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意見を持つということ。

最近感じたこと①

ゆっくりながらも基本的な日常会話ができるようになってきて、授業の中で政治の話だったり、文化の話だったり、自分の国や他の国について意見を交わす機会が増えてきました。

その中で特に感じる、興味のないことに対しても(もしかしたら全てに興味を持っているのかもしれないが)自分の意見を発言すること、はっきりと意見を言う必要があることについて感じたことをまとめます。

話が途切れないこと

授業の中で出てきた話題やそれと関連する話について、途切れなく質問が出てきます。誰が話をしていても、どんどん発言をしますし、誰かの意見に対して反論があれば躊躇なくする。
日本の授業では、自分の順番がきたら話すとか、手をあげて先生に当てられたら話すというのが当たり前で、自分が発言しない日だってあり得たのです。
日本の授業スタイルは特段受け身だ、と言われることに本当に納得しましたし、自分が思っているよりもずっと積極的にならなければ、同等の成長は得られないとも感じました。

全てに疑問や意見を持つ

政治の話であろうと、生活の一部の話であろうと、出てきた話題全てに対して意見を持っていて、それを発言することが当たり前なのだと感じました。
興味があろうとなかろうと、思ったことは言葉にする。
他の国の話であろうと、自分の意見を言いますし、話題に対して常に熱量を持っているように感じます。それがたとえデリケートな話題であったとしても、ある程度まではシンプルな”考え”として躊躇なく意見を言います。

これは私の性格的な話ですが、ただ一回の授業の中での話なのだから、そんなに熱くなる必要性を感じないですし、悪く言えばどうでもいいと思ってしまいますが、そうではありません。

常に話題に熱量を持つことは、個人的にはかなり精神消耗しますが、些細なことにも注意を向けて自分の問題として考えることは大切だと思うので、
めげずに出来る限り言葉にしていきたいと思います。

(写真は全く関係ないですが、以前訪れた”コルド・シュル・シエル”での一枚)



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