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X Talk 1.2-"誰かのためになる幸せ"を感じられる臨床研究

前回に続き、山口大学の水野拓也教授をお迎えしました。初回では、獣医学研究に携わる苦労や、"ブルーオーシャン" である同分野の可能性についてお話を聞きました。また、臨床研究と基礎研究の間にパラダイムシフトが起こり、獣医学や医療(ヒト向け)の研究が過渡期にあることも分かりました。

連載第2回となる今回は、獣医学における臨床研究のやりがいについてうかがいました。水野先生、前田先生に共通していたのは、飼い主さんからの「"ありがとう" が何よりにも代えがたい」喜びだということでした。

臨床試験に関する情報提供の重要性

--(ファシリテーター):前回、より実際に則したという点で、基礎研究よりも臨床研究が注目されつつあることをうかがいました。これからは臨床研究が注目され、色々な病気の効果的な治療法が見つかりそうですね。
 
前田真吾准教授(以下、敬称略)そう思いますが、獣医学はまだまだ黎明期です。
 
水野拓也教授(以下、敬称略)黎明期だね(笑)
 
前田:臨床試験なんてやっているのは…
 
水野:いないよ~
 
前田:日本国内で獣医学関連のがんに関する臨床試験をやっているのは、東大と山口大と、あとは北大ぐらいですよね。
 
--:まだ少ないのですね…。飼い主としては、最先端の治療が受けられる病院の情報は是非欲しいです。
 
水野:昔に比べれば、SNSのおかげで情報を見つけやすくなったと思います。インスタグラムで(臨床試験の)情報を見て、東京から(山口大学に)来てくれた飼い主さんもいます。とはいえ、皆さんが知っている訳ではないし、もっと良い情報発信の方法があるといいですね。
 
前田:水野先生と以前お話しましたが、臨床試験をやっている施設と連絡先、内容などをまとめたポータルサイトがあると「すごくいいなあ」と思っています。個人で立ち上げることもできるとは思いますが、本来は学会がやるべき仕事ですよね。獣医がん学会でそういったポータルサイトを作ってくれればいいんですけど…。
 
水野:そうだね。飼い主さんが、「ここを見れば、臨床試験は病気ごとにすべて書いてある」というモノがあればすごく便利だよね。難しいのは、どの臨床試験を “ちゃんとした” ものとして認めるか、だよね。個人だと、そこに問題というか軋轢が生じてしまう恐れがあると思います。だからこそ、獣医がん学会がそういったものを審査する仕組みをつくるべきだよね。
 
--:確かに正確性は大切ですね。きちんとした臨床試験なのかは一般の飼い主には分かりません。人間のがん治療では、根拠のなさそうな情報も見られます。中には、効果がない上に費用も掛かるものもあるようです。
 
水野:効果が疑わしいものは、犬猫の場合もあります。僕らとしては、きちんとした情報を伝えることに集中することが大切だと思っています。臨床試験に関しても、(獣医がん学会などに)オーソライズされた情報を提供しなければいけないと思います。
 
--:情報に関しては、正確性の担保と効果的な発信方法の構築が課題ですね。今後、このシリーズでもディスカッションしていきましょう!


苦労して続ける理由は飼い主さんの “ありがとう”

--:さて、臨床研究の地位が上がってきたというのは良い傾向だと思います。でもまだ、前回お聞きしたように獣医学の場合は研究者人口が少ないとか、ツールがないといった悩みはあるわけですね。そうした苦労にもかかわらず、なぜ続けるのですか?
 
水野:僕だけでなく、みんな共通しているのは、「飼い主さんの笑顔が見たい」ということじゃないでしょうか。学部や大学院、アメリカに留学してポスドクをしていた頃は、臨床のサンプル(= 診察した動物の血液やがん組織)やセルライン(= 培養した細胞株)を使って実験をしていました。目的は病気のメカニズムを調べることで、その先にある “動物を治す” ことは頭になかったと思います。研究ってそういうものだと思っていましたし、それはそれで楽しかったです。

アメリカ留学中の水野先生

--:それが変わったのは?
 
水野:今の山口大学に移り、改めて「何をしようかな?」と考えた時です。日常の診療現場では、治せない場合のフラストレーションがたまっていきます。「治せないんだったら、やってる意味があるんだろうか?」って。そこで、どんな形であれ、飼い主さんにとって何か良いことにつながるような研究に力を入れることにしました。それが臨床研究です。
 
前田:僕も最初は犬のセルラインに薬を振りかけて、分子の動きを見るような研究をしていました。単純にそれが楽しかったからです。大学院の時は、水野先生と同じように病気のメカニズムを解明したいと思っていました。
 
--:研究の基本にあるのは、好奇心というか探求心なのですね?
 
