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元陸上自衛官インタビュー/藤田浩明さん(no.3)

プロフィール
藤田 浩明さん
現職:ヘルスケアベンチャー企業勤務
自衛隊在職時最終役職:陸上自衛隊1等陸尉 / 後方支援部隊 第2・3係主任

経歴

ーー今日はお忙しいところありがとうございます。まず、藤田さんの自己紹介ををお願いします。
藤田さん:この記事は、企業の方も見るということでしたので、少し細かくなりますが略歴をお話しします。僕は、元々新卒で民間企業で働いたのちに、陸上自衛隊幹部候補生学校に行きました。

幹部候補生とは、一般人を自衛官に仕立てるという面で、1年近くかけてみっちり「質実剛健」という要素を注入され「心と体」を幹部自衛官に改造される教育です。

そこから、後方支援部隊に配属されましたが、まず、2年~6年ほど、初級、中級幹部として中隊規模(50~100人くらい)のマネジメントを行います。訓練するための計画や訓練など人・物の運用すること以外に、新入隊員を教育をする責任者をしたりしましたね。その間に2011年の東日本大震災が発生したため、災害派遣活動に従事しました。

また、7年~12年目になると、上級幹部として大隊規模(200~250人くらい)のマネジメントをしました。また、その間異動をして、職種学校の教官として2年半、職種のプロに対して教育・育成をしたりもしてました。学校の先生みたいなことですね。

その後、部隊に戻り部隊のマネジメントをしていましたが、勤務している時に起きたのが、2016年の熊本地震です。こちらの任務を最後に家族の都合もあり、どうしても続けることが難しく、民間企業に転職し、現在はヘルスケアのベンチャー企業で営業企画として勤務しています。

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在職時の職務内容と思い出深かったこと

ーー自衛隊は、最終的に1尉(大尉)で退職されましたが、どのような仕事をされていたのでしょうか。
藤田さん:上級幹部として大隊規模の部隊マネジメントです。難解な言い方ですが、自衛隊用語だと、指揮官の作戦筆頭幕僚をしていました。具体的には、指揮官が状況判断する為に必要な情報の収集、作成、提供や行動するための方針のような意見の提案ですね。

この時には、とにかく論理的な思考・書式を叩き込まれ、文章を書く癖が嫌でもできてきましたので、今の仕事でも活きていると思います。

ーー論理的思考が求められるわけですね。自衛隊在職時で思い出深かった事は何ですか。
藤田さん:自衛隊って結構教育が充実しているんですよね。僕はその中でも、英語課程の参加が強烈でした、四六時中教育の時は英語を話さなくてはいけないし、日本語禁止!のような状況を3か月間みっちりやりました。お陰で米軍と話をする度胸がつきましたが、大変でしたね。

ただ、一番の思い出は、実務で稼働した東日本大震災と熊本地震です。2011年の東日本大震災では、僕たちの部隊は、宮城県南三陸町の人命救助部隊に対する支援任務、つまり現場に行って最前線で人命救助にあたっている部隊の後方支援を行うという任務が与えられ、数か月間、任務にあたりました。

まず、発災翌日に福岡県北九州市から宮城県南三陸町まで陸路で移動しています。20時間くらい移動したんじゃないかな?そして、任務で使う車両、資材の点検や壊れた資材の修理をさせる業務、整備員や物の調達のマネジメントを行いました。

不具合が結構多く、そうした実情を見て、常日頃からメンテナンスすることの重要性、予防の大切さを痛感しました。支援業務が充実しないといざ使おうとした際に使用できないということになるため、前線で任務遂行する部隊の為、しゃかりきりに仕事をしていました。

辛いのは、災害派遣されてから約3週間風呂に入れず、異臭と共存したり、4種類程度の缶詰をローテーションで食べてました。被災者の方に気を遣って車の荷台で細々と。寒い、臭い、眠いはでそれはもう大変でしたが、幹部自衛官としてしゃにむに任務にあたっていましたし、この辺りは自衛官は強いと思います。

もう一つは、2016年の熊本地震でした。僕は当時熊本の駐屯地にいたので、モロに揺れました。

当時は業務中、室内に部下が3名、向かって右手左手に座っていたのですが、揺れが起きた当初、本当に皆のおしりが飛びました。コピー機もグワングワン揺れで大移動、突然の事で揺れが収まるまで、本当に非常に長い時間に感じました。

電気系統がシャットダウンし、停電の中、直ぐに状況を把握するための情報所、次いでいつでも隊員を指揮できるよう指揮所を立ち上げ、関係各所に連絡・調整、指示を出してというように指揮官が来た時に速やかに状況判断できる、部隊が行動に移せる態勢をいる隊員と準備をしてましたね。これが初めの揺れの後に起きた出来事で、その間、給水支援で直の部下を派遣しました。

そこで本震に見舞われて、派遣していた隊員からパニックの電話で、「どうしたらいいですか」「あっちこっちで家屋が倒壊して下敷きになっている人がいるそうです。行ってもいいですか」「どこどこの橋が崩落した」と様々な情報が飛び交うとんでもない状況の中、当時は熊本が勤務場所ということもあり、非常に緊迫した状況下での任務遂行でしたので、日ごろの訓練や考え方の成果が問われる実戦を経験しました。

ただ、結局被災したかどうかもわからない家族とは1か月以上会えず、家族には非常に苦労を掛けてしまいましたし、僕自身も心配ではありましたが、住民の方々への給水、入浴、各種生活に直結する支援を優先しなくてはならないという使命感であの時は動き続けてましたね。「止まない雨はない」と言いながら。

再就職に関して

ーー本当にお疲れ様でした。その後、自衛隊をご家庭の事情で退職されたということですが、37歳を過ぎてからの転職となると大変じゃなかったですか?
藤田さん:めちゃくちゃ大変でした。まず、大手エージェントに登録しましたが、自衛隊経験は社会人としてカウントされないため、社会人経験1年目からのスタートになりますねなんて言われましたね、、、いやいや僕37歳ですよと。

ここから新卒と同じ扱いで、紹介案件もなおざりにされていた時は、就職先がないのかと絶望でした。書類で落ちることもかなり多かったです。ですから、僕はエージェントに依頼せず、直接求人を探して、直談判でアポイントを取るようにして面接に漕ぎつけていきました。そうでもしないと企業に会うことすらできなかったんです。

ただ、会えた際にはしっかり自分の思いや強みを伝えられるように一つひとつの面談に周到に準備をして臨んでいました。

ーー企業も自衛官がどのように活躍できるのかイメージつかないですし、エージェントさんも対応経験が無いと自衛隊ってどんな仕事しているのかも分からないですから仕方ないのかもしれませんね。また、職務経歴書を書くにあたり、注意した点はありますか?また、同じく面接で注意した点がありましたら教えてください。

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