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初春の長野の健やかさ! その3 菜の花畑と座禅と

炊きたてのご飯から立ち上る湯気って、食事を美味しくする魔法だ。友人の宿で迎える2度目の朝。
ダイエットという言葉なんて、東京と埼玉に置いてきた。ついついお代わりしてしまう。何度も。何度も。

ご飯がピカピカ。


早くも東京に帰る日。最後にどこに行くか、というのはいつもぶち当たる問題だ。旅行先での半日の過ごし方って悩ましい。
しかも、前にお昼を食べたお店で「どこに泊まるの?」と聞かれて「飯山」と答えたら、「えっ、何もないですよ!」と驚かれた飯山にいるのだ。すでに何度か来ているので、めぼしいところはすでに行っている、はず。道の駅とか。

そう、飯山に来てぜったいに外せないのは、道の駅と地元で愛されているスーパーマーケット”TSURUYA”。旬の野菜を買いたい、オリジナルの商品も買いたい。

雪国の知恵が詰まった素晴らしい建物。また来るね。

飯山の菜の花

ちょうど道の駅のそばが、菜の花の見ごろというので、まずはそちらへ向かう。
道路脇に揺れる菜の花で、車窓の外が黄色に染まった。走っても走ってもずっとその景色が続く。ずーっとだ。なんてうららかなんだろう。

この菜の花は、長野の名産品である野沢菜。菜っ葉類の黄色い花は、みんなひっくるめて菜の花って呼ぶそうだ。ナタネ、小松菜、のらぼう菜等々、全部菜の花。つまり…、引っこ抜けば食べられるのだ。道路脇なので引っこ抜く人はいないそうだが。

さて、道の駅に着いた。駐車場の込み具合は、飯山の人がみんなここに集まっちゃったんじゃないのかというほど。さすが菜の花祭りの会場の向かいというだけある。
出始めのアスパラやキノコ類を抱えるほど買って、道路を渡った先に広がる菜の花祭りの会場をのぞむ。

黄色い絨毯が圧巻!
グレートでビューティフォーでパーフェクトだ。アメージングでもある。とても引っこ抜いて食べようという気にはならない。ただ眺めているだけで十分。
コロナ前は露店も出たようだけど、今は何もなし。花だけ。そういうのもシンプルでいいと思う。むしろそういう方が好き。
ずっと忘れないであろう景色が増えた。最近は写真に収めて満足することが多いんだけど、これはちゃんと目に焼き付けた。いいタイミングで見ることができてよかったなあ。

見事な黄色い絨毯。デート中のカップル多し。


県内唯一の禅寺で座禅体験


どこに行こうか迷っている最中に、ちゃんゆみの友人が以前飯山で座禅を組んだことがある、というニッチな情報がもたらされた。
「じゃあ、座禅組みにいこうか」と即座に決定。お寺に聞いてみると、他のグループと一緒の短い時間の体験なら、ということだったので、それはかえってありがたいと申し込む。

正受庵。一目見て、歴史があるとわかるお寺を見て、ちょっと緊張した。気楽な気持ちで来ちゃったんだけど。

その昔、白隠(臨済宗のえらい人)が蹴落とされた坂

背の高く姿勢のいいお坊さんが迎えてくれた。法衣の胴回りには、水引の形を縄で作ったかのようなごついのを巻いていて、パワーがありそうな人だ。
他のグループの人たちと一緒に、座禅の目的とやり方について教わった後に、禅堂に移る。裸足で板の間を歩くひんやりとした感覚は久しぶりだ。

左側が禅堂

禅堂の中はシンプルで、両側が高くなっていて座布団が並んでいる。座布団周りの1畳くらいのスペースが、修行中は一人の生活スペースとのこと。修行の厳しさが窺えるけれど、もちろんお気楽体験のわたしたちにはストイックさは求められたりしない。
要は呼吸法だと。自分の体をコントロールするための呼吸法だということだ。(合ってる?)

座布団に座ったら胡坐をかく。目は半分開けて少し先の床を見る。息を短く吸って長く吐く。余計なことを考えない。呼吸を数えると余計なことを考えずにすむ。(合ってる?)

15分間の座禅開始。風を感じる。鳥の声が聞こえる。お寺を訪れてきた人の動向が気になる。でも余計なことは考えず、雑念は追い払われていた、かな。長いような短いような時間だった。パシンと棒で叩かれたりはしない。

終わってからお坊さんが、お寺の歴史、このお寺を興した正受老人(臨済宗の中で重要な役目を果たした人)の話、仏教の話などを聞かせてくれた。
そういう説明がカレンダーの裏に書いてあってとても好感が持てた。プリントしてもいらないでしょ、って。そもそも、正受老人が余計なものはいらん、と言う人だったので、教えに合っている。(合ってる?)
なんだか、全体にゆるいのだ。語り口の柔らかさもあって、話に引き込まれる。座ってやるから座禅だけど、寝てても立ってても歩いててもできるから、朝や寝る前にやるといいよ、と言われて、なるほど、と素直に思える感じ。

ちなみに、永平寺で座禅を組んだことがあるちゃんゆみとマイケル夫妻によると、永平寺の座禅はかなりピリッとした雰囲気で、お坊さんの話を聞いて涙を流す人もいたそう。
わたしは涙どころか、わけのわからない禅問答の話を聞いているときに、落語の「蒟蒻問答」を思い出して、にやにやしてしまっていた。

最後に本堂を案内してもらった。藁ぶきの渋い建物。冬の間はほぼ屋根まで雪で埋まっていたそうだ。
話を聞いているときに、急にビューっと風が吹いた。あれ、今の何?とお坊さんもキョロキョロしたくらいの風。一度だけ吹いた。お寺からのWelcomeの印だよね、きっと。

本堂

お寺には1本の太い棒を前に座る正受老人の像がある。この棒は、禅問答の際には、弟子が普段とは逆に師匠を殴ることもあることから、よく知られている言葉の語源となっている。という話を聞いて、「なるほど!」と強く思ったのに、肝心のその言葉が今思い出せないー。

夫に聞いてもなんだったっけ?の返事。検索をしてもしても知りたい言葉にはたどり着けない。
座禅のときに使う棒が「警策(けいさく・きょうさく)」ということや、仏教の言葉が語源になっている熟語がたくさんあることはわかったのだけど。
ちなみに、ごくごく一部ながら、後生大事、他力本願、四苦八苦、自業自得などがそう。
最初に検索していたときには「仏教 禅 棒」などをキーワードにしていたのが、そのうち「弟子 殴り返す」が加わり、だんだんと物騒な結果がでてくるようになってしまった。

答えを教えてくれたのは、一緒に話を聞いていたちゃんゆみ。あっさりと思い出してくれた。
棒の名前は「しっぺい」、それが語源の言葉は「しっぺ返し」。
そうだ、そうそう。ね、なるほどでしょ。あー、すっきりした!

本堂の廊下

その後、禅を実際にやっているかというと、寝る前に思い出して呼吸を意識するくらいだけど「これも立派な禅です。」と主張したら「そうです」と言ってもらえそうな気がしている。

続く。かもしれない。


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