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いろんな"がん"をやっつけたい - X Talks 8.1 -

獣医学研究者による対談シリーズ、“VET X Talks” (ベット・クロストークス)。8回目のゲストには山口大学の伊賀瀬雅也助教をお迎えしました。伊賀瀬先生は、この対談の1回目に出て下さった水野拓也教授と同じ研究室でがんの研究に取り組む一方、山口大学の動物医療センターで臨床にも携わっておられます。2024年4月からは、埼玉県の「日本小動物がんセンター」で兼務を開始し、山口と関東の2拠点でイヌやネコのがん治療に関する臨床試験を実施するとのこと。

伊賀瀬先生が臨床と研究を続けるモチベーションを伺ったところ、獣医師になる前に出会った2頭のダックスフンドとの思い出と、「たくさんの命を救いたい」という強い想いを語っていただきました。様々な治療のサポートができる汎用性の高い薬剤の開発をめざし、「腫瘍の代謝」を調節する新しいアプローチの研究をしているそうです。

「病気を診られる研究者でありたい」とおっしゃる伊賀瀬先生をお迎えした第8シーズンも、4回にわたって様々なエピソードをご紹介していきます。


"代謝"に注目したがん治療の研究

--:早速ですが、今回はどんなテーマでお話しますか?
 
前田真吾先生(以下、敬称略)VET X Talksは、主に獣医学生さんや獣医師の先生、そして獣医療に興味のある飼い主さんに向けて獣医学研究の魅力を語るっていう趣旨です。そこで今回は、若手のホープとして伊賀瀬先生に来ていただきました!
 
伊賀瀬雅也先生(以下、敬称略)ホープだなんて…(笑)今回、特に“お題”をもらってないんで、「何を話せばいいんやろう?」とドキドキしながら来てます(笑)
 
前田:いつもフリートークだから大丈夫(笑)じゃあ、伊賀瀬君が今やっている研究から話してもらいましょうか。
 
伊賀瀬:はい!ありがとうございます!今取り組んでいるのは、腫瘍の代謝に関する研究です。研究室のボスである水野先生(山口大学・水野拓也教授)は、がんの免疫治療を長年研究されています。それで、僕も(獣医)学部時代から大学院まで、ずっと、がん免疫を研究してきました。その中で、独自のテーマとして注目したのが腫瘍の代謝なんです。
 
--:腫瘍の代謝というのは…?
 
伊賀瀬:代謝ってけっこう広い概念なんですが、今研究している代謝は、がん細胞が糖分を使ってエネルギーを得る仕組みです。その中でも、特に腫瘍がグルコースをエネルギーに変える代謝に注目しています。グルコース代謝はあらゆる種類の腫瘍が行っているので、そのプロセスを狙う(≒ブロックする)治療薬ができれば色々ながんの治療につながると考えています。
 
前田:グルコースというのは、ブドウ糖のことです。
 
--:細胞がブドウ糖を分解してエネルギーを作るのが代謝と理解すれば良いですか?
 
伊賀瀬:はい。がん細胞が糖を分解してエネルギーを作り、その結果、乳酸ができるっていう仕組みです。これは、がん細胞だけでなく正常な細胞にも備わっている機能です。でも、正常細胞は酸素がある状態では、効率の良いミトコンドリア(※1)の代謝経路でエネルギーを作り出します。正常細胞は、酸素の有り無しに応じて代謝経路をスイッチしているんです。

(※1:酸素を利用してエネルギーを作り出す、細胞内にある小器官)

前田:ミトコンドリアによる代謝は「電子伝達系」と言って、酸素が必要なんです。
 
伊賀瀬:でも、腫瘍は酸素の有無に関わらず、常にグルコースを分解して乳酸を作る「解糖系」と呼ばれる代謝に依存しています。100年くらい前に見つかった「ワールブルグ効果」と言います。

幅広い動物種の色々な病気を治す可能性

--:その解糖系の研究が、なぜ色々ながんの治療に役立つ可能性があるのですか?
 
伊賀瀬:この代謝特性は、腫瘍の種類や動物種が違っても基本的には同じなんです。ワールブルグ効果は色々な腫瘍で動物種を越えて起こっているので、幅広い治療法のヒントが見つかる可能性を秘めています。僕は「色んな動物の色んな病気に適応できる治療法を見つけたい!」という想いがあって、腫瘍の代謝を研究することにしたんです。
 
--:ワールブルグ効果は人間でも同じですか?
 
