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わたしの躁うつ病記(うつ編②)

開いてくださってありがとうございます。
うつ編・躁編・混合編というかたちで書いていきたいと思っています。
ただのエッセイだと思って読んでいただけたら嬉しいです。

>>うつ編①

うつ病休職中の生活

1歳半の娘がいたので、保育園へはそれまで通り、朝は旦那さんが預けて、お迎えは私行くと行く生活を変わらず続けることになった。
主人は忙しくて夜はかなり遅くまで仕事をしているような生活だった。
その頃、私の生活は、日中はとにかく背中が痛くて、ベッドに横になるけれどまったく眠れずに、ただ横になってるだけ。全く良くならず、2~3か月くらいずっと続いた。
相変わず食欲はなくて、心配した主人が近所に外食に連れて行ってくれたけれどほどんど食べられずに、店員さんが申し訳なそうな顔で、「な、、何かお気に召さないことでもございましたでしょうか?」と声をかけられたこともあった。(食べられないだけ。申し訳ないことをしました)

そのころの体重は37Kg(158cm)ギリギリな状態であった。

主人は相変わらず忙しい会社で忙しい部署にいた。
自分の仕事、小さい子どもとうつの嫁の世話。彼も限界が来ていたんだろう。

主人が「地元に帰る」といった。
その時のわたしには何も考える力はなかった。
※参考までにうつの人に大きい決断をしてはいけないといわれている。本人に判断能力が全くない状態であること、生活の変化がストレスになることがその理由だ。退職、引っ越しや転職、恋人と付き合う・別れるなど、普通のひとでも大変だ、と思われることはしなことがおすすめ。

わたしは大好きな人(主人)に申し訳なくていっぱい泣いた。

あくる日、主人と一緒に私の会社に行って、退職する話をした。
一つ前の良くしてくれた上司と直前の上司が同席してくれた。
彼らは、申し訳なかったといった。
私はなにも感情はわかなかった。無だった。
ただなんでここにいるんだろうかと思った。
今でも会社は辞めたくはなかった、と思っている。何度も何度も思っている。でもその時の私には辞める以外の選択肢はなかった。

地元で生活する

ほどなくして地元に家族3人で帰ってきた。
地元だけど、棲んだことはない街に家を借りた。
その途端、気が抜けたようで1年ほど、まったく寝たきりになったしまった。
眠くてしょうがなくて起きるのは「3日に数時間」のような感じだった。その時に少しご飯をたべお風呂に入る。
子どもは2歳~3歳の間。一番面倒なときである。
私が覚えているかぎり主人はその時無職で子育てをしていた。頭のいいひとだったので株をやったりしていたようには聞いている。義理の母がサポートして食事の宅配をしてくれて生活をまかなっていた。

わたしは、ほぼほぼ寝ていたし、数週に1度程度診療内科・精神科に行く程度で特に何もしていなかった。

今授かった子供がもうすぐ2歳になる。わたしは子供が2人だが、この時期は全く経験がなく(記憶もなく)不安でいっぱい。上の子はすごく頭がよくて物分かりもよくて育てやすい子だったが、それでも2歳~3歳の間では非常に穏やかな主人ですら怒鳴ることもあった、と言っていた。
世のお母さんたちはみんな素晴らしいです。こんな母親もいます。

ある日。
「私は病気が治った!」と思って目が覚めた。
病院へ行くのもお化粧をして着飾って出かけた。

私の場合は、性逸脱(男性依存?)が激しく、ネットでやり取りしていた人に会いたくてしょうがない状態になっていた。
もう東京に行こう!今すぐ行こう!ここから出ていく!
(チケットはとっていた)
それを見た実の母親は「おまえは頭がおかしい!」と泣き叫んだ。

先生は、「躁うつ病かもしれませんね」といった。

私はもう東京でまた仕事したり遊んだり楽しくできる、したい!という気持ちに囚われて、それまで助けてくれた主人や義理の母親や、ましてや子供のことは全く頭からなくなっていた、ただただ、これから楽しくやるぞ!という気持ちだけになっていた。
先生ですら本格的な治療は東京で行ってくださいということだった。
もう地元に縛り付けておくのは困難だろうという判断だったんだと思う。

>>躁編

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