【読書note_017】13歳からのアート思考 末永幸歩

これから求められる「アート思考」とは
本書は、現代アートの作品解説を通じて、自分だけの視点で物事を見て自分なりの答えを作り出す「アート思考」の重要性について、説明した本です
本書を読み進めていく中で、私は幾度となく欲求不満を感じました。最初に読み進めている最中には、この欲求不満の正体が何なのか、よく分かりませんでした。ところが、読了後繰り返し立ち止まりながら読み返したことで、この欲求不満の正体に気付くことができたのです。
本稿では、私が欲求不満を感じた理由を探ることで、不確実なこれからの時代を生き抜くために必要なアート思考の実践方法について、考えてみたいと思います。

「すばらしい」絵とは何なのか
最初に欲求不満を感じたのは、CLASS1のP60で提示された「すばらしい」自画像を選ぶエクササイズです。
このエクササイズは、本の中で示された6枚の自画像の中で、「最もすばらしい」と考える絵を1枚選び、その理由を考えるというものです。
私は、絵として技術的に優れている3番や6番の絵を著者が選ばせようとしているだろうと考え、この2つを外して4番の絵を選びました。私が実際にこのエクササイズに取り組んだ時には、「構図と横顔に惹きつけられた」と理由をメモしましたが、一風変わった4番と5番のどちらかを選ぶことが「正解」ではないかと考え、この2枚のうち自分が相対的に共感できる4番を選んだというのが実状です。
しかし本書の中では、このエクササイズの自画像のうちどの絵が優れているのか、著者自身の解説や意見が紹介されることはありませんでした。最終的に私の選んだ絵が「素晴らしい」ものであったのか結果が分からず、強い欲求不満を感じたのです。

作者の意図と鑑賞者の解釈
次に欲求不満を感じたのはCLASS3の P165、絵から感じたことを100文字のストーリーにするというエクササイズです。
P165 の絵は、真っ黒に塗り潰された背景の中心に、白い四角形が描かれているというもの。私は、この絵のテーマが「希望」ではないかと考えました。何となく、洞窟の中を探検していて迷った子ども達が、ようやく出口を見つけたときのような情景に見えたからです。
すると、P167で解説された作品のタイトルも「希望」。自分の感じたテーマと実際の作品タイトルが重なったことで、私はちょっとした満足感を覚えました。
しかし著者は、作者の意図を言い当てようとすることを忘れ、自分自身が感じたことをストーリーに落とし込むことこそが、このエクササイズの狙いであると説明。さらにP168では、作者の答えと鑑賞者の答えが掛け合わさることでアートは無限に形を変え、こうした作品と鑑賞者のやりとりこそが、作品をつくりあげる作業だと解説しています。
この解説を読んだ後、作者の答えと自分の答えが重なってしまったことで、私は独自の見方を提示できなかったことを責められたように感じ、欲求不満を覚えたのです。

作者の問題提起は本当か
私が欲求不満を感じた例をもう一つ挙げると、CLASS6のアンディ・ウォーホルの「ブリロ・ボックス」の作品解説です。
「ブリロ・ボックス」とは、当時アメリカで一般的だったブリロ洗剤のロゴやパッケージをそっくりそのまま木箱に写し取った作品です。著者は、工場で商品を大量生産する機械のように生み出された個性のない「ブリロ・ボックス」という作品によって、ウォーホルはアートと非アートの壁を壊そうとした、と本書の中で解説。そのうえで、アートという枠組み自体に問題提起したウォーホルを、真のアーティストであると評価しています。
しかしながら、本書の中で触れられていますが、ウォ[ーホル自身はブリオボックスの製作方法をコピーとした理由について、「簡単だったから」と発言しており、さらには自身の作品全般についても、「上辺だけ見て欲しい」とコメントしているのです。つまり、ウォーホル自身は、アートと非アートの境を破壊しようとしたとは明言していないのです。また、著者以外の専門家がウォーホルの作品をどのように評価したのかという点についても触れられておらず、著者のこの解釈が本当に正しいのか疑問に思い、欲求不満を感じました。

「正解」探しを放棄する
このように、私は本書を読み進める中で、いくつか強い欲求不満を感じました。
では、その理由は何なのでしょうか。
それは、私自身が「正解」を探す「花職人」的思考の虜になってしまっていたからに他なりません。
本書では、他人が定めたゴールに向かって手を動かし、アート作品の表面上の美しさを追求するだけの人を「花職人」と称し、真のアーティストとは対照的な存在として揶揄しています。

私は、自画像を選ぶエクササイズでは、出題者である著者が考える「正解」が示されず、欲求不満を感じました。100文字ストーリーのエクササイズでは、自分の出した答えが作品のタイトルと一致していたにも拘らず、作品のタイトルが「正解」というわけではないと著者から指摘されたことで、欲求不満を感じました。そして、「ブリロ・ボックス」の作品解説では、著者の解説が作者であるウォーホルの狙いや他の専門家の意見と一致していたのか示されなかったことで、「正解」が分からず欲求不満を感じました。

つまり、私は「正解」を求める日本の受験教育に染まりきっており、唯一絶対の「正解」が示されなかったことで、欲求不満を感じ続けたのです。
本書の冒頭で、自分なりのものの見方・考え方の重要性を説明され、強烈に認識していたにも拘らず、「正解」を探し続けてしまった自分に改めて気付き、愕然としました。P12で著者が言っているように、『私達は「自分だけのものの見方・考え方」を喪失していることに気づいてすらいない」』ことを、身をもって体感したのです。
恐らく本書では、自分の考えを深める「アート思考」を読者にも体感してもらうために、一般論や世間の評価などを意図的に排除しているのでしょう。
アート思考をを実践するためには、ユニークな思考ができているかどうか自分に問い続けることに加え、「正解」を探すことを意図的に放棄し、そのことによる欲求不満を抑え込むことが、必要不可欠であることに気付くことができました。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。
Happy Reading!!

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?