【歌い手さんにこそ聞いてほしい】僕が「歌ってみた動画」で流行り物を歌わない理由(&人間の承認欲求の話)

最近調子が良すぎて、帰り道突然トラックに轢かれたりしないか心配なYoshikiです。
前回の記事も結構パンチの聞いた内容にしてみましたが今回も結構強めの内容になっちゃうのかな…う〜ん、もうちょっとテーマ選び考えねば。
(でも書いていきます!)


1. 流行り物に飛びつくようにして歌うのが嫌いって話。

なんせ結構よく受けるんですよ、この質問。

「そんなに歌えるのに!」とか「才能を持っているのに!」

とか、言われます。(自分的にはまだまだヒドいもんなんですけどね💦)


さらには、
収録もMIX動画編集も自分で練習しているから
「人に頼めばもっと良くなるのに!」
ってのも言われます。
(カラオケ音源制作は割りに合わないからやらなくなりましたが、、)


確かに流行り物を歌ってしまえば再生回数はもっと簡単に増えるでしょう。

新曲に飛びついて即カバーして、
人気な曲を歌って、
歌い方も本家に少し寄せて、
トークとかでキャラ立てして、
音源制作も動画制作も本物のプロに任せて(そもそも僕は「発声を教えるプロ」であって、正確には「歌うことのプロ」では無いんですよ…)

TwitterやInstagram、TikTokもビジネス的な活用をすれば難なくフォロワーを増やせる時代ですし、実際どうとでもなるのです。

でも僕はやりません。

やりたいと思わないのです。

ビジネス的には多少メリットもあるのでしょうけど、デメリットのことも考えるとそのやり方ではあまりにも非効率です。

スタンスと噛み合わないし、
欲求と噛み合わないし、
何よりその好意をしたくない明確な理由もあるんです。


2. 自分の「歌ってみた」に対する僕のスタンス



実は僕、再生回数なんて割とどうでもよくて。

作品の完成度にもそこまでこだわりはなくて。

最低限のことをやって「観れるもの」にさえなっていれば、あとは歌さえ上手く歌えていれば、それでいいやってくらいなんですよね。

だって僕の目的はあくまで

「発声を自由に操れるとこんなに楽しいんだ」ってことを伝えたい。
「ボイトレに興味を持つきっかけ」を作りたい。
「音楽を楽しんでいる瞬間」を共有したい。

この程度。


『発声一つで歌はこんなに変わるんだということを、
ボイストレーナー(職業)としてではなく、ボーカリストとして伝えよう』

そんなスタンスでやっているんです。


別にスクールの宣伝がしたいわけではありません。
有名人になりたいというわけでもありません。
もし仮にYouTubeにそういう機能しかなければ限定公開でも構わない、
けどせっかく誰でも観れるのなら色々な人に見てもらえてお得だね、ってくらい。



なんでそんなふうに思うか?って、聞かれるのですが、逆に聞きたい。


「なんでみんな有名になりたがるの??」

「なんで人よりほんのちょっと能力があるってだけで世に出なくちゃならないの?」

「なんで誰からも人気者になりたがるの??」

そう問われたときに明確に返答してくれる方はどれだけいるのでしょうか??

多くの場合は「それはそういうものだから」と言って、具体的な考えを持ち合わせていないものです。
あるいは、「自分だったら、自分に才能があったらきっとそうするのに」という気持ちがあるのだと思います。


そもそも「音楽の実力」と「著名度」というのは必ずしも一致するわけではありません。
音楽の高い能力があってもひっそりやる人もいれば、音楽の能力が高いわけでは無いのに有名な人だっています。

なのに現代では、

「フォロワーが多ければ、はたまた動画の再生回数が多ければ
自分に自信がつく、より幸せになれる、ステータスが上がる」

と思われている方がたくさんいます。

今では、特に多くの若者にとっては、それが常識なのだと考えておよそ間違いないと思うのですがどうでしょうか?
(最近では「デジタル・ステータス・シーキング」という言葉すらあるくらいです)

この「常識」こそが誤りなのだと僕は考えているのです。

有名人になること&人気者になることは、実際の個人の幸福度や自己肯定感などとは関係がなく、
なんならむしろ
「自らを滅ぼしかねない間違った承認欲求」と深い関わりがあるのです。

次の項では心理学の話も交えてそれを解説していこうと思います。


3. 2種類の承認欲求のお話

人間は古くから集団社会で生きている生き物ですから
「他者に自分の有用性というのを示さねば生きられない」、「危険が及んだとき優先して守ってもらえない」などという不安感情を常に根底に抱えてます。

そのため
「誰かから認めてもらいたい」とか、「多くの人から尊敬されたい」という欲求、「承認欲求」は誰にでもあります。(もちろん僕にもあります!)

しかし注意して欲しいのは、一口に承認欲求といっても対象によって種類があり、
あるものは人を「幸福」にし、
別のものは人を「不幸」にしてしまうのです。
そして何より恐ろしいことに「承認欲求」という日本語にはその二つの区別がありません!

