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【嗚呼、人生 vol.94】My Small Landを観た

つい先日、My Small Landを観た。これは、幼い頃に日本に移住してきて現在は埼玉の高校に通うクルド人の女の子の話だ。

物語の多くの場面で、入管法が大きく関わっていて、3年前の出来事がフラッシュバックした。

私は大学在学中にメディア関連の授業もたくさん履修していた。その中の一つが、「カルチュラル・スタディーズ」と呼ばれる授業で、フィールドワークの一環として東京都品川にある入国管理局に赴き、収容されている人の話を聞いたことがある。

そこでは、世界のさまざまな国や地域で生まれ育ち、全く異なる言語を話す人が一緒に収容されていて、1つの狭い部屋に4人くらいが一緒に暮らしているらしい。日本語を上手に話せない人も多く、お互いに意思疎通をすることが難しいこともあるらしい。また、食事はいつも冷たく量も少なく、収容施設には少しの本とそれほど大きくない運動場だけしかないらしい。収容されている人は、何らかの事情があって生まれ故郷に戻れないから日本で暮らしたくて移住してきたはずなのに、難民申請しても認めてもらえないから、あるとき突然在留資格がなくなり、収容されてしまうのだ。

でも現状では収容施設も逼迫しているので、その場合「仮放免」されることがある。これは、収容施設にいる必要はないけれど、就労資格がなかったり、居住地域以外の都道府県へ行くことが禁止されてたりと厳しい規則が課せられている。この規則を破ってしまった場合、また収容されるか、強制帰国となる。

3年前に入管に赴いたときに聞いた話で特に印象的だったことがいくつかあるので、私が覚えている限りで、そのまま書こうと思う。

・日本人で盗みを働いたり人を殺した人は刑務所に入るけれど、栄養バランスの整った温かい食事が提供されて、さらには刑務所内で働くこともできる。私たちはただ日本で生活していただけなのにビザが更新できなかったから捕まって、刑務所より劣悪な環境での生活を強いられている。

・私たちは日本が大好きで日本で働きたいと思っている。どうしてそういう人たちを閉じ込めて、働くことを許してもらえないのだろうか。


この話を聞いた当日、そしてそれからしばらくの間、私は自分の気持ちをコントロールすることが難しくなった。この国や社会構造に対して怒りと憎しみを覚え、ひたすら泣くことしかできず、とりあえず自分にできることを闇雲に探し始めたことを覚えている。

でも、この3年の間で私にも色々なことがあり、次第にこの日の感情を思い出すことも少なくなっていった。頭の片隅では覚えているけれど、モヤがかかっているような状態で、あのときと同じくらいの怒りや憎しみを感じるわけではなくなってきた。その事実に動揺している自分がいる。
あの日、自分の核のようなものを大きく揺さぶられる経験をして、何か行動を起こさなければならないと思っていたものの、時が経つにつれて自分にはどうにもできないとさえ思うようになってしまった。

あの時、魂の叫びともとれる気持ちを共有してくれた彼も、強制帰国されてしまった。彼はこの先、二度と日本に帰って来れないだろう。結局私には何もできなかった。

それでも、心の片隅に、できれば何かしたいと思っている自分がいることは無視できない。あの頃の自分と比べたら、今の自分にはもっとできることがあるかもしれない。たとえば、日本語の先生の資格を持っている私だから助けられる側面があるかもしれない。そう信じて自分の能力を磨いていくことが、この問題と対峙し続ける手段なのかもしれない。


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