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【ベガスの物語】4話:オリエンテーション完了?

クリシュに鍛えられ続けているベガスは、社会人の一歩を無事に踏み出したかに見えた。忖度の嫌いなクリシュであり、工場におけるリーダーシップの中でも中核を担っている彼の中で一目置いている、少なくとも当時のベガスには一目置いているように見えたのが、船会社出身泣く子も黙る工場長、田中と、独特なシニカルさを持ち合わせ、以前の職場で組織を解体する際に活躍すると恐れられた前野であった。

工場長田中

先話まではクリシュとの話をしてきたが、予兆はあったのであった。

入社し、製造現場にてオリエンテーションをしているときに工場長田中がやってきて一言

「おー、お前がベガスか。ワシが工場長の田中じゃ。」

「文化とはなんぞや?言うてみぃ」

外資系の会社にて重鎮の田中は造船会社からこの会社が日本に進出する際に雇われたある種のレガシーであった。彼独自の経験と、日本進出に際して数々の功績を残していた自負及び、彼独特の感性で数々の組織の立ち上げや、買収した組織の再構築をし続けてきた白髪の、そして真っ黒に日焼けしたリーダーであった。

こんな百戦錬磨の、工場長からの一言に、ベガスは意気揚々と何かを答えようとしたそのとき、田中は遮るように言った。

「1ヶ月後、楽しみにしておるぞ」

その時はオリエンテーションを終えた際の惨憺たる結果を知る由もなかった。

人事前野

人事の前野もまた一風変わった雰囲気を醸し出していた。彼の”リストラ執行人”としての過去から、前野の目をつけた組織、及び社員は何らかの影響があるとまことしやかにささやかれていたが、ベガスが入社する少し前に赴任した、湖の麓の工場においては様子を見ている状況といったところのようであった。

メガネの奥でググッと堪えながらも、熟考を重ねた上で(少なくともそう見える)醸し出される雰囲気は、重みのある言葉であった。彼とクリシュはほぼ同時期に、ベガスが入社して1年後に転勤となるため、ベガスとは1年ほどの勤務であった。

ベガスが配属された部署を縦軸とすると、工場横断で組織工場を意図したピラーと呼ばれる小集団活動において、前野率いる組織を向上させる為のピラーにオリエンテーション後に配属となる為、後にベガスの成長に大きな影響を与えることになる。

オリエンテーション完了プレゼン

振り返ると、ベガスのオリエンテーションは、献身的なクリシュのお陰であっという間の2ヶ月であった。部署へ張り付く→Learning summaryを書く→1:1で直され続ける。このループを繰り返しているうちに、梅雨が明けた。

オリエンテーションにおいて、工場におけるリーダーシップの一つしたの職位のメンバーと主に接することが多く、ベガスは工場における主要なメンバーとの接点を増やしていった。

オリエンテーション最終日、もう一人の新入社員とともに、これまでの学びと工場への提言を発表する機会が設けられた。工場の中央に位置する食堂の横、工場の近くにある湖を日本庭園として再現した中庭がよく見える大きな会議室、ここが会場であった。普段はリーダーシップが集まる会議を履行する場所として使われている場所であった。

リーダーシップが一堂に解する場に行くこと、英語でプレゼンすることなど初めて尽くしの中で、ベガスはいつになく緊張していた。おまけに、クリシュとの1000本ノックを受けて、”わかった気に”なっていたベガスの話す内容は、とてもリーダーシップを唸らせる類のものではなく、惨憺たる結果であった。

まず、プレゼン中に人事の前野の顔が険しくなり、工場長田中はプリプリと怒りだし、もういい。。と、途中で打ち切りとなってしまった。

一枚のメモ

クリシュは、後日淡々とフィードバックをくれたことは覚えているが、ベガスの記憶に残り続けたのは、険しい顔をしていた前野のフィードバックであった。

プレゼン後に、悔しいのか、悲しいのか、感情すらよくわらかなく泣きじゃくるベガスを、小さな会議室に読んで1枚のメモを渡してくれたのであった。要点をまとめると大きく3つ:
1. 学びではなく、評論家のような冷たさがあったよ
2. 聞き手に何を持って帰ってもらいたいか?が不明確であった
3. 工場の指針がわからないというのは、一番の聞き手の工場長に対してどのような影響があるか?の知恵が乏しかったのでは?(打ち切りの主要因)

要するに、ベガスは打ちのめされたわけであったが、初めての大きな失敗は記憶にも、そして今後のベガスの社会人としての礎に大きな影響を与えるものとなった。特に、評論家のようにならないように、どのように”自分ごと”として物事に取り組むか、などはその後のベガスの意思決定や行動に大きな影響を与えている。

そして、前野からの1枚のメモは、その後ベガスが職責を替わるたびに、転勤を重ねる中でもずっと彼の大切な資料として持ち続けている、宝物の一つとなった。