その対象の違いというのは
「ステータス」「好感度」の二つです。

どちらに対して働いている承認欲求なのかによってその人の辿る道がまるで真逆になってしまうのです。

マズローの欲求五段階説を暗記されている方からすると、

好感度欲求の方は、マズローの欲求五段階説の三段階目で「社会的欲求と愛の欲求 (Social needs / Love and belonging)」とされているもの、

ステータス欲求というのはその上の四段階目で「承認(尊重)の欲求 (Esteem)」とされているもののうち「低いレベルの承認欲求」と言われている「他者からの尊敬、地位への渇望、名声、利権、注目などを得ることによって満たすことができる欲求」の方のことだと思っていただけるとわかりやすいかもしれません。


…さてさて。

これは僕の推測ですが、この記事をここまで読まれている方はきっと、
不幸になる方の欲求を回避したいと思われているのではないでしょうか?


先に人を不幸にする承認欲求、「ステータス欲求」についての話からしましょう。

これは「周りからいかに自分が秀でているか」を気にかける欲求で、
多くの人から自分がすごいと思ってもらうために、職歴や役職、卒業大学などの肩書きで強い権威を示そうとしたり、ブランドもの服や装飾品を身につけたり、一頭地に住んだり、高級車に乗ろうとしたり、身の回りに高級なものを取り揃えたりするような派手なお金の使い方をしたりします。
※これらのうち一つでも当てはまるからと言って悪いという話ではありませんが、それはあくまでも「欲求の根源がステータス欲求でないのならの話」です。

このような「ステータス」を求める人は、どうしても他者(社会や社会的権威)からの評価に依存する形になります。
何事も他者の決めた物差しで測るため自己の価値基準を持てず、多くの人がいいと言ったものを良いという(或いは多くの人が悪いと言ったものを悪いという)など、自己効力感に欠けた意思決定、判断基準を持つようになっていきます。
※自己効力感=「ある目標を達成できるか」「遂行できるか」について、その人が抱く自信

依存的になるというのは、周囲の人的環境次第で全てが決まってしまう危険性、不安定さを孕むということなのですが、
それにもかかわらず「ステータスを気にかける人間」というのはそもそも嫌われやすい傾向があるのです。

なぜならステータスというのは「他者との明確な区別」や「相手に対しての優越の表示」であり、ともすれば提示することで相手を見下した構図になってしまうのです。
人は共感することで好意を覚える生き物、逆に言えば自分と違うものには嫌悪を覚えますし、明確な優位性の提示は威圧感や敵意を感じます。
これでは嫌われて当たり前なのです。


反対に「好感度欲求」はどうでしょうか?
こちらの承認欲求は他者への貢献を促し、その返報によって周りの人達が自分に対して好意や信頼を寄せてくれます。
さらには「この人と一緒に過ごしたい」と思われて、実際に周りの人が一緒に時間を過ごしてくれます。
ステータスを求めてしまう方とは真逆で共感をしやすく(または得やすく)味方だ、仲間だということを相手に表現、伝達することができます。

わかりやすいくらい真逆でしょう?

有名になること、権威やステータスにこだわらない方が人間は幸せになるのです。

※良好な人間関係が人を幸せにするということに関しては面白いデータもありますが書ききれないのでまた別の機会に…。


4. 何よりの理由(流行り物をカバーするという行為に対しての私見)

ここまで来たら僕が有名になることを求めていないというのはおわかりいただけたかと思うのですが、カバーすること自体は楽しんでやっています。それも事実。

楽曲をしっかりと理解した上で、いちアーティストとして自分の解釈で表現すれば、それは自分の作品にもなりうると思います。カバーそのものは決して悪ではありません。
(そもそも原曲のアーティスト以外にカバーされたバージョンの楽曲の方が有名な例は、世界中にごまんとありますw)

しかし有名な曲、流行りの曲をカバーするというのは完全に「他人の褌(ふんどし)で相撲をしている」状況なのです。
なぜなら、アーティストないし楽曲提供元がその楽曲にかけている広告宣伝費や労力によって生まれた流れごと借りて(要するに自分の力以外に依存して)再生数を稼ごうということなのですから、
そうまでして飛びつきたいかというと、むしろ僕はなるべく出遅れていたいのです(笑)

逆を言えば、
ピークが過ぎ去った後の楽曲を歌った時は、たまたま聴いた方がそれを褒めてくださった時、評価してくださった時というのは、「流行りだから、知っているからという先入観抜きの自然体で公正な評価」を得やすいんです。なかなか気分がいいものなんですよね〜(笑)



まとめ

もしかすると

この記事を読み始めた時点で「有名になるということにこだわりを持たれていた方」は、自分の目指している物事に疑問符を持たれたかもしれません。
(或いはこの項に辿り着く前に「Yoshiki(この記事の著者)に自分を否定された!」と思って怒って閉じてしまったかもしれませんね笑)


繰り返しますが、欲求の対象次第なんです。
見かけには同じ行動でも目的が異なれば質や結果は異なるものになっていくと思います。
というより、経験して見知っています。

自分の欲求の方向性、目標の設定が本当に自分の目指す未来、目的に噛み合っているかを確認して、行動を修正するのは、アーティストにとっては特に重要な事柄だと僕は思います。
アーティストは表現者なんですから、上部でなく、心の底から楽しまないとってね。


それにしてもそんなに熱弁するほどのことかって?

するほどのことなんですよ!(笑)
「もっと流行り物歌ったらいいのに〜」ってしょっちゅう言われるんですから!!(笑)

しかし今回は4000字越えのボリュームある記事になってしまったので動画化するのが大変そうです(´・ω・`)


はぁ…がんばろ。

今日はここまで。
長々とお付き合いくださりありがとうございました!

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