愛が重めのメトロポリタン美術館展レポート
先日、休暇を使って大阪で開催されているメトロポリタン美術館展に行ってきた。
アメリカのメトロポリタン美術館が改修中ゆえ、常設展の主要作品をこれだけ集めることが出来たそう。
来日した全65作品のうちなんと46が日本初公開。「美の宴が始まる」というタイトルの通りほんの一瞬も飽きさせない豪華なラインナップで、胸がいっぱいになったりにやけたり泣きそうになったりと大変忙しかった。
昨年冬、第3波が猛威を振るい始めた時期に「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」を断念したこともあって、久しぶりに美術に浸れた最高の時間を興奮冷めやらぬうちにレポートします。大変長いです。
会場までのアクセス、チケット、入場について
会場は大阪市立美術館。天王寺駅で降りて一度地下道に入り、公園側へ出る。そこからカフェなどが並ぶ道を少し歩いて到着。
入場時間指定のオンラインチケットを事前購入していたので、QRコード見せてサクッと入場。入場前、サーモグラフィーでの体温チェックあり。
入ってすぐ左側にコインロッカー(100円/解錠時返却)。平日午前中でも大混雑だったので、荷物が多い場合やコートなどは預けた方が良いかも。
全三章の展示構成と、その中身
Ⅰ 信仰とルネサンス
15〜16世紀のルネサンスに描かれた宗教画が多く揃っていたこの章。
それまでの中世絵画と比べると人物の人間味や立体感、背景の遠近感にこだわった描き方が特徴的。
背景の山々とそこまで延々と伸びる道、(わざわざ)小さく描く人たちなど、“自分遠近法ちゃんと使いこなしているぞドヤァ”という声が聞こえてきそうなほどにわかりやすく取り入れていて面白い。
そんな中で周囲の絵とは明らかに一線を画し、際立っていたエル・グレコの「羊飼いの礼拝」。
全体的に暗い状況下で、産まれたばかりのイエス(中央)が放つ光で周りが照らされている様子がありありとわかる。
光を光として描かず、周りの照らされ方の強いコントラストで伝えてくるこの神々しさは展示室の中でもとても目立っていて、常に人だかりが出来ていた。
もう一つ、個人的にルネサンスの宗教画を見る上で外せないポイントが赤子の可愛くなさ(笑)。 今回の展示でもしっかり感じた。
これは画家の画力の問題ではなく、イエスという絶対的存在を他の赤子と差別化させるために威厳や凛々しさ、オーラを表現しようとした結果なのだけど。(そしてそもそも、当時の価値観として赤子の絵に可愛さを求めていたのかもわからない)
山田五郎さんの著書には、こんなレベルではない可愛くない赤子達が結集していて面白い。嘘やんと思うほど可愛くない。
Ⅱ 絶対主義と啓蒙主義の時代
17世紀から栄えたバロック美術と、18世紀フランスのロココ美術を中心とした章。
ここから人間の描き方がより人間らしく、血色感あふれるものになっていく。最たるものはやはりルーベンスで、その存在感と上手さといったらもう圧巻だった。
ルネサンスまでは、あなた一体どこ見てるの?感が否めないのも多かった中、この絵は視線が対象にしっかりフォーカスして、かつそれは愛のある眼差しであることがわかる。
ムリーリョもまたしかり。優しいマリア様描かせたらムリーリョが大優勝。赤子イエスも血色感あって、髪がふわふわで、むちむちで可愛い。
そして今旅の一番の目的だった、大好きなフェルメールはこの章でご対面。
まず予想外のサイズにびっくり。大塚国際美術館の陶板や、2017年のフェルメール展で見た「牛乳を注ぐ女」から、これも小さな絵を想像していたけど、実際は見上げるような大きさだった。
フェルメールの好きなところはなんといってもハイライト。
この絵で言えば、女性の首にかかっているパールの白は勿論、絵右上の十字架に掛けられているイエス像の光り方、スカートのつやつや感。
そして一番ヤバいのが、天井から垂れ下がっているガラス球の反射。一見スルーしてしまいそうだけど、球のなかにしっかり部屋が奥行きとともに描かれている。
左側に並ぶ窓、手前の丸いものは絵の具や画材?
