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ビザンツ時代の教会を訪ねて@トラブゾン&アクチャアバット ― 2度目のリゼ出張にて、2014年12月

*Twitterのモーメントにまとめた過去ログのうち、
失いたくない旅の記録をこちらに移行させることにしました。
(2022年11月20日、Verde*Antalya
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2014年12月2~4日、黒海地方にあるリゼへの出張の空き時間
(クライアントのミスで合計10時間待ち!)
にトラブゾンとアクチャアバットに残るビザンツ時代の教会
(現在はモスクになっているものが多い)を訪ねた時の記録です。

最後に、出張前からすでに予感されたドタバタの顛末と
クライアントの愚痴が入ってます。
(もうさすがに時効でしょう)
予めご了解ください。

ちなみに初めてのリゼ出張の記録はこちら。

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実は出張初日、空港でクライアントの到着まで5時間待つことになったので、タクシーで市内まで出、この町最古の教会のいくつかを見て周ることにしたのでした。

入口上部には、ローマ時代のものと思われる剣闘士と勝利の女神ニケの浮彫のある大理石が用いられており、教会としては不思議な雰囲気を醸し出している。
9世紀後半の修復時にローマ遺跡から持ち出し流用したものではないかと想像。
大理石の上下に嵌め込まれた、それぞれ意匠も異なる繊細な十字架の浮彫も気になる。
Küçük Ayvasıl (St. Anna) 教会の内観
アプシス(後陣)外観。街灯が非常に残念。
ボズテペから見晴るかす黒海とトラブゾンの町
トラブゾン博物館に展示してあった中世期の町の様子が分かる平面図。2本の渓谷を天然の堀として利用し、切り立った崖の上にさらに城壁を築いた険固な城塞都市だったようだ。
旧アヤソフィア博物館であるアヤソフィア・ジャーミー
(マヌエル1世コムネノス時代の1250~60年頃に建設)。
1461年のファーティヒ・スルタン・メフメットによる征服後モスクに改造された。
第一次大戦中には倉庫や病院として使用。
1964年博物館として公開されたが、2013年からは再びモスクに。

こうして2時間ほどタクシーで回ってもらい、1時間前に空港に戻り、Wi-Fiのあるカフェで時間をつぶしたのですが、到着時刻直前になりクライアントからイスタンブルからの便に乗りそこねたので、次の便で来るという連絡が入ったのです。いったん外に出て運転手と落ちあい、その旨を訪問先に連絡してもらいました。

次の便までさらに5時間待つことになったのですが、市内観光は済ませてしまったので特にすることがありません。(スメラ修道院は遠すぎるし雨の中ハイヒールで登る気力はありませんでした)昼食は済ませたかと訊かれ、まだだったので昼食に連れて行ってもらうことにしました。

トラブゾンの隣町、アクチャアバット(トラブゾンの西13km)の名物
アクチャアバット・キョフテ。
美味しいことは美味しいが、香辛料を使ってないので肉の臭いが結構した。
しかし、キョフテ&ピヤズ(白インゲン豆サラダ)の組み合わせは全国的なものらしい。
海沿いのレストランの窓外に船が2~3隻見えた。
建設で利用される海砂利の採集船だという。

食事を終えてもまだ3時間あるので、アクチャアバットの旧市街オルタ地区に足を伸ばしてもらうことにしました。 オルタ地区にはこの地方の伝統家屋と古い教会が1~2か所残っているようです。

↑前部と書いたのは後陣側、後部と書いたのは本廊側の間違い。
また、この時は自然石だと思ったのだが、青い色の自然石はそうそうないと思うので、
大理石の上から塗った色が風雨に晒されて自然に剥げ落ち、フレスコ画的な色合いに落ち着いただけなのであろう。しかしその寂れ加減が、たまらなく美しいのだ。
この時は中には入れなかったが、
大理石モザイクの床などが残っているよう。

最後に、リゼでいただいた食事の写真をば…

まずは黒海料理いろいろ。
時計回りにムフラマ(トウモロコシ粉とバター、チーズを練りながら煮たもの)、サチ・カヴルマ(羊肉と野菜の鉄板炒め)、カヴルマ入りピデ、さやいんげんの漬物の炒め物。
ケバブの盛り合わせ
中に押麦やうずら豆等数種の穀物が入ったチョルバで、美味しかった。
ムフラマとさやいんげんの煮物、サチ・カヴルマ、ケールのサルマ。
器がすべて銅製品(錫メッキ)で出てきたのが珍しい。

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ここから先は出張前からすでに始まっていたドタバタと出張中のクライアントの様子について愚痴った当時のツイートになります。
(もう時効でしょう、時効扱いでいいですよね?)
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3度目以降のリゼ出張についてはこちらに続きます。


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