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望むなら本当のことを。それは叶ってしまうから。

気がつけば10日以上更新していなかったのでした。

イタリアで部屋を借りていた時の話など書こうと思っていたのに、急にいろいろなことが動き始めて、というか、自分自身がやりたいことのスイッチが入ってしまい、やること考えることが色々あって、過去の話を発信するモードにならなかったのでした。

そんな流れで急に関西に用事ができ、近々行くのですが、Go toキャンペーンを使って予約したら1万円以上割引に(驚)。有難いことです。

世界がこんな状態になる前に、
「外国人がいない静かな京都に行きたい!」
と某SNSで叫んでしまったのですが
まさか本当にこんなに外国人がいなくなってしまうとは。
雑誌の「Hanako」が「静かな京都」なんて特集を組むようになるとは、思ってもみませんでした。

いちおう書いておくと、私はもともと学生の頃から、外国人に日本のことを紹介するのが大好きでした。大人になってイタリア人と文通するようになってからは特に熱が入って、日本人が当然と思っているようなことも細かく手紙で説明したりしてました。(首都圏の地下鉄の路線図なんて送ったりすると、複雑すぎてびっくりされた)

例えば、日本では人が立っている前に列車のドアが来てくれるって本当?!と聞かれましたが(笑)、考えたら確かに、イタリアでは列車が到着したら、ドアのところにわらわら集まっていくよなあ、と。
(そういえば、今はすこし変わったんでしたっけ?)

それはいいとして、だから外国人が日本に来て楽しんでくれるのは本当に嬉しいのだけど、最近あまりに多すぎた。
住んでいる人の生活に支障がでるのはちょっとどうなのかな、と思っていました。

で、タイトルなんですが、
現実化が早くなっていると、ここ1年くらいでよく聞くようになりました。

そうだろうか、、何も動かないなあ、、、と思っていたのですが
ここにきて急になにか物事が動き出してきて、あれやりたいなあ、これもいいけどなあ、と漠然と思っていたことが、現実的な取り組みに変わってきました。

"静かな京都に行きたい"も、オリンピックの年に外国人がいなくなるのはあり得ないから、「だったらいいのにな!」だったけど、本当に"外国人のいない平日の京都"に行くことになってしまった。

本当に行きたかったので嬉しいのですが、だからこそこれからも「常に本当のこと」を望んでいかなくてはと思うのでした。

そう望んでいるのは本当か。
社会の風潮や人の思いに流されていないのか。

ここ数日は特に、問いかけては中心に戻る、ということをしています。

観光が第一目的ではないのですが、
関西の旅のこともまたここで書けたらといいなと思います。




書くこと、描くこと、撮ることで表現し続けたいと思います。サポートいただけましたなら、自分を豊かにしてさらに循環させていけるよう、大切に使わせていただきます。