伊賀瀬:人間でも見られます。イヌもネコも、マウスも同じです。腫瘍に限らず、細胞が生きるためにはエネルギーが絶対に必要です。その供給を止めれば、細胞は死んでいきます。色んな動物の病気の原因を狙える治療方法を研究しています。
 
--:病気の原因となっている細胞、例えばがん細胞にグルコース代謝をさせないようにするわけですね?簡単に言えば、がんを餓死させるようなイメージですか?
 
伊賀瀬:そうですね。ただ、実際はそれほど簡単な話ではないんです(笑) どこかの経路を止めると別の抜け穴があったり、経路が切り替わったり。とても複雑なんです。多くの研究者が取り組んでいますが、なかなかうまくいっていません。
 
--:伊賀瀬先生は、何か独自の工夫をされているんですか?
 
伊賀瀬:同じことしても多分うまくいかないので、僕は代謝経路を止める「中へのアプローチ」ではなく、細胞の「外を狙う方法」をトライしています。代謝によって出てくる乳酸も“悪さ”をしているのがわかっているので、乳酸を止める方法を研究しています。これは今まであまり試されていません。

免疫療法をサポートする"縁の下の力持ち"

--:ブレークスルーがありそうですね!
 
伊賀瀬:今までの研究では、細胞内の代謝を止めて餓死を狙いますが、僕の方法で餓死はしません。代謝の結果出た乳酸が腫瘍細胞を増殖させたり腫瘍に対する免疫力を低下させたりするのを止めることで、間接的に治療効果を発揮するのではないかと考えています。がんを直接「叩く」のは、(抗がん剤など)別の治療を組み合わせて行います。

乳酸をターゲットにした治療は間接的な効果なので、ほかの治療法と併用しないと、たぶんうまくいきません。その一方で、どんな動物でも、どんな腫瘍に対しても使える可能性があります。
 
--:私が思ったほど簡単ではないですね…。
 
前田:(腫瘍細胞を)餓死させる方法では、正常な細胞も死んでしまいます。だから、恐らく副作用もすごく出てしまうと思います。
 
伊賀瀬:そう思います。
 
前田:酸素が十分ある状態で解糖系を止めれば、がん細胞だけを殺せるんじゃないかと考えて色んな研究者がトライしてきたんだよね。でも解糖系って複雑なんで、たくさんある経路の中の1つを止めても、別の経路から代謝が進んじゃって、うまくいってないってことだよね。
 
伊賀瀬:その通りです!
 
前田:伊賀瀬君は、がん細胞の中の解糖系を止めるんじゃなくて、解糖系の結果出てきた乳酸に着目しているという理解であっていますか?乳酸って免疫のコントロールにも関わっていることがわかってきているから、そこを狙ってる?
 
伊賀瀬:まさにその通りです!出てきた乳酸が免疫細胞に影響を与えたり、もう1回腫瘍に取り込まれてエネルギーに変わったりすることがわかっています。だから乳酸を止めることで、前田先生や水野先生が研究されているがん免疫療法(= 患者の免疫力でがん細胞を叩く)の効果を増幅させられるんじゃないかと考えています。
 
--:乳酸が免疫系に影響を与えるんですね?
 
伊賀瀬:色々な報告があります。前田先生が研究されている制御性T細胞(※2)を活性化したり、数を増やしたりすることが分かっています。そうすると抗腫瘍免疫が抑制されるので、がんは成長してしまいます。最近では、免疫を抑制する性質のあるマクロファージ(※3)を増やすこともわかってきました。

細胞傷害性T細胞(※4)の機能も抑制するので、乳酸は全体的に抗腫瘍免疫を落とすんです。乳“酸”なので、腫瘍組織の中にたまるとがん細胞の周囲が酸性の環境になります。これもまた、がんにとっては成長しやすく免疫細胞には不利な環境になるという面もあります。

(※2 免疫の働きを抑制する方向に働く細胞)
(※3 病原菌やウイルスなどの異物を食べて死滅させる白血球の一種)
(※4 ウイルスに感染したりがん化したりした異常な細胞を破壊する細胞)

前田:そうすると、併用するのは、がん免疫療法を考えているんだね。化学療法はどうですか?
 
伊賀瀬:ケモ(ケモセラピー、いわゆる抗がん剤の投与による治療)との併用も考えています。分子標的薬も含めて、色々な抗がん剤と組み合わせられると思っています。

がんを「そ~っと」やっつける

--:動物種も腫瘍の種類も、それからメインの治療法も限定されないというところが強みですね。
 
伊賀瀬:汎用性は、僕の研究における重要なコンセプトの一つです。専門分野はイヌやネコですが、そこからヒトにも応用できるものが見つかれば良いなと思います。それから、動物だけだと市場が小さいので、一つの腫瘍に限定されず、色々な薬と併用することで幅広く治療効果が上がるのは大切だと思います。ちょっとビジネス臭くはなりますが…。
 
前田:いや、それってめっちゃ大事だよね。
 
伊賀瀬:もう一つのコンセプトは、“やり過ぎない”ってことが案外重要じゃないかと考えています。がん細胞って賢いので、1つの経路を断っても絶対に別の経路を作るんです。だからなるべく腫瘍に気づかせないよう、攻撃的過ぎないのも大事かなと思います。がんに気付かれないように、そーっとやっつける!(笑)
 
前田:なるほど、それはおもしろい視点!
 
