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X Talk 1.1- 可能性が広がる世界

初回は、抗体薬による犬のがん治療に取り組んでおられる山口大学の水野拓也教授をお迎えしました。

水野先生が2020年まで行った“抗PD-1犬化抗体薬”を用いた臨床試験では、ステージ4の “口腔内悪性黒色腫(口の中にできたメラノーマ)”で、がんが大幅に縮小する効果が確認されています。 抗PD-1犬化抗体薬は将来、多くの犬たちをがんから救ってくれる可能性が期待されています。

対談では、研究そのものの内容ではなく、獣医学研究全般についてお二人に語っていただきました。その模様を、1st seasonでは4回にわたってご紹介します。苦労や悩み、やりがいや魅力、将来の可能性など様々な側面に触れていきます。

また、獣医学研究が今、“大航海時代”にあることも分かりました。前田先生は獣医学研究という“ブルーオーシャン”で、「一緒に新大陸を見つけませんか!?」と言います。 

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苦労が多い獣医学研究 

--(ファシリテーター)水野先生の臨床試験はメディアなどにも注目されました。成果については色々な記事で紹介されていますが、そこに至るまでにはご苦労もあったかと思います。
 
水野拓也教授(以下、敬称略)もちろん苦労はたくさんありました!獣医学の一番の悩みは、研究者人口が少ないことです。そうすると、実験に必要な試薬などの“ツール”も少ないんです。何かを始める時、「これがない」「あれもない」という場面が余りにも多いのです。

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前田真吾准教授(以下、敬称略)抗体がないですよね。

水野:そうだね。一番必要なのは抗体だね。 

--:抗体というと、免疫の…? 

水野:いえ、僕たちが行う研究では、がん細胞や病理組織を分析します。そのときに、いろいろな分子を同定する試薬として使う抗体が必要です。そうしたツール(抗体試薬)を自分で作るところから始めなきゃいけない…。その試薬をるために必要なモノも揃って作いないので、「ここから自分でやらなきゃならないの?」ということが多いんです。

それから、研究者人口が少ないとデータも足りないし、分かっていないこともたくさんあるわけです。時間がかかります。
 
--:研究者が多ければ、データもツールも増えていきますからね。
 
水野:本当にやりたいのは “ここ” なんだけど、そこに至る前の段階、つまり、準備からスタートしなくちゃならない…。新しくツールを作っても、ほかに使う人がいないからお金にもならないですし(苦笑)
 
前田:まさに、その通りで。研究試薬としての抗体など、ツールが全然…
 
水野:ない
 
--:ヒトやマウスの抗体など、 既にある物は流用できないのですか?
 
前田:基本的には、解析対象の生物種に特有のものでないと使えません。犬猫に使える抗体がないんです。マウスやヒトの研究はたくさん行われているので、ツール(抗体試薬)は揃っています。マウスやヒト用の抗体試薬はニーズが高く、使う研究者も多いので試薬会社がどんどん開発します。
 
--:試薬という市場があるわけですね。
 
前田:そうです。だから、試薬会社もたくさんあります。ただ、犬猫の研究者は(マウスやヒトに比べると)遥かに少なくて、研究全体でいうとニッチな分野なんです。ビジネスとしての市場がないので、ツールも開発されていないんです。

獣医学研究は “ブルーオーシャン”

--:スタートからご苦労が多いわけですね。

前田:悩みはありますが、だからこそ面白いとも思うんです。ライバルが多くないので、若い人でも一気にトップになれる可能性があります。苦労もありますが、獣医学研究って “ブルーオーシャン*” です。(* 従来存在しなかった、まったく新しい領域に事業を展開していく戦略)

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水野:分かっていないことが多いのも、裏を返せばブルーオーシャンだしね。 

--:水野先生は、そのオーシャンに少し早い段階で漕ぎ出されたわけですね。

水野:僕もマウス(を主体として使った研究)をやっていた時期はありました。博士号を取ったあと、 “ポスドク” と呼ばれる研究員を3年半ほどやりました。大学と大学院は獣医系でしたが、まったく違うことがしたかったのでポスドク時代は医学部の研究室でマウスの免疫学の研究だけをやりました。

--:獣医学に戻られたのはなぜですか? 

水野:前田先生が言うように、マウス(研究)の世界には研究者が「こ~んなに」いるんです(笑)。はっきり「何人」かは分かりませんが、とにかく研究者人口のケタが違うんです。マウスを使った基礎研究で成果を出しても、大勢の中に埋もれちゃうことが多くなります。だけど獣医学の分野は、まだ分からないことがたくさんあります。「自分の価値が出せるんじゃないかな」と思ったんです。 

--:ご自身の価値というと? 

水野:マウスの研究は、最終的に医療(ヒト)に応用するために行います。そういう研究をしている人はめちゃめちゃいるけど、犬や猫の研究を医療につなげようという人はほとんどいません。だったら僕は獣医だし、そういったアプローチをしてみようと決めました。 

--: “ブルーオーシャン” の向こうには、ヒト(医療)という “新大陸” もあるのですね。 

水野:僕たちは動物を救いたいから獣医になったわけです。まず動物や飼い主さんを幸せにしないと、もともとの目的が達成できません。でも、幸せにできる人は多ければ多いほど良いですから、その先に、ヒト(医療)があれば理想的ですよね!前田先生は、「医療の役に立ちたい」って想いはない? 