細かいよ、そんなところが大好きだよフェルメール・・・
左に大きく描かれているカーテンの柄や布感の表現もとても良かった。織りを表現するために点描のようなタッチで、一つ一つ筆跡を感じられた。
ロココ期の華やかさを存分に感じられるジョシュア・レノルズの作品。子どもたち可愛すぎる。
マリー・アントワネットの専属画家を務めた女性画家、エリザベート・ルイーズ・ヴィジェ・ル・ブラン。
この女性はマリーではないけど、ひと目見て彼女の作品とわかる眼差し。
この絵が、一回り以上離れた相手との嫁ぎ先から以前の恋人に贈るために描かせたものと考えると、更にこの表情の深みがぐんと増す。せつない。
女性が教育を受けることがきっと当たり前でなかった時代にこの画力。人物は勿論のこと、ソファのベロアの質感やドレスの素材の透け感にうっとりする。
華やかさと高貴さの両立、紅の差し方、笑いすぎない品のある表情など、女性画家だからこそ理解できたこだわりポイントは沢山あると思っていて、そういう意味で「自分を盛りたい」貴族にとって彼女の絵は魅力的だったと思う。マリーが「専属」として手元に置いておきたかった気持ちもわかる、私でも描いてほしいって思う。
Ⅲ 革命と人々のための芸術
フランス革命に代表される19世紀で起こった時代の大きな変遷とともに、絵画にもやってきた波。
この章は、これまでのアカデミズムからロマン主義、写実主義(レアリスム)、そして印象派までの目まぐるしい流れが体感出来た。
自分が彫っている大理石像に恋してしまった彫刻家ピュグマリオンと、命を吹き込まれたガラテア。様々な画家がこのギリシャ神話を題材に絵を残しているけど、一番有名なのはこれだと思う。(中野京子さんの著書の表紙にも使われていて、私はこれで知った)
きれいな肌と均整のとれたプロポーションは理想美を追求したアカデミズムそのもの。そしてこの隣に並べられていたのが、リアリスムの代表格ギュスターヴ・クールベの作品。
ありのまま一切盛ることなく描いているのがわかる、裏もものぼこぼこした脂肪や締まっていないお腹。
この2作品を並べるだけで、アカデミズムとは?リアリスムとは?を感覚的につかめるなと感動した。
これのタイトルにわざわざ「若い」とつけるのがまた彼の性格を物語っている気がする。
もう一組。
生涯で二度、タヒチに渡ったゴーギャン。
この隣に、ゴーギャンがタヒチに渡る前アルルに彼を呼び寄せたフィンセント・ファン・ゴッホの作品があった。
ゴッホが画家仲間へ呼びかけたアルルへの誘いに、唯一応えたゴーギャン。
この絵が2人が共同生活をした9週間の間に描かれたものかはわからないけど、ゴッホがアルルの土地に魅せられて、沢山の色を使って、幸せのうちに筆を走らせているのがわかる。
一方でゴーギャンの絵は1892年。
2人の共同生活は崩壊し、ゴッホは最終的な療養先であるオーヴェール=シュル=オワーズで1890年に他界した。こののちにタヒチを目指したゴーギャンが1度目のタヒチで描いた絵。
これからの生活に胸を踊らせていたゴッホのアルルでの絵と、アルルとゴッホに見切りをつけ自らの理想郷に向かったゴーギャン。
この2つの作品の間にある時間と、2人の思いを考えただけで泣けてしまう。
モネの「睡蓮」は最晩年の頃の作品。音声ガイドの解説の通り、抽象画を思わせるようなタッチ。初期の睡蓮のように俯瞰した構図ではなく、蓮の葉や花の形状はいまいち掴めない。
けれどこれこそ、当時の白内障に侵されていたモネが見た景色を感じ取る最たるもので、モネの気迫を感じた。
この章はゴッホやモネの他にもルノワール、ドガ、マネ、セザンヌなど、西洋絵画にそこまで詳しくなくても一度は聞いたことあるような巨匠たちの作品がずらっとある。3章を目的に行くのも、十分見応えがあると思う。
グッズ売り場で大学生らしき女性2人組が「りんごの絵かわいかった」「それ誰だっけ」「セザンヌ」「セザンヌ?化粧品じゃん」と話してたのはちょっとずっこけたけど。
作品の画像は全てメトロポリタン美術館公式サイトのオープンソースからいただきました。
高解像のデータで、拡大して細部まで観察できる。凄い時代だ。
九州在住者としてはこの時期に大阪へ行くのは結構迷ったけど、本当の本当に行ってよかった。機会があればぜひ!このあとは東京にも巡回するみたいです。
頂いたサポートは書籍購入費を中心に、発信に関わる使い方をさせていただきます!