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この世界は完璧な不完璧で出来てる◆町田市民文学館ことばらんど◆

昨日は渋谷Bunkamuraの美術展に行きそこなった感があったので、町田市立国際版画美術館で1900年代のパリの印刷物についてのミニ企画展をやっていると知り、今日はそちらへ行って来ました。
しかし、北風がぴーぷー、寒かった。
駅から歩くので、途中で「今日じゃなくてもいいんじゃない?」と引き返しそうに・・・。
でも思い直して、行ってきました。
それはそれで良かったのですが、じつは美術館に行く途中に「町田市民文学館ことばらんど」という施設があります。
あるのは知っていたのですが、なんとなく地味な公共施設という印象で、入ったことがありませんでした。
通りがかりに見た開催中の展覧会のポスターがなんだか気になり、版画美術館の帰りに寄ってみることに。結果的に、今日はそちらのほうがメインとなりました。

なんとなく地味なのよ。子供向けかと思っていたりして。

森田MiWみうという詩画作家さんの個展だという。
名前は知らなかったけれど、なんとなく絵に見覚えが。
あとから、ハンカチや布バッグなどのグッズを伊東屋で見たことがあると思い出しました。
本、雑誌の装丁・挿画、広告デザイン、そして2016年に立ち上げたプロダクトのブランドmoritaMiWでハンカチ、ポーチ、お皿などの商品を作っているそうです。
伊東屋で見たときは買わなかったけれども、インパクトのあるイラストとデザイン、色使いでよく覚えています。

「いとしきモノ展」と題された、初めての展覧会だそう。
撮影とSNSはOK。

淡々とした日にもドラマチックな展開の日にも
ヘンテコリンなことばかり起こる日にも・・・
あらゆる唯一無二の「今」という中で出逢うモノモノと、
それに触っては湧く「感情」すべてが「いとしきモノ」だと思うのです。

展覧会のチラシより
物語世界の入り口という感じ。

原画、言葉、大きな印刷パネルと、独特な展示の仕方で森田さんの世界を歩く感覚です。

ポスターになっているこの作品、ピンクがとても印象的。
このデザイン的なお花がけっこう好き
ドードーという鳥
今気付いた。足が8本ある。

ほとんどの絵が、鉛筆と色鉛筆で描かれているのです。
ペンで描いているように見えるところもあるなぁと思いながら、鉛筆=下描きというイメージが吹き飛ばされました(もちろん鉛筆画というものも知ってはいるけど)。

いつかわかるかもしれないし、わからないままでもいいのかもしれない。
この言葉がドン!と入ってきた。同じことを言われたことがあるから。

「この世では、不完全なことが完全なのです」
と、たしかnoteにも以前書いたと思ったのだけど。
これはお世話になっていたセラピストさんから言われたことでした。
私達はもともと「完全な存在」なのだけど、「完全であったら経験することができない事」を経験するために、ここにいる。
完全だったら欠乏も、絶望も、落胆も、失う悲しさも、得ることの喜びや感動も味わえない。
経験し、味わうためには、不完全な存在として、存在していなければね。
展示の言葉とはちょっと違うのかもしれないけど。

もしかしたら人生は上へ登るのではなく、穏やかに流れていくものかも、と

映像の上映スペースもあったのですが、そこには寄りませんでした(版画美術館から来ているのでちょっと疲れが・・・)。
今日はアーティストトークの日でもあったのでご本人もいらっしゃったようです。

見終わったあとは、お腹が空いて少しフラフラしてきたので、1階の喫茶スペースでおにぎりセットを。
1階には雑誌や絵本、本が閲覧できるようになっていたので、気になるものをゆっくり見てみました。
図書館のような数はないけれど、市民の方々がたくさん利用されているようで驚きました。もっと人の少ない場所かと思ってた。失礼しましたーーー。

展覧会のチラシとネームカードをいただいてきたのですが、よく見たら、あらなんか・・・シンクロした。

去年あたりから、お花を頭につけた女性の絵のイメージが浮かんでいて、ちょうどゆうべもなんとなくスケッチしていたのですが、なんだか同じだ。
私が描くと、昔とったキネヅカでどうしてもマンガになってしまって、人物を描きたいのになんとかならないかなぁと思っています。
頭の中にイメージがあるのに、手が追い付かないのは残念。
いつかマンガじゃない人物を描きたいと思っています。


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