--:前田先生との研究ともコラボできそうですね。
 
前田:実はもうコラボしてます(笑)
 
伊賀瀬:前田先生からはサンプルをいただいて、アドバイスももらいながら研究を進めています。僕は(前田先生に)のっかっているだけですが…(笑)先ほどもお話したように、「いろんな人に使って欲しい!」という気持ちが強いんです。補助薬として間接的に攻撃することを狙っていますので、たくさんの方々に使って欲しいんです。
 
--:師匠である水野先生の抗PD1抗体薬とのコラボは?
 
前田:そこ、気になる!
 
伊賀瀬:もちろん考えているのですが、まだ実現できていないんです。抗体薬は「バイオ医薬品」と言って、生物学的製剤なので作るまでの技術的なハードルが高いんです。イヌの抗PD-1抗体薬の製品化まではなかなか進まないし、お金もかかります。

効果のないサプリの氾濫は「僕らの責任でもあります」

前田:抗体薬の商品化はかなりハードルが高そう。厳しいだろうね。
 
伊賀瀬:(小動物臨床だと1つの薬で)開発費が10億円はかかりますよね。その後、臨床試験のお金もかかります。費用は売り出した後に回収しないといけないじゃないですか。国内の動物用医薬品メーカーだと、どこもなかなか難しいと思います。
 
前田:特に、がんって意外と市場が小さいからね。
 
--:がんの場合、動物では効果の怪しそうなサプリメントの広告をよく見る印象がありますが…。
 
前田:薬がないから、(飼い主さんは)サプリを求めてしまうのかもしれません。おっしゃる通り、けっこう売れてしまうので製薬業界はそっちに流れちゃってる…。
 
伊賀瀬:サプリメントは効果・効能を謳わないので、「安全なら(≒危険がなければ)大丈夫」という形で認可されやすい事情もありますね。メーカーは継続的に利益を確保するために(新製品を)出し続ける必要があります。結果的にサプリが増えて飼い主さんが手に取っちゃう…。
 
--:実際にサプリを与えている飼い主さんは多いですか?
 
前田:僕がやっていたイヌの移行上皮癌や前立腺癌の臨床試験に参加していただいた飼い主さんの中にも、何かしらのサプリメントを飲ませている方や、これから飲ませたいと相談される方が結構いらっしゃいました。特に問題なければ「いいですよ」とお答えしているんですが、サプリを始めてから下痢や嘔吐が始まったこともありました。その場合は「一度サプリメントをやめてみてください」とお伝えすることもありました。
 
伊賀瀬:「このサプリ、飲み続けた方が良いですか?」とよく聞かれますが、僕ははっきり「効果はありません」と言うようにしています。でも、飼い主さんは何とかして自分の家族を治したいって考えています。こういう状況にしてしまったのは、僕たちが良い薬を開発できていないからだと思っています。「研究をもっと頑張らないと!」ってすごく思います。
 
僕らも普段、口内炎ができたらビタミンのサプリを飲んだりしますよね。そういうのは良いと思うんですけど、「がんが治る」みたいなのは…。ただ、そういう状況を生んでいるのは僕らの責任でもあると思いますし、僕の研究に対するモチベーションの一つでもあります。
 
前田:ですね。すべてのサプリメントが悪いと言うつもりは決してないけど、「これを飲めばがんが治る!」みたいな広告はどうなんだろうと。それでがんが治るならノーベル賞級の発見なんですが…。
 
伊賀瀬:それで治るなら僕らも是非使いたいですよね。だからこそ、もっと研究を頑張ろうと強く思います。

冒頭からワールブルグ効果など専門用語がたくさん登場した今回の対談でしたが、"かかりつけの獣医さん"のような優しい雰囲気が印象的な伊賀瀬先生。「とにかくたくさんの動物たちを救いたい」という気持ちが伝わってきましたが、この理由は次第に分かっていくことになります。

次回は、画期的な考え方であるZoobiquity(ズービキティ)などにも触れながら、"横のつながり"を広めていく大切さについて話が進みます。

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