前田:そうですね。
 
水野:今日何かをやって、明日、違いが見えるだけで、僕らは面白いと感じるんです。毎日何らかの結果が出て、「あ~、こういうことか」「こう考えればいいんだ」と発見することがすごく楽しいんです。それを楽しめる人じゃないと、研究を仕事にしようとは思わないのかも。
 
でもそれって、自己満足なんですよね。臨床研究を始めていいことは、その先が「どこに向かっているか」が見えていることだと思います。つまり、動物の病気を治すための研究だということです。
 
前田:僕も全くその通りで、大学院までは「どうして病気になるのか」というメカニズムの解明にフォーカスしていました。ポスドク時代は、マウスを使う獣医学の基礎研究にも取り組みました。その中でやった食物アレルギーのバイオマーカーを探す研究で、ヒトにも使えるものが見つかりました。その時は単純な嬉しさもありましたが、同時に、人に役立つ大切さも感じました。「誰かの役に立てれば嬉しいな」と思ったことをよく覚えています。
 
同時に、基礎研究だけをずっと続けるって「メンタルやられるかも」、とも思いました。マウスを使った実験は、つきつめると人工的に病気にしたマウスに薬を投与して治療をするわけで…。もちろんマウスへの苦痛は最大限なくしますが、最終的には安楽死になります。マウス実験をいくらやっても、誰かに「ありがとう」と言って頂ける機会はほとんどありません。逆に、マウスに恨まれるんじゃないか…なんて思ったりしました。
 
--:マウスも犬・猫や人間も同じ命ですからジレンマはありそうですね。「実験が最終的には多くの命を救う」ということも事実だと思いますが、それもある意味人間の論理というか…。明確な答えはないように思いますが、命の大切さというか、そうした悩みと向き合いながら研究に取り組んでおられるということが大切だと思います。
 
水野:そこは難しい問題だね。でも結局、人間の幸せって、やっぱり誰かのためになることだよね。
 
前田:臨床現場では、直接飼い主さんから「ありがとう」と言ってもらえますよね。飼い主さんや病気の犬猫と向き合って、良くなったり、悪くなったり、亡くなったり…。色々なことがありますが、亡くなった後でも「ありがとう」と言っていただけることがあります。一緒に時間を過ごして、いいこと・わるいことも含めて感情を共有できるのは臨床の醍醐味です。臨床研究も含め、「やってて良かった」と思います。これは基礎研究では経験できないことですね。
 
水野:もちろん完全な基礎研究も、絶対に必要なんです。でも、やるのは「自分じゃなくていいな」と思いました。僕は獣医なんだから、やっぱり「動物をたくさん救ったな」と思って死にたいです(笑)。ただ、二次診療って他の病院で治らない病気の動物が来るので、救えないことは多いんです。だったら、臨床研究をやることで、みんなが使える “何か” を見つけ出すことで貢献できると思ったんです。

基礎研究者のジレンマ

水野:仲の良い友人が理化学研究所にいます。日本でトップの研究所ですが、彼によると、そこの有名な先生たちが歳をとったときに、「私は何も残していない」と言うらしいです。結果が出た時、研究者はみんなジャーナル(= 雑誌)に論文を投稿します。世界の3大ジャーナルと呼ばれる「ネイチャー」と「セル」、「サイエンス」に1本でも載ったら一生安泰…とまでは言えませんが、間違いなく研究者としてはトップレベルと認められます。漫画で言えば、「ジャンプ」や「マガジン」みたいなものです(笑)
 
理化学研究所には、そういったジャーナルに毎年のように論文を載せている先生たちがいます。そんな彼らが、「一流とされる雑誌にはいっぱい載ったが、世の中に何も残していない」と言うそうです。世界的な雑誌に載れば、名誉や地位は得られます。でも、自分が「誰かのために何かをした」「何かを残した」という感覚がないのかもしれません。
 
--:「実感」が得られないのでしょうか?
 
