見出し画像

愛と尊敬と欲望

広島で生まれ、8月6日に被曝体験をした三宅一生が、8月5日に亡くなったのは、輪廻のように巡り巡る生と死ではなく、結ばれた「縁」のようなものを感じてしまう。
その訃報が公に発表されたのは8月9日。彼は生前原爆のエピソードを口にしたがらなかった。そして今、口を開かずにそのメッセージを伝えられるようになった。

被曝に限らず、三宅一生はプライベートを公にはしてこなかったが、影響を受けたアーティストやデザイン思想については語り続けてきた。

彼のデザイン思想には、ISSEY MIYAKEを着る、人間への愛を感じているし、その愛を表現させるデザイン力を持ち、「服」あるいは「生地」というマテリアルを持続的に生み出すためのビジネス力も、このブランドには間違いなくある。

僕が好きになる人、モノ、コトの共通点は、間違いなくそれぞれに愛情や情熱を持って取り組む人間がいて、それに触れる冷静な僕も、気づけば巻き込まれている熱量とパワーがあった。

僕が好きなものを好きな人のことは、僕は好きになると思っていて、不思議と全て繋がったのも三宅一生だった。
オタクの常套手段としてアーティストの周りの人間をdigるのがあげられるが、調べずとも安藤忠雄やイサム・ノグチやマーク・ロスコはどこかで繋がっていた。不思議なもんだ。

一線を退いた三宅一生は再び表舞台へ返り咲くことはなかった。
不謹慎なことを言うと、彼がいなくなっても回る組織を作っていたことを僕は本当に尊敬している。

ISSEY MIYAKEというブランドでデザイナーをしていた(いる)という実績あるいはラベリングは、組織に属していた者にとって良くも悪くもその活動に強く影響していると思う。その一線を退いた後も効力を持つブランディングを尊敬している。

(まあ、色々あったけども)


自分がいなくても強いチームづくりは本質だと思う。言語化しきれないISSEY MIYAKEのエッセンスは、さながら一枚の布のように人から人へ紡いでいると消費者から見て感じている。

母親か誰かには言ったことがあるんだけど、僕は三宅一生が亡くなる夢を今年の初めに見ていた。なのでこれを書いている8月9日23時時点で、気持ちとしては割とデジャヴというか、元々あったショッキングな穴がぐっと広がったイメージ。

18時過ぎ、僕はこのニュースで打ちのめされたあと、上司と車で取引先に往訪していた。店を畳むというので詳しくヒヤリングに行ったわけだが、理由を聞いたらその代表がガンで余命宣告されていた。決して後ろめたい姿を僕らに見せず「やっぱこういうのって縁だからさ、よろしくな」と見送られた。

上司に駅まで送られ、僕は情報過多なまま電車を逃し、ガンだと言ったおじさんから貰った、ジョージアの缶コーヒーを勢いよく飲み干すことしか出来なかった。
どうにかしたいこと沢山あって欲張っちゃうよなあ。
胸と胃が痛え。

ビリーの話でも書いたけど、「誰かの死があって生は顕在化する」のは現象として理解はできるんだよな。納得はできないんだけど。

岩波書店 「三宅一生 未来のデザインを語る」
2013年03月

この記事が参加している募集

忘れられない恋物語

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?