【読書note_005】ホモ・デウス ユヴァル・ノア・ハラリ

神性を獲得する人類「ホモ・デウス」
本書は、イスラエルの歴史学者である著者が、歴史的な考察を通して、ホモ・サピエンスが自らをアップデートさせ、神性を獲得した「ホモ・デウス」へと進化させる過程について論じた本です。
読了直後は、その内容の広さと深さに圧倒され、消化不良というのが正直なところでした。
その後、気になったところを中心に2回、3回読み重ねると、著者が持つ見識の広さとその洞察の秀逸さに改めて圧倒されるとともに、いろいろと考えさせられました。

この10年間で、インターネットやAI等のテクノロジーが凄まじいスピードで社会に浸透したことで、多くの人達が漠然とした不安感や焦燥感を感じています。
そんな中、現代社会が抱える課題を整理し、未来予想と問題提起にまでつなげた本書は、これからの人類が目指すべき方向性を考えるうえで、大いに参考にすべき良書だと思います。

「経験する自己」と「物語る自己」
私が本書の中で強く印象に残ったのは、私達人間には単一の分割不能な自己があるという思い込みを否定した、「経験する自己」と「物語る自己」についての考察です。

空間的情報の把握や情感を司り、出来事をそのまま受け取る右脳が「経験する自己」。
発話と論理的推論を司り、内なる解釈者となる左脳が「物語る自己」。
私達の中に同時に存在するこの2つの自己は、完全に別個の存在ではなく、緊密に絡み合っています。
「物語る自己」が何か決定を下す時には、重要な原材料として私達自身の経験を使って物語を創造し、さらにその物語によって経験する自己が実際に何を感じるか決めています。
右脳と左脳は絶えずやり取りをしながら、経験し、解釈し、感じ、それを判断につなげているというのです。

ということは、私達の自意識は、論理的な判断を下しているように思い込んでいるだけで、経験を都合よく取り出し、解釈し、物語ることで、判断ありきの説明材料を作っているだけの可能性が高いのではないでしょうか。

成人した大人、特に30代以降にもなれば、どんな些細なことでも自分が間違っているとは思いたくないものです。
今までの自分の行動が間違っていた、正すべきだという経験や情報があったとしても、それを自動的に補正して都合よく解釈してしまうのだとすれば、人間は抜本的に反省し学ぶことが不可能だということになるのではないでしょうか。

本書では、サンクコスト・バイアスに関する記述もありますが、これも同様です。
サンクコスト・バイアスとは、すでにお金や労力や時間を支払ってしまったという理由だけで、損な取引に手を出し続けてしまう心理的傾向のこと。
「我が国の若者たちは犬死にはしなかった」と主張したい第一次世界大戦当時のイタリアも、うまくいかない事業に何百万ドルも追加投資してしまう企業も、破綻した結婚生活や将来性のない仕事にしがみつく個人も、決定主体としての過去の自分を正当化するため、解釈し物語ってしまうことで、客観的な判断ができなくなってしまうのです。

「データ至上主義」 は正義か?
本書で提示される、人類はデータ至上主義に移行していくだろうという予測は、こうした誤謬や不幸を乗り越えるための必然と捉えることもできます。
データ至上主義では、森羅万象がデータの流れからできており、全ての現象やものの価値もデータ処理にどれだけ寄与するかで決まるとされています。
人間も多くのアルゴリズムの集合体に過ぎず、個別には前述したようなエラーを発生させてしまうのであれば、この地球全体のあらゆる事象をデータ化し、アルゴリズムを組むことで、最適な選択をしていくことが最も合理的になると考えるのは、当然の流れと言えるでしょう。

女優のアンジェリーナ・ジョリーは、自身の美しいバストを残すために、都合良く物語る内なる声ではなく、内なる遺伝子の声に耳を傾け、乳房切除手術を受けることを決めました。
その決断が賢明だったかどうかは分かりません。
人は2つの人生を生きることはできないからです。
ただ、本書で「データ教」と呼ぶデータ至上主義が、より良く生きたい人達にとって、人生の指針になり得るのは間違いないことでしょう。
著者が予想するように、「データ教」は広く信者を増やしていくだろうと思います。

生命は「データ処理」か?
本書では最後に
「生命は本当にデータ処理にすぎないのか?」
という問題提起をしています。

私は、生命は単なるデータ処理ではないと思っています。
瞑想を実践する著者も、科学では説明がつかないものの存在を感じており、根本的には同じような考え方をしているのではないでしょうか。

少なくとも現段階では、科学では説明がつかない数々の事象が存在することは間違いありません。
アルゴリズムの詳細がブラックボックス化していく「データ教」やAIのアドバイスと、現代科学では解明できない潜在意識や直感による指針。
どちらを信じた方がより良い人生を生きることができるか、結論は出ません。

ただ1つだけ言えるのは、地球上の営み全てがデータ化され、そのデータに指南された生き方を世界中の人達がするようになれば、それが平均的な生き方になるでしょう。
情報のフラット化が加速度的に進むこれからの世界では、ますます「逆張り」することが重要になるはずです。
データ至上主義の世界だからこそ、右脳や潜在意識を鍛え、データ化されないものを重視していくことが重要だと再確認しました。

ただこの結論も、データという無味乾燥なるものに支配されたくない私の内部で、都合よく解釈され物語られた考え方なのかもしれません。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。
Happy Reading!

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