待していた側面もあり(というかほぼこれ)一抹の寂しさを感じたことは否めません。

本当にちゃんと面白くてどうするんだ?

しかしその感覚もまた、先程触れた「ふて寝」していた自分の中で醸成されたものなのかもしれません。

面白くて何が悪いんだ。わかりやすくて何が悪いんだ。

華麗な伏線回収劇という意味においては、本作は三谷幸喜や内田けんじ作品を思い起こさせるわけですが、ただ一つの意味において決定的に違います。

それは、まさにこの作品のアイデンティティーでもある部分なのですが、なんだと思いますが?

この続きは、次回!!

・・・サボろうと思ったのですが、お天道様が見てるのでやっぱり書くわ。

何が違うのか。つまり役者が違うのです。誰一人有名な役者はおらず、演技も全体的にそんなにうまくない。普通だったら、そういう自主映画的な「しかたないよね」って百歩譲るというやんわりとした了解が低予算映画には当然あるわけで、それこそが自主映画が広がりそ損ねる部分でもあるわけなのですが、本作においてはむしろそれこそが広がりの一つに加担してるのではないかと思うわけです。

大物役者を使わない。だからこそ、一切の先入観をなくし、話や設定の骨組みがより露骨に露わになり、そうなることで純粋な面白さへと腑に落ちる。知らない人が演じるからこそ、脚本や演出が際立ち、冒頭のワンカットに凄みが帯びる。

大物がやれて「当然」だというハードルが、無名の人間がやるからこそ「すごい」に変質する。

それだけではありません。監督の役者に対する眼差しをダイレクトに僕らは感じることができるのです。

親が子供の運動会を録画したときのような。観客はまるでその疑似体験をすることができる。それは他人の家のつまらないホームビデオのはずなのに、見ているとまるで自分の家のそれに匹敵するような愛情を感じるのです。

ほぼ奇跡。

この感覚は、昨今の邦画大作では決して味わうことができません。

くどいようですがその一点において、この作品は昨今の邦画大作とは大きく異なるのです。「またあの役者だよ・・」と食傷気味の中で、次の邦画の流れをつくるカンフル剤になることを願ってやみません。

それと同時に「『カメラを止めるな!』みたいなさ、安くて面白いの作ってよ」と、金を渡さず面白さだけを要求してくるプロデューサーが出ないこと祈るばかりです。

いや、絶対に出てくるので、やっぱり「カメラを止めるな!」は腹が立ちます。


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