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運命の夏

河川敷を歩いていたら、水面にきらっと光るものがある。音楽をヘッドホンで垂れ流しながら、私は前のめって水の中を覗く。知らない魚が、ちらちらと泳いでいる。その白い腹が、陽の光に反射してきらきらと光っている。
全部終わったんだ、とふと思う。

去年の今頃は勉強尽くしだった。だって受かりたかったし、やりきりたかったし。でも周りの子たちは私よりもっとやってるみたいだった。それを知ってからは、燃え盛っていたやる気は日を重ねるにつれてどんどん凪いで消えていった。10時間やってもたりないの?何時間寝ればいいの?寝ちゃダメって、なにそれ?どうしてこんな心を擦り減らして行かなきゃいけないの?
私は自分の水準よりもはるかに高い大学を(身の程知らずにも)目指していた。ネームバリューと、卒業生の就職先、学校の風潮。なにより、名前の響きが好きだった。舌にのせると、少し濁点のところで粘つくが、きれいな語呂をしていた。辛いときは名前を呼んで、行きたいなあ頑張ろうなあと自分に言い聞かせていた。まるで片思いをしている恋する乙女みたいに。まあ、大学受験なんてその大学への片思いから始まるんだから、その通りといえばそうなんだけど。
だが、夏休みが過ぎ去っていくと共に、私の大学への気持ちは萎んでいく一方だった。勉強時間を競い合う友人、手元のストップウォッチ、電気スタンドの下のキットカット。ぜんぶ、無理になっていた。
私もっと勉強をたのしみたいよ、学ぶことが好きだったのに、どうしてこんなことになってるんだろう。某映像授業を扱う予備校で、何時間も何時間もPCの画面をみつめる。液晶の先で講義する先生方が「絶対合格」と叫ぶ。薄っぺらい絶対なんていらねえよ、と殴りたくなる。あなたは私のことなんて知らないくせに、私に会ったこともないくせに、適当なこと言ってくれるな。
私は、自分のやり方で、自分のペースで、自分の好きなことをじっくりと知るのが好きだ。本を読むのが好きなのも、そう。知識の蓄積は心地いい。何時間やったとか、どれだけ頑張れたとか、そんなんいらない。私にとって勉強は「努力」じゃなくて、ずっと「知りたい」だった。その欲望のためだけに、今まで楽しくやってきたはずだった。

求められる勉強と、したい勉強との齟齬。そのすれ違いに拍車をかけたのは、ほんの数日だった。一生忘れられないだろう、ほんの数日。

八月の頭に、家族が帰省した。おばあちゃんのところへ、一週間。受験生の私だけが家に残った。親は心配していたけど、私は大丈夫と笑ってた。毎日予備校行って、友達に会って、勉強して、夜ご飯はカップ麺や惣菜で済ませるから、って。
でも、何も大丈夫なんかじゃなかったのだ。がらんとした部屋。他人じみた空間。家族が消えた家は、いつもの家じゃなかった。安心していられるのは自分の部屋だけで、私は夜になると必ず自室に篭った。リビングはだだっ広く、余白が多すぎて孤独が襲いかかってくる。お風呂場で蛇口から水滴が落ちる。言いようのない悲しみが全身にどっと降りかかってくる。神経が張り詰め、家の中の全てが恐怖に変わる。
初めの数日はよかった。ちゃんと昼間に予備校に行けた。友達に会い、コンビニで昼飯を買い、勉強もそれなりにできていた。夜になると自室に閉じ篭もり、ブランケットにくるまって孤独を押し殺す。エアコンから流れてくる冷風が背中を凍らすようにつめたい。
でも、日が経つにつれ、私はどんどんダメになっていった。まず夜寝れなくなった。孤独に対抗しきれなくなったのだ。泣きそうになりながらYouTubeをつけ、音楽を聴いた。音楽は私の身体のまわりにまとわりついて、いつもなら優しく眠りへ引き摺り込んでくれる。だがそのときは、音楽までもが私の孤独を引っ掻いて、狂おしくさせた。やめて、やめて、何も壊さないで。耳を塞ぎ、ぎゅっと縮まる。誰も助けてくれないのに、ずっと助けてほしいと願っていた。誰かいてくれれば。ひとりじゃなければ。

寝れないせいで、必然的に昼間起きれなくなった。予備校にも行けなくなった。動かないせいで、ご飯は喉を通らない。必死で詰め込んでも、結局嘔吐になって出ていく。勉強しようとしても、集中なんて出来るわけがない。でも、この瞬間にもライバルたちは勉強している。私が無駄にしている一分一秒を、勉強時間として計測している。
家族が帰ってくる頃には、私は勉強云々ではなくなって、孤独とか不安とかそういう漠然とした恐怖に抱かれてずっと泣いていた。涙が出なくてもしゃくりあげた。ずっとうずくまって心臓の音を聴く。心臓の音がしなくなると、死ぬと思って怖くてたまらなくなる。その恐怖が私の心配を増幅させ、更に悪化の一途を辿る。最悪の循環。
結局、病院に行った。鬱になっていた。医師は勉強のことを考えないで何か好きなことをして気分を紛らせようと言った。やりたいことはないかと言われて、私は胸を押さえつけながら答えを探した。手のひらの向こうから鼓動が聞こえて、生きてるんだと思う。脳内がぼやぼやしていて、拍動以外の感覚があいまいだ。
好きなこと。いっぱいある。本を読むこと、音楽を聴くこと、アニメを観ること、映画、絵画、写真。
最終的に、私はそれから、アマゾンプライムで映画やアニメを観た。二次元は一番お手軽な現実逃避だ。勉強をしない罪悪感を感じるたびに心の状態が悪くなるので、考えないようにした。少しずつ、ご飯が喉を通るようになる。少しずつ、少しずつ、勉強が出来るようになる。
そうして夏が終わった。合否を左右するといわれている、運命の夏が。

一年たち、私は大学に通っている。その、一学期が終わった。実際、私はあの頃行きたかった大学には通っていない。第二志望だった、別のところにいる。
今でも受かっていればなと思うことはあるけれど、仕方ないと打ち切ることにしている。だって、今の大学好きだし、みんな仲良いし、楽しいし。それで充分じゃない?
ただ、夏が来て、あの時のことを思い出した。勉強の思うようにできなかった夏、周りと比べ続けて苦しくなった夏、少しずつ回復しようと努力した夏。

私が完全復活とまでは言えなくとも、塾に通えるようになった頃、友人が歩きに行こうと誘ってくれた。からりと晴れた九月の土曜か日曜だった。朝から勉強していた私たちは、お昼ご飯を持って、外に出た。
予備校の近くの川に沿って、河川敷を歩く。きらきらと水面が輝いている。きれいだねえと呟くと、友人もそうだねえと頷く。ぽつぽつと、僅かな会話を続ける。その間も、ふたりで川を覗き込むようにして歩いていた。
「あ、魚」
橋の近くにさしかかるころ、友人が言った。見ると、きらっというよりギラッと、鋭さのある光が瞬いてみえた。白い魚が、身を翻す。陽の光が反射して鮮やかにひかる。
「まぶしー」
その横顔を見ながら、全部終わったら思い出すんだろうと感じたのを覚えている。この苦しかった夏の日々を、孤独の重みを、秋になりかけの河川敷を。

これを書いている今も、思い出すと胸が痛む。ぎゅっと搾り取られるような、精神的にくるような。そういうときはそっと心臓に手を当てる。手のひら越しに、鼓動がきこえる。生きてるんだ、と思う。私は私なりに頑張っていたな、と思う。

2023,7,29

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夏の思い出

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