再びのホテル住まい 4日目

こんなタイトルを書くとまるでホリエモンさんのようだけれど、実際のところホテル暮らしはとても快適だ。必要最低限のものがあればいい。連泊プランで割引率の高い場所に滞在しても、毎日のことなのでお金はかかる。けれど、我慢し続けることで思考停止になりたくない。私たちは自由だ。もちろんずっと続けていけない事はわかっている。でも、今、今日の私はとりあえず幸せだ。

義母が興奮してしまう度に、家を出ている。何事も状況が許せば我慢しない。私の心は私のものだ。自分自身が落ちてしまうことくらい自信を無くすことはない。
幸い、今春会社を辞め、次の仕事への移行期間のため(実際にはまだ何もはっきりしていないが、向かいたい方向はある)、時間と場所に制約がない。一度目のホテル住まいの際は、住んでいる町の繁華街のホテルに泊まった。楽しそうな人たちを眺めて、元気をもらった。それからまた1週間くらいして、また義母がつっかかってきた。息を詰めて、静かに静かに、なるべく長く出かけるようにしているのに、どうにもこうにも私のことが気にかかるらしい。

その日、わたしの方が夫よりも帰宅が遅く、料理好きの彼は二人暮らしをしていた時と同じように夕食を作っていた。帰ってきたわたしが、「わあ、美味しそうだね!なんか手伝う?」、「大丈夫だよー」という会話を交わしていると、それまで寝転んでぼんやりテレビを見ていた義母がすっと起き上がり、キッチンへやってきた。わたしに背中を向けたまま、「息子がかわいそう。仕事から帰ってきてもすぐに食べるものがないなんて。わたしは良妻賢母の教育を受けて育ったから、こんなことありえない。本当に哀れだわ」と言う。

わたしの体が固まる。(はああ??りょ、う、さい けんぼーーーー!)
彼女はわたしの母より一つ上の76歳。公立の高校を卒業してすぐに東京で就職。その後、すぐに結婚して子供を育てる。その後は、3人の子供達が小学校を卒業するまで「おかえり」と言ってあげる生活を続けた、という話はこれまでに何度も聞いたことがあるが、時、時代が。令和ですよ、いま。諦めてくれ!

そしてあなたの素晴らしい教育のおかげで、彼は料理上手になり、デスクワークの多い彼にとっての気分転換&趣味になり、その日食べたいものを作って満足そうにたべている。これはとても幸せなことなのでは?
会社員時代は私の方が帰宅が遅かったので、家に帰ると食事ができているのはとてもありがたかった。感謝しきりだった。でも、時々彼が飲み会で夕飯を作れない日があると、(今夜は好きなものが作れるーーーー!)とこっそり喜んだものだ。すまない、夫。

そしてその夜。
「私の冷蔵庫の食材で(夫が)作った料理を食べているにも関わらず、ごちそうさますら言わない!」と怒りモードで2階の私たちの寝室に飛び込んできた。
どうでもいい注釈>1階で夕飯をつくり、2階で食事。現時点ではキッチン&洗い場がないため、食器は1階で洗う。この日、彼が食器を洗ってくれた。私は2階にいたため、1階には降りず、確かに「ごちそうさま」を言ってはいなかった・・・

元々、義母に「もうこの年だから食事は作りたくない。めんどう。食べたいものを食べたいタイミングで食べたい。私に食事を作ってもらおうと考えているようなら、私は嫌だから」と言われていた。私もそれには賛成で、同居する前から1階と2階とでそれぞれが食べることになっていた。ただ、キッチンに行くには1階の、義母が一日中寝転がるリビングの脇を通らないと行けない。私が近くにいるだけでイライラしていることが感じられるため、なるべく揉め事を起こしたくない私は、2階に篭りがち、または出かけがちになる。さらに、「昼間、2階で物音がしたり、人気があることを感じると気分が良くない」と言われていたので、外に仕事場も確保している。しかし出かけていれば安泰という訳ではなく、玄関ドアの前で深呼吸と笑顔の練習をしてドアを開けても、小言が待っている。昼間は出かけて欲しい、けれど、早めに帰ってきて夫に夕飯を作りなさい、ということなのだと思う。だが、難しいわそれ。できませーん!

ひとしきり義母が文句を言い終わると、すぐに夫が、「お母さん、ごめん。僕がきちんと説明をしなかったからだね。全部僕のせいだ」と言う。優しいんだ、私の夫とあなたの息子は。それに対して、「あんたは何も悪くない!」とキッとした目で私を見る義母。
おお、やはり私なのかー。

母の愛はどこまでも強い。母と息子。そして妻と夫。どうなっちゃうのかな。




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