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神威の剣

 私は毎日夢を見る。
 そして夢の記憶は鮮明だ。
 あまりにおもしろいので夢日記をつけていたこともある。
 夢日記をつけていた頃、実際の噴火の予知夢も見たことがある。

 最近はほぼ毎日犬の夢を見ていたけれど、今朝は久々によくわからないけれど記憶に残る夢を見たのでここに書く。

 夢の中でなぜか自分は髪を二つに結った巫女の服を着ていた。でも髪飾りが三か所外れた感じで髪が落ちた。
 そして神官みたいなじーさんに剣を渡された。
 刀の幅が太いその剣は「カムイのつるぎ」だという。
 頭の中で漢字が「神威」に変換された。銀魂の推しの影響か?(笑)

 その剣の切っ先をじーさんに向けて、かまえようとするんだけど、じーさんは「そうじゃなくて、女が扱う場合はこのようにする」と、なぜかゴマをごりごり擦るみたいな、火を起こすみたいな動作を剣の上でして、私はそれを真似た。

 ただそれだけの夢だけど、何の影響でこんな夢みたかわからなくて、とりあえずネットで「カムイのつるぎ」を検索すると、昔あったアニメにヒット。

うーん、まったく見た記憶がない。かすりもしない。

 ただあらすじに「キャプテン・キッドの宝を探す」というキーワードがあって、キャプテン・キッドって以前私が書いた小説に海賊の少年船長キッドが出てくる。

 どこかで何かの影響やつながりがあるんだろうか。それにしたって覚えてない。もし何かどこかで見たんだとしても、この作品を見たからインスピレーションを得たというより、そもそも何かインスピレーションを感じるものが自分の中にあったんじゃないかと疑う。

 それに夢の中では「神」「女」「剣」がキーワードだった。

 何かの記憶の影響を受けて私はこの物語を書いたのだろうか。
 そう考えるとおもしろいかもしれない。

「神ひらく物語」

 ちなみにこの勾玉編の中の「南多島海編」にキッドが出てくる。
別に財宝を探す話ではなく「神を探す」物語

 それにしても夢というのは時として小説よりもおもしろい。
 そして自分が認識する「現実」とも繋がっているし、その境は曖昧だ。

 鮮明に見た夢は、それこそ過去の思い出の記憶以上に覚えていて、今も残ってる。

 例えば、私が親しくしていた人が亡くなった直後、私が見たその人の夢。

 私はその人が一人で暮らした部屋にいた。
 見知らぬ人たちが荷物の整理をしていた。
 誰も私には気づかず、部屋のものを色々片付けている。
 ふと見ると、いつからいたのか、友人が横に立っていた。
 誰も私に気づかないのに友人だけは私に気づいた。
 そして友人は私に大切なものをくれると言った。
 それは実際友人が大切にしていた水晶だった。
 私は水晶を受け取った時、「なーんだ、お金じゃないんだ」と冗談とも本気ともつかず言った。
 すると友人は少し悲しそうな顔をした。
 それと同時に受け取った水晶の内側に白い煙のようなものが充満してきて、水晶はみるみる濁った。
 私は激しく後悔し「冗談だから!本当はすごくうれしかった。大切にするから!」と言いながら、その部屋ごと消えていく夢。

 それと同じ時かどうか忘れたけど、私は背中の骨のずれが気になって朝方もぞもぞ動いたとき、その友人が私に体の動きを指示して、整体でゴキっと骨のズレを治すみたいになって、体が治ったこともある。

 あーそういえば、この前述の物語でも主人公の勾玉は水晶だった。
 それは目には見えないけれど、輝きは内なる神性の中にある。

 水晶をくれた友人は、私にとってマスターだった。
 あの物語を最後まで読んで、そして一人であの部屋で亡くなった。
 亡くなる直前まで連絡を取ったのはおそらく私で、最後まで明るく変わりない様子だった。

 物語では主人公が神の剣と鏡を探す冒険に出る。
 この剣と鏡を使って神の扉を開く。
 その扉を開く鍵となるのが「勾玉」だ。

 思えば夢の中でどうして自分の姿がわかったかというと、何かに姿が映ったからだ。あれは鏡だったのだろうか。

 そして夢の中で受け取った剣とその使い方。

「神ひらく物語」は女性性もテーマになっている。

 自分の中に蓄積する様々な記憶とインスピレーション。

 何かを書くときは、偉大なる創造の泉につながる感覚で自動筆記のようにそこから何かを汲み出している。

 創作をする人なら味わったことがある感覚ではないだろうか。

 私は音楽を作っていたこともあるけれど、その時もやはり、インスピレーションで重ねていくそれぞれのパートが最終的に調和して一つの世界を生み出すことに、なんとなく合うだろうパーツを感覚的に集めたら、一つの世界が生まれた!というような何とも言えない達成感とおもしろさを味わったものだ。

 だから私はジグソーパズルが好きなのかもしれない。
 そしてできれば完成するまでそれが何かもわからないものが好きだ。

 たまたま夢を見たことで、自分の中に眠るデータに触れたような、おもしろい感覚を味わった。

 昔みたいにまた夢日記を書いてみようか。

 そういえばどこかのお坊さんも夢日記を書いていて、予知夢をよく見たという。そのお坊さんは、寝ていても、夢を見たとなったら飛び起きてすぐ記録していたそうだ。

 よく夢を見るのは眠りが浅いからだという人がいるが、私はそうは思わない。なぜなら夢は必ず毎日見るものだけれど、多くの人が記憶に残してないだけと聞いたことがあるからだ。

 寝ているときに記憶や感情の整理をしているらしいし、それが夢のようになることもあるだろう。

 ただ私のようにストーリーやディティールが詳細な夢となると、みんながみんな見ているかどうかはわからない。
 何しろ私は自分の見た夢のストーリーを友だちに旅行話をするかのように話すことができる。

 同じ場所の夢も何度も見たりもする。

 しかも私はショートスリーパーというか、睡眠時間は決して長くはない。それでも一度の眠りの中で三ストーリーぐらい見ることもある。

 人生の三分の一は眠っている時間というし、夢がおもしろいなら、人生さらにおもしろくいいと思う。

 せっかくだから、夢日記復活させてみようかとも思う。
 もし誰かが同じ夢を見ていることがわかったら、さらにおもしろいのにな。


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