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疼きの夏(1)

昭和十九年の夏、戦争は長引いて先の見えへん毎日やった。
おれは、おとん(父)の残した畑に甘藷(さつまいも)を植えて水やりをしていた。
芋のつるを植えて一か月は経ったか、すでにかなり葉を茂らせている。
間引いたつるを摘んで、食卓に上らせることもあった。
沢から桶に水を汲んで畑まで「ぼてふり(天秤棒)」で、「よいさ、よいさ」と運ぶんや。

おとんは兵隊にとられて、ビルマのほうに行っていた。
その戦況もどうやら危ないらしく、手紙も今年になって四月ごろに一通来たきりやった。
いっぱい墨で消されたあとのある、妙な手紙やった。
上官が「都合が悪い」ところを消しよったんや。
なんか胸糞の悪い手紙やった。

先月の末やったか、学童疎開が本格的に始まったらしい。この八鹿(ようか)にも町の子たちが押し寄せてきている。

その日も暮れがた、おれは空になったアルマイトの弁当箱の包みを下げて家路についた。
ばあちゃんが、井戸から「つるべ」で水を汲んでいる。
おかんは台所におるんやろ。
軽快な包丁の音がしていた。
なんせ男手が、十四のおれしかおらんから、力仕事はみなおれがやらんならん。

「孝(たかし)、おかえり」
ばあちゃんが声をかけてくれた。
しわの中の眼が優しく笑っている。
「水汲みけ?おれがやろか?」
「ああ、せんだく(洗濯)をしよと思てな」
「貸してみ」
おれはつるべの桶を取って、井戸に放り込んだ。
それから縄を引き下げる。
じきにからからと桶が水を滴らせて上がってくる。
「先に顔をあらわしてぇな」
「洗い」
「うはぁ、ひゃっこ」
おれは生き返ったように声を上げる。
井戸水は夏でも冷たい。
「たかし、まっか(まくわうり)が冷えてるから食べ」
「ほんまに。もうできてんの?」
「ちょっと若いかもしれん。ははは」
腰の曲がったばあちゃんは、そういうと三和土(たたき)に消えた。

この地の日が落ちるのは早い。
夏でも夜の七時になったら真っ暗や。
山が近いからである。
半日しか日が当たらないことをバカにして、昔から「半日村(はんにちむら)」なんて呼ばれていた。
土地も猫の額みたいなんが、山の斜面や、谷筋にちょこちょことあるだけで、昔から町のもんに差別されてきた歴史が悔しい。
おれは国民学校高等科二年やったが、ほとんど学校になんか行ってない。
今年の春までは、おかん(母)に「行け、行け」とやかましく言われたが、もう言われんようになった。
おとんが、おらんようになってしまい、家の仕事の方が大事やったから。
文机に品質の悪い紙の教科書が積んだままになっている。
「こんなもん…」おれは本をにらんだ。

おかんが、隅に寄せてある「ちゃぶ台」を引っ張り出して、ささやかな食卓を整える。
まくわうりが剥かれて、いい香りを立てていた。
薄い味噌汁の具は、昨日と同じ「芋のつる」やった。
まだ麦飯が食えるだけでもありがたいもんや。
電球は電気が止められてから使うてへんので、オトンが使うてた石油ランプを灯す。
その石油も一升瓶に二本だけになってしまった。

「サイパンが落ちたらしいで」
おかんが低い声で告げた。
「東條はんも、もうこれで終わりやろ」と続けた。
村に下りたときに、おかんが耳に入れてきたようだった。

「おとんは大丈夫やろか?」
「京助は、運の強い子ぉやった」
ばあちゃんが、キュウリの漬けもんを噛みながら言うた。
「京助」とはおとんの名前である。
「ほんでな、飾磨(しかま)やったか加古川やったかの疎開の子ぉらがこの村にも来るんやけど」
おかんが、おれに向かって言う。
「ああ、知ってる。飾磨やないで、加古川か西宮(にしのみや)て、渋(しぶ)やんが言うとった」
麦飯をほおばりながら、おれが言う。
渋やんとは、幼なじみの渋谷若雄(わかお)のことだ。

