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「人を裁くな。自分が裁かれないためである。」

以前に一度紹介したことがありますが、「Loving Words from Jesus」というカードがあります。
イエス・キリストの絵をたくさん描いているグレッグ・オルセンという人の絵に聖書の言葉が添えられているオラクルカードです。

たまにしか引かないにもかかわらず、4回連続で同じカードを引きました。昨日今日は2日続けて。
それがこれ。

Judge not, that you be not judged.
人を裁くな。自分が裁かれないためである。(マタイ7-1)

いや待って。
私そんなジャッジしてないと思うんですが。
というか、ジャッジしないように気を付けてきたのですよね。

聖書の言葉はこうです。

人を裁くな。自分が裁かれないためである。あなたがたが裁くその裁きで、自分も裁かれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にあるはりを認めないのか。自分の目にははりがあるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目から ちりを取らせてください、と言えようか。
偽善者よ、まず自分の目からはりを取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。

マタイによる福音書 第7章1-5

身近な人にしろネット上やテレビで見かける人にしろ、あるいは起こる出来事に対しても、何かしら思うことはあるわけで、それについてあーだこーだと人は言ったりするわけです。それが行き過ぎると、よくあるネット上の中傷になったりするのですよね。
ちゃんとした批判であれば、時には必要だとは思うのですが。

でも、ちょうど流行り病が出だしたくらいから、某スピリチュアル系の人が「とにかくジャッジはしないように」と言っていたのを聞いて、なるほどと気をつけていたのです。
良い悪いとか、正しい間違っているとか、そういったことで他者や何かを常に分類や批判をしていると、2元(分離)の世界から抜けられず、その先に進めないというのです。

本来物事は良い悪いと単純に分けられるものではなく、何より、自分が与えたものは自分に返ってくるのが道理なので、ジャッジしたら自分もされるのです。
どっちが正しいとか、あいつが悪いとか、分離した世界で戦いが起るので、そんなところにはいたくない。私は調和の世界にいたいので、必要以上のジャッジはなるべくしないように、ニュートラルな視点でいるようにと思っていました。

なのになんで、ジャッジするな!のカードが出るのかなあ??
まあもともと、けっこう批判的な人間ではあるのです(批判するのは自己価値観が低いゆえでもあるのですが)。

昨日もこのカードが出て、試しに今日も引いたら出たので、
なんで!!??
と思って、すこしカードに意識を集中したら、わかりました。

人をジャッジしてるんじゃない、
自分をジャッジしてるんだ・・・。

そういえばここ数日特に、自己ツッコミをしょっちゅうしていたかも。

念のため、他のカードもサポートで1枚引いてみました。

セルフ・リスペクト、出た。

間違いないですね?ともう1度イエスのカードを引いたら、違うものが出ました。(こちらが理解すると、もう出ない)

そんなわけで、わからなかったことがわかって、今日はすこしスッキリ。
オラクルカードは占いじゃなくて、折に触れて気付きやアドバイスをくれるものです。

書くこと、描くこと、撮ることで表現し続けたいと思います。サポートいただけましたなら、自分を豊かにしてさらに循環させていけるよう、大切に使わせていただきます。