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講義の終わりから探求が始まる

4月の「持続可能な畜産とは」の講義から
一週間後に獣医師で同じテーマを考える企画をやったり

講義を聴いた方から個人的に話を詳しく聞きたいという面談が2件あったり

そういったやり取りや、改めて考えをまとめる作業から
自分の考えがアップデートされていく過程を
なるべく公開していきたいのだけれど
なかなか時間との闘いに勝てない。

きれいにまとめるのではなく
喋るように書いていこう。
書きながら考えるので、読みにくいこともあると思う。
それはご愛敬。

講義資料のまとめスライドに落書きしたもの

講義で話したことも、すでに自分の中で古くなっている。
けれど、スライドを転用しながら考えをまとめ
共有していこうと思う。


とりあえず僕の意見のまとめの部分。
まずは【世界の畜産】について。

資料を作り始めた時点では
これだけ温室効果ガス云々で批判されているし
代替肉も培養肉も工業生産が進んで低コスト化してるし
巨大な課題と、スマートな解決策があるんだから
リアルな畜産はいずれシェアの大半を失うだろう、と考えていた。

それでも、実際に家畜を屠って肉を食う体験は
その「生」的な体験価値として残るだろう、とまとめるつもりだった。

しかし、世界は思ったほど合理的に進まない。
人間の行動は他文化から予想できるほど単純ではない。

先進国では代替タンパク源へ消費が移行していくであろう。
そんなに肉を食わなくてもよい人々だ。

一方、これから蛋白質需要の伸びる途上国は「先進国のような消費」を渇望している。
肉を食いたい。
牛乳を飲みたい。
そこで「持続可能な選択の方がクール」なんて言えるのは
すでに裕福な食生活を享受したブルジョワジーだけだ。


そして
途上国において肉を作るのに、資本を集めて培養肉工場を作るより
森を切り拓き
家畜を殖やした方がよっぽど低コストなのだ。
人件費が機械よりずっと安いし、土地も安いし
法整備や教育水準や権利の認識など要素は多々ある。

工業化した培養肉は、コストでリアル畜産に勝ってしまうという予想は
在り得なくはないが
調べれば調べるほど
これから蛋白質が必要になる人口増加する国々では
単純な畜産がこれから発展することを止めることはできないと
強く感じるのだ。

というのが、【世界の畜産】への意見。

そして【日本の畜産】はまた別で考えなければいけないので
それは次の記事で。

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