ドゥルーズとニーチェ〜舞踏する精神〜

ドゥルーズが賛美する生成変化の思想には、ニーチェの「舞踏する精神」の発想が通底していると言える。

ニーチェはつねに変化と創造を肯定し、固定化された価値観や実体観を批判した。彼が目指したのは、過去の重荷から解放された、新しい可能性に開かれた生の様式。これをニーチェは「舞踏する精神」と呼んだ。

舞踏する精神とは、一つの形に縛られることなく、常に新しい変容を遂げ続ける生の営みを指しています。安住の地へと落ち着くことなく、絶えず新しいリズムを生み出し続けるのが舞踏する精神なのです。

このダイナミックな変容の思想こそが、ドゥルーズの生成変化の哲学とも重なり合います。ドゥルーズが説く「出来事」や「強度」、さらには主体の脱中心化と更新は、まさに舞踏する精神の実践に他なりません。

つまり、両者は共に固定化や実体化を超え出て、生の可塑性と創造力を讃えているのです。ニーチェが古い価値観の虜から解放された生を目指したように、ドゥルーズもまた観念性の枷を脱して、変容し続ける存在の実相を追求しました。

しかし、ドゥルーズの思索には、ニーチェにはない次元も存在します。ドゥルーズは身体性や欲望、さらには非人間的な存在様態の力学にまで思考を開いていき、生成変化のあり方をより深く掘り下げようとしたのです。

つまるところ、ニーチェの舞踏する精神の発想はドゥルーズにとって出発点となり、さらにそこから生の創造性への探求が展開されたと言えるでしょう。ドゥルーズがニーチェから学んだのは、生成変化への限りない賛美という姿勢であり、その上で独自の思索を展開させたと考えられます。両者の思想は、生の活力と可能性を讃えるという点で、軌を一にしていると言えるのです。

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