そんな惨めで、うつくしい作業があるのかい

久しぶりにラーメンを麺から手作りして食べた。ひさしぶりに家族全員が揃った日で、昼ごはんを一緒に食べようという時は、ラーメンを麺から作ろうとなる日が多い。ちょっとしたお祝い気分だ。


うちには製麺機がある。私が大学生の時に合羽橋で買った。生地を薄く延ばして好みの幅に設定し、あとは裁断してくれる。つまり、ほとんど全部してくれる。わたしがすべきことといえば、くるくると取手をまわしているだけ。それで勝手に麺が出来上がる。


沸騰した湯で一分も茹でれば出来上がる。急いで湯切りし、スープの中にぽーんと放り込んでいく。


弟が鶏がらラーメンが食べたいというので作ることにした。うちには鶏がらラーメンに関しては、店が出せるくらいのいいレシピがある。じいちゃんが定年退職して、時間を持て余して作り出した。なんでもこだわる人だった。


十年ほど前に癌で逝ってしまい、レシピだけ残った。ばあちゃんはそれを受け継いで、孫が遊びに来た時だけそのレシピをいそいそと出してきた。


焦りは禁物。じっくりと煮た鶏がらは近くの精肉店で買ってきたものだ。普段は売っていないのだが、そこの店主じいちゃんの同級生だったかなにか。昔の友情のよしみで、鶏ガラやら牛筋やら、豚骨やらを格安で分けてくれる。鶏ガラなんてバケツ一杯でたったの三百円だ。


それを午前中に煮込む。濾してクリアにしたら、チャーシューの漬け汁を解いてスープにする。このチャーシューの漬け汁は気を付けたい。生姜、にんにくが多すぎても少なすぎてもいけない。隠し味は、葱ではなく玉ねぎ。玉ねぎのうま味成分の方がラーメンに断然あう、とじいちゃんは豪語していた。


トッピングには若布ともやしを山ほど。半分に切った半熟卵と白髪ねぎをたっぷりのせて。


麺、つゆ、トッピング。全て一から作ってみたい家族だ。



海外では、会話に花を咲かせて食事をゆっくりとるんだって。スペインやイタリアでは夕食を17時くらいから始めてそれが夜中まで続くらしい。日本人ももっとゆっくり食事を楽しみながら会話を、なんていう人がいるけれどどうだろう。

出来立てのラーメンを前に、本当にそれができるだろうか。


出来立てのラーメンはそのおいしさに一同黙った。麺をすする音だけが台所に響く。私はこの雰囲気は大好きだ。美しい時間だな、と思う。会話はなし。目の前にある食事を最大限、楽しむ。ただそれだけ。


みんなで食べていても、味わっているのは自分だ。自分だけの世界に浸ることだって、自分との会話を大切にしているといえる。楽しい会話は、食事の後にしたっていい。いまは、目の前の楽しみに溺れればいい。


と、ものの三分で食べきってしまったことを正当化する持論が頭に浮かんでは消えた。だって、ラーメンだ。早く食べないと。


ところで、東京に住んでいた頃。一度だけ、看板を出していないラーメン屋に入ったことがある。グループお断り、おしゃべりお断り、と壁にあった。だからカップルでもお互いを知らない人のように、ひとりひとりおごそかに席について行く。注文時も券を見せるだけだし、替え玉なら、黙って百円を
置けばすぐ出てくる。


みんな一様に背を丸め、汗を流し、目の前のラーメンと格闘する。


それでいい、それで正しい。
食事を楽しむとは、孤独と自分を同時に見比べるような、そんなみじめで美しい作業だからである。


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