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まっぴーさん監修・MGコラム.1 バッハとお蔭参り

ヨハン・セバスチャン・バッハ(Johann Sebastian Bach、1685-1750)の生きた時代は、日本では江戸時代の中期にあたります。ちょうど徳川綱吉(とくがわ・つなよし、1646-1709)が5代将軍だった頃です。犬公方でお馴染み、「生類憐れみの令」を出した人物ですね。


天下の悪法と名高い生類憐みの令ですが、その実情は治安維持や弱者保護を目的とした福祉政策だったそうです。当時の江戸には野犬があふれ、ゴミを荒らしたり人々に噛みついたりしていました。また時には「かぶきもの」と呼ばれる乱暴者たちが野犬を殺し人々を恐れさせていたようです。


そうした「かぶきもの」の取り締まりに始まり、野犬を隔離するといった目的が生類憐みの令の始まりでした。そしてこの「生類」は特別犬だけではありません。人間を含むすべての生き物に対し慈しみを持つことを主としていました。


一方で、保護する動物の種類はどんどん増えていきます。そして当時の武士の嗜みでもあった鷹狩りまでも禁止したために、強い反発を受けたのでした。その結果、綱吉は後世まで悪名高い暴君と伝えられてしまったわけです。


そんな江戸時代の人々の楽しみが「お蔭参り(おかげまいり)」でした。お蔭参りとは、三重県・伊勢神宮への参拝の中でも、特にお蔭年(約60年周期の遷宮の年)に行われた集団参拝のことです。江戸や畿内周辺はもちろん、四国や九州、東北からも参拝者がいたといいます。


人々は、五穀豊穣や商売繁盛など、それぞれの願いを込めて参拝しました。通常は旅行手形などを準備して許可を得て旅に出ます。中には親や主人には内緒で旅に出た子供や家人もいたそうです。そのため、「抜参り(ぬけまいり)」とも呼ばれました。


1705年の宝永のお蔭参りでは、およそ350万人の人が全国各地から伊勢神宮を訪れたそうです。当時の全国の人口が3000万人弱だったことを考えると、1割の人が訪れたことになります。


当然、旅行ですからその旅費は各自で負担しなければなりません。遠方の村々では、住人たちでお金を出し合い代表者が参拝するというところもありました。そのため、このお蔭参りは、江戸時代の人々にとって一生の憧れ、楽しみだったといいます。


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