前田:めちゃめちゃあります。それは常にありますね。 

--:確かに、前田先生の論文には、ヒト(医療)への応用に関するお考えが必ず織り込まれていますね。 

前田:むしろ、論文の査読者から「オーバーディスカッション」(= 言い過ぎ)というコメントもいただきます(笑) 

水野:「お前、そこまでは言えないだろ」って?(笑)
 
前田:はい(笑)。そんなことも言われますね(笑)。まあオーバーディスカッションは良くないですが、論文を書く時は、「夢も語らせてくれよ」って思います。水野先生がおっしゃったように、まず、今、目の前にいる動物と飼い主さんを救いたい気持ちは一番大きいです。でもその上で、例えば医学研究者が僕の論文を読むことで、間接的にでもヒトの治療に役立ったらハッピーですね。

臨床研究と基礎研究:パラダイムシフト 

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前田:たぶん我々臨床研究の人間だけでなく、獣医学の分野では基礎研究の先生も同じような意識を持っていると思います。「ヒト(医療)への貢献を示さないといけない」って…。 

水野:持ってるかな?
 
前田:僕がポスドク時代にお世話になった、村田先生(東京大学獣医薬理学研究室の村田幸久准教授)はすごく意識されていると思います。「獣医薬理学って、医学部の薬理学研究と比べると、やっぱりマイナーというか、どうしても負けてしまうよね」とよくおっしゃっていました。
 
水野:それ言ったら、 “獣医何とか学” は、みんなそうだけどね(笑)
 
前田:だからこそ、「獣医関連の基礎研究をやっているラボは、このままじゃいけない」と、村田先生はおっしゃっています。医学部や薬学部の薬理とは違う、「獣医らしさが必要だ」と。実際、村田先生はご自身の研究テーマとしてマウスやラットのようなげっ歯類だけでなく、大動物である牛も扱っておられますし、犬猫を診る私たちにも積極的に協力してくださいます。「やっぱり臨床は獣医らしさが出せていいよね」と言っていただきます。
 
--:やはり、動物を診てこその獣医師ということですね?
 
前田:でも、私が学生だった頃、10年ほど前は逆の考え方だったんです。「臨床研究なんてサイエンスじゃない」みたいな…(笑)そんな雰囲気、ありませんでした?
 
水野:あったあった(爆笑)
 
前田:ありましたよね(笑)
 
--:それはなぜですか?
 
前田:マウスを使った研究の場合、飼育環境や個体の性別、年齢など条件をすべて揃えます。臨床研究では診察に来た動物が対象なので、条件はバラバラです。例えば、薬Aと薬Bを投与して効果を比較するときも、臨床研究では条件を揃えることはできません。
 
そうすると、本当に効果があるのか、それともないのか、「科学的な判断はできない」と少し前までは考えられていました。「臨床研究はサイエンスじゃない!」と、基礎の先生や友人にかなり言われました。あの頃、基礎研究をしている人たちには「臨床研究なんて…」という風潮がかなりあったと思います。
 
水野:多分、医学部もそうだったよね。
 
前田:そうだと思います。それが、今は基礎研究と臨床研究の立場が完全に逆転したんじゃないかと思います。基礎研究では条件を人工的に揃え過ぎていて、現実を表していないと考えられるようになっています。(実験用の)マウスのように、常に一定の気温や湿度のもとで暮らしている、同じ種類の同じ年齢の動物が同じ病気で治療を受けに来ることはありません。
 
それからマウスの場合、同じ系統であれば遺伝子も全部同じです。人間はもちろん犬猫でも、そんなことはあり得ません。今まで臨床研究の欠点だと考えられていた不揃いな条件が、「それが現実」というメリットとして捉えられるようになりました。現実に起こっていることを解析できる利点にスポットライトが当たったことで、完全なパラダイムシフトが起こっています。
 
水野:例えば、ネズミで開発された薬をヒトに使った場合、効かなかったり副作用が出たりするケースがとても多いんです。製薬会社が頑張って開発しても、ほとんどが臨床試験の “フェーズ1” で落ちちゃう…。前臨床試験が終わって人間に使用した段階で、「全然ダメ」ということがほとんどです。
 
特殊な条件下でネズミを使って行った研究がうまくいっても、実際のヒトで起こることは違うということが分かってきました。「実際の臨床サンプルを使ってやらなければだめなんじゃない?」という流れになってきていると思います。
 
--:そうなのですね。薬など医療の研究というと、素人にはマウスのイメージがまだ強いですが…。パラダイムシフトが起きた要因は何なのでしょうか?
 
前田:近年、次世代シーケンサー**が登場したことで、ビッグデータを使った大規模解析ができるようになったのは大きいと思います。臨床研究も、やり方次第で科学的な結果を出せることが認知されてきた印象も受けます。(** 次世代シーケンサー:DNA情報を大量に高速で解析できる装置)
 
水野:1990年代に “ノックアウトマウス” と呼ばれる遺伝子改変マウスが作れるようになりました。その結果、1990年代後半から2000年代にはマウスを使った研究が一気に盛んになりました。すごく色々な研究が行われましたが、実際の(ヒトの)病気はそんなに甘くなかったんでしょう。
 
2000年過ぎにゲノム(=すべての遺伝子情報)が解析されたことと、2005年あたりから次世代シーケンサーが使えるようになったことなど、いくつかの要素がマッチして認識が変わったんだと思います。

獣医学研究は、苦労が多い一方で新しい発見の可能性も高い "ブルーオーシャン" だそうです。臨床研究が進めば、犬や猫たちだけでなく私たち人間の健康にも役立つ "新大陸" が見つかる期待も高まります。次回は、そんな獣医臨床研究の魅力について、もう少しお話をうかがいます。

写真提供(水野先生・前田先生):REANIMAL


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