水野:まぁ、僕がそこに載れるような業績がない言い訳かもしれませんが(笑)、僕は、誰かのために何かをして結果が見える環境が自分には向いている、ということが年齢を重ねるとともに分かってきました。
 
前田:僕も同じような話をよく聞きます。ネイチャーやサイエンスにバンバン論文を出している超一流とされる研究者が、「むなしい」とか「何にもやってこなかった」とか…。基礎研究者は、多かれ少なかれそうしたジレンマを抱えているんだと、そういうお話を聞いて理解することができました。学生時代は全然わかっていませんでしたが、自分が研究者になってそういった話を聞くと、「そうなんだな」と理解できます。
 
水野:ヒト(医療)の方も、だんだんそういう雰囲気になってきたかもね。「臨床に活かせる基礎研究をした方が良い」という風潮を感じるよね。
 
--:でも、基礎研究も、その成果は色々なところで役立っているわけですよね?
 
水野・前田:もちろん、その「はず」です。
 
水野:ただ、(論文の内容は)特殊な環境でないと再現できないことが実際にあります。もしかしたら、普遍的な現象ではないのかもしれません。もちろん、1つの発見は次の研究に結びついていきます。意義はありますが、それがなかなか見えづらく、「役に立っている」という気持ちが得にくいんだと思います。
 
前田:基礎研究の先生が「この論文、ものすごく助かりました」と他の研究者から直接言われることってなかなかないと思います。山中先生のiPS細胞とか本庶先生のPD-1のようなノーベル賞級の研究だったら、当然、言われるんでしょうけど。だから、「論文はいっぱい書いたけど、自分の研究が本当に役に立っているのだろうか?」と思うんでしょう。僕も自分がこれまで書いてきた論文が「誰かの役に立っているんだろうか?」ということはいつも思っています。「自己満足だけになってしまっていないだろうか?」って。

キャリアの終わりに「飼い主さんを救えた」という実感を

前田:でも、最近は少し変わってきました。ホームドクターの先生(一次診療の獣医師)から、「論文を読みました。ありがとうございます」とメールやお電話をいただくことがあります。飼い主さんからも、「論文のおかげで、ラパチニブで膀胱癌の治療を始めることになりました。ありがとうございます」という連絡をいただくことがあって、「こんなこともあるんだな」と思いました。
 
水野:うちの飼い主さんにもいるよ。「前田先生の論文を読みました」って。
 
前田:ほんとですか!?それはめちゃくちゃ嬉しいですね。僕が診察している飼い主さんにも何人かいらっしゃいます。飼い主さんが論文を読んで(病院に)来るってすごいことですよね。
 
水野:学生時代は、僕も研究者のあこがれとして、「ネイチャーに載りたい!」という思いはずっとありました。でも今は、「そこで終わってしまったら何があるんだろう?」と思います。人生の最期に、例えば「飼い主さん10人は救えたな」としみじみ思えた方が良いんじゃないかなと…。「ほかの病院では治らなかったのに、良くなりました!」と飼い主さんに言ってもらえたら、それに勝る喜びはないです。
 
前田:本当にそうです。
 
水野:何にも代えがたいよね。目の前の人にそんなこと言われたら。
 
--:いずれにしても、「ありがとう」の言葉が一番のやりがいということですね。先ほど水野先生がおっしゃったように、救えないことも少なくないとは思いますが…
 
水野:治らない時は、いつも辛いですよ。東京など、わざわざ遠くから山口大学まで来て頂いても良い結果にならない場合もありますし。
 
前田:正直、プレッシャーはありますよね。
 
水野:めっちゃ、プレッシャーあるね。
 
前田:僕のところにも、岡山県や秋田県から来られた飼い主さんがいました。
 
水野:もう「とにかく何とか少しでも効いてくれ!」と思うよね。
 
前田:でも、亡くなってしまった場合でも、飼い主さんから「ありがとう」と言っていただくことがあるんです。
 
水野:本当にありがたいですよ。亡くなった後、飼い主さんが研究のために「献体させて下さい」とおっしゃることもあります。わざわざ遠くからいらして下さることもあります。そんな時は、飼い主さんと「信頼関係は築けたかな」と思えます。
 
あと、臨床試験の場合は亡くなっても飼い主さんが必ず連絡をくださいます。「本当に感謝しています」という電話やメールが来ます。申し訳ない思いはありますが、ありがたいというか…。少なくとも、ある程度は満足して頂けたんだと感じることはできます。でも、辛いですね…。

前田:辛いですよね…。

当然ではありますが、研究と臨床を並行して行うことで、苦労もそれだけ多い様です。でも、その苦労を遥かに超える魅力はまだまだあるそうです。次回は、"二兎" を追いながら 海賊王ならぬ "獣医王" になれるという獣医学研究の大いなる可能性についてご紹介していただきます。


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