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まさに「逃げるは恥だが役に立つ」

やっぱり無理かもと逃げ出してから数日の間,反動に悩んでいた。
安心安全を取り戻し,平穏な日々。心から望んでいた状態のはずだ。
怒りが落ち着いた後は一時的にすっきりした気分になったが,心のどこかで本当にこれでよかったんだろうかと迷いが出てくるようになった。

そんなこと気にする必要全くないってことは,頭ではわかっていた。それなのに,せめて後数日様子を見てもよかったんじゃないか,とか,一応一言くらい声をかけた方が…などとぐるぐる考えてしまうのだ。
自分自身がいかにこの問題に捉われていたか痛感した瞬間だった。

♦︎

早く離れることにはきちんと意味がある。

長くいればいるほど現状に適応しようとしてしまう。
そうなると離れることに寂しさのようなものさえ感じてしまうのだ。
うーん,寂しさというのは少し違うかもしれない。

不適応を起こしている状態が「普通」だと思っている場合,それが取り除かれることに痛みが生じているんだろうと思う。しばらくすれば自然と思い出せなくなっていくけれど,その間に反動のようなものがある。
なんとも怖い話だ。

洗脳状態にある人や,こじれた関係性に悩んでいる人の多くもこれと同じことが起きているんじゃないかと思う。抜け出したいと思っている一方で,抜け出してしまうことへの恐怖や痛みを感じることへの不安も大きいのではないだろうか。依存の仕組みと同じだと思うと尚更恐ろしいけど,案外よく聞く話だなとも思う。

だからやっぱり客観的に判断が下せる内に離れないといけなかった。
でもどんなに後ろからせーのと声をかけてもらったって,1人では不安なのもまた事実だ。そんなに簡単には動けない。かといって,待っていても誰かが魔法のように解決してくれるわけではない。
この状態のときが一番苦しかったなと思う。

♦︎

きっとこの先もまた同じように迷う日がくるはずだ。
その時に,今回のことを思い出せたら今の私が未来の私の背中を押すことができるかもしれない。どれくらい頼りになるか分からないけど,大丈夫だった記憶があるって心強いと思うのだ。

そして同じように迷っている人に,正論を伝えるだけの正しい人にならないためにも,この気持ちは忘れたくないなと思う。

逃げた先にあるものが何であれ,現状をよくしようと動いたことであればそれはきっと最適解だ。

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