お盆の雑談
朝のつぶやきから、2度めの投稿です。
8月のお盆ですね。
うちは7月なもので、先月お墓参りにも行ってしまいました。
昨夜テレビをつけたら、池上さんの番組でお盆のことをやってましたが、10代、20代の若い人たちは、もはやお盆がなんなのかを知らないのですね(知らなかった人を選んで編集してるのでしょうけど)。
仕事を休んで身体を休める日、、という答えは
なるほど確かにそうではある、と思います。
「暑中見舞い」も知らなくて、
亡くなった人がどうの・・って答えてる女子がいて
なんかもう土に埋めてやりた・・・もぐもぐ
メールやラインを使ってるんだから、わざわざ葉書でご機嫌伺いする必要もないのは当たり前か。
こうやって、いろんな季節の行事がなくなっていくわけですね。
暑中見舞いなんてものも、べつに江戸時代からあったわけではないから、もともと無かったものがまた無くなるだけか、とも思うし。
そういう自分も、もう葉書で出すこともないですしね。
(ちなみにもう立秋過ぎたので、残暑見舞いです)
お墓参りに行ったことがないという人もいて、
遠い、習慣がない、めんどくさい、という答えのほかに
「お墓がない」という答えもあったみたいで
これからはそうなっていくのかもしれない。
お墓ってもとは、その土地に縛り付けるためにできた
という説を聞いたのは最近のことです。
だから、海とか樹木の下とかに埋めるのも自由でいいな、と思います。
古くなった身体は脱ぎ捨てればいい、と言ったのはチベットのダライラマ法王。
着古したものが骨なんだから、お墓っているのかな?
お位牌があればいいんじゃない?
と思い始めたのは、親が死んでからです。
葉山の沖で叔母の散骨をしたのは、ちょうど6年前の夏でした。
船でだいぶ沖の方に出て、空と海しか見えない場所で
骨粉の入った袋と、直筆の手紙と、たくさんの花を一緒に
船の上から海に投げました。
あっというまに粉は波間に広がって溶けていき
お花はぷかぷか浮かんでいました。
鐘を鳴らしながら、船は散骨した場所をしばらく旋回して
それから名残り惜しい気持ちになりつつも
ホっとして陸のほうに戻っていきました。
人間は自然の一部と感じられて、散骨もいいなと思った経験でした。
夏は終戦記念日もあるから、
なんとなく魂のことを考える時期ですね。
1年前もこんなこと書いてます。
*
材料があったので、今日は米粉のマドレーヌを作ってみました。
最初から上にバナナを乗せると、沈んでしまうかと思って
途中から乗せたのが敗因。
むしろまったく沈まない。
何かに似てる・・と思ったら、ブタの鼻だった・・・
バナナがないところは、胸になんだか詰まる感じがするんですが(ドン!ドン!ってやりたくなる)、バナナと一緒に食べると美味しい。
今度は生地にもバナナを入れてみることにします。
書くこと、描くこと、撮ることで表現し続けたいと思います。サポートいただけましたなら、自分を豊かにしてさらに循環させていけるよう、大切に使わせていただきます。