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【読書録】国盗り物語(二)

こんにちは!

昨日に引き続き、『国盗り物語』の読書録です。

二巻では、いよいよ斎藤道三の国盗り。

そして、ライバルと言える織田信秀とその子織田信長も出てきます。

美濃の執事と言える地位まで登り詰めた斎藤道三が次に目指すは、国主、つまり美濃の大名になること。そのためには国主の地位に据えた土岐頼芸からの信頼を固めつつ、時期を見て自分が国主になる。
この過程はかなりすさまじく、一難あってまた一難のことばかり。

やはり何か新しいことをしようと思うと逆風は吹くもの

一時は、美濃内の豪族からの妬み、恨みを買いすぎて、城を囲まれ自害するしかないとまで追い込まれたりもする。
そのときに斎藤道三がとったのが、出家をして頭を丸めるということ(斎藤道三という名もこのときの法名であるらしい)。
なんとも大胆!!

でも、そういった荒波を乗り越えて、ついに国主に。
斎藤道三のいう“転”がお見事。

「人の一生も、詩とおなじだ」
と、庄九郎はよくいった。人生にも詩とおなじく、起承転結の配列がある、と。「なかでも、転が大事である」
と、言う。
「この転をうまくやるかやれないかで、人生の勝利者であるか、ないかのわかれみちになる」
庄九郎の美濃の国を奪いとる「事業」も、一編の詩とみればみられるだろう。まず、「起」。ここで試想をおこす。庄九郎の「起」というのは、当時不遇の公子であった土岐頼芸に知恵を力を貸して、その兄政頼を守護職の地位から追い、頼芸をその地位に据え、みずから頼芸の執事になることであった。これはみごとに成功した。
ついで、「承」である。起の成功を拡大し、自分の執事としての権勢を高める一方、頼芸を酒色におぼれさせて、美濃人に国防上の不安をあたえる。庄九郎はそれをやった、これも成功した。しかし二十年かかっている。
第三弾階は、「転」である。もっとも重要である。この転がなければ、庄九郎は単に、美濃の過労、次将、副次的存在、におわってしまう。
(田舎の侍大将で朽ちてたまるものか)
そう思った。庄九郎の考える「転」とは、頼芸を追って、一転して自分自身が美濃の国主になることであった。
「詩でも、転がもっともむずかしい。人の一生では、なおさらむずかしい」
天文十年から十一年にかけて、庄九郎はすべてのエネルギーをこの「転」に賭けた。

この転を成し遂げた斎藤道三は見事しかいうことないが、このときすでに五十を過ぎていた。

そこからさらに天下を収めるには、もう一生分の時間が必要だろうと悟ったようである。
運命的なのは、その一生分の偉業を引き継いで成し遂げたのが、織田信長であるということ。娘の濃姫が嫁いだ娘婿にあたるということ。


この二巻では、斎藤道三の国づくりや戦いかたに後世残る創意工夫を描かれている。
例えば、楽市楽座。
学校の授業では織田信長が行った施策と習いましが、実はこれを最初にやったのは斎藤道三だということ。
また鉄砲を戦に用いたのも、斎藤道三であったということ。

とても興味深いし、これらを伝授した相手が、織田信長であり、明智光秀だというのも面白い!

明智光秀は、同じ美濃の武将であったからわかるものの、なぜ織田信長というのは、第三巻で描かれている。


兎にも角にも、斎藤道三のすごさ、苦労が描かれていて、とても興味深い一冊だった。

第三巻に続く。

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