「この家にな、女のセンセを一人泊まらせてやってほしいて、鵜飼(うかい)はんが言うんやがな」
「村長がか?」
鵜飼さんは、この村の昔からの庄屋で、その当主も出征してしもて大陸の方に行っている。
その夫人が村長と婦人会の長を兼ねているのだ。
「センセ?おんなの?」
「はいな」
「ふぅん」
まあ、この家も三人しかおらんのに、いたずらに広いから、女先生の一人や二人を住まわせることくらいお安い御用ではあるが、なんせ戦時下である。
食うことがままならんのだった。
「どうすんね。飯は」
「女の人ひとりくらいやったら、なんとかなるやろ」
「そうかぁ」
その話は、それで終わりになった。

急なもんで、あくる日の朝に、その「センセ」とやらが、鵜飼のおばはんといっしょにうちに来た。
「すんませんな。無理言うて」
「いえいえ」
そんな声が土間の方から聞こえた。
「こちらが田村先生です。国民学校の代用教員だそうで」と村長夫人の声。
「田村律子と申します。ご迷惑をおかけいたします」
「なんの、なんの。自分のうちやと思うて遠慮のう、お過ごしくださいまし」
おかんが慇懃に応対している。
「ありがとうございます」
「ほな、わては、配給の手配があるんでこれで」
鵜飼さんが去っていったようだ。
おれは、畑に出ようと、じか足袋を履いて、かまちに立った。
女先生と目が合った。
二十代そこそこの、三つ編みを左右に垂らした、元気そうな女性だった。
手提げかばんを二つ下げている。
おれは、かえってどぎまぎしてしまった。
その黒目がちのまっすぐな視線に、当てられてしまった。
「た、孝です」
「田村律子です。お世話になります」
丁寧に頭を下げられたので、おれもぺこりと下げた。
「じゃ、おれ畑に行きますんで」
「えらいわぁ。男の人が孝さん一人なんだってね。がんばってくださいね」
「あ、はいっ」
「こんなたよんない(頼りない)もんでも、男でっさかい役に立ちますね」
と、おかんが余計なことを言う。
おれは背中でその言葉を聞きながら、表に出た。
蝉しぐれが、朝からうるさい。
「梅雨は開けたんかいな」
おれは独り言を言って、坂を下った。
木で作った手製の鍬を持って。
鉄を供出させられて、あらかた農具は持っていかれてしまったのだった。
「こんな戦争、早よ終わってほしいわ。ぜったい日本は負ける」
おれは、農道を一人であることをいいことに、はっきりと声を出して独り言ちた。

芋畑に到着して、畔にほったらかしてあるたご(桶)を担いでいつものように沢に下りた。
この沢は、音無川の源流で「前川」とおれら部落の人間は呼んでいる。
苔むした岩がところどころ、川岸を飾り、水はその間を分けられて流れてくる。
二尺ほどの滝をこさえている場所もあって、アマゴがその下にいるのが見える。
おれは釣りをしないのだが、渋やんは名人で、よくこの辺で釣り糸を垂れている。
今日は、彼はいないようだ。
渋やんは、肺に浸潤があるとかで、家で臥せっていることが多くなった。
みんな栄養失調なのだ。
おれは沢で、まず水をすくって飲むと、次いで桶を流れに倒して水を汲んだ
湿ったじか足袋は、しゃがむとただならぬ臭いをたてた。

ふと田村先生の愛らしい顔が浮かんだ。
おれもそろそろ色気づいてくる年頃だった。
高等科の連中とつるめば、女子(おなご)の話や「おめこ」の話になる。
とうぜん「せんずり」も覚えた。
一級上の鎌田信吾という体の大きな、みなから「極道」呼ばわりされているやつがおって、おれはなぜかかわいがられていた。
今年の正月明けだったか、そいつが「せんずり」をして、ちんこから白い汁を噴き上げるのを見せられたのだ。
「陸軍に入ったらな、新兵はみんな見とる前でせんずりをさせられるんや。そこで立派に飛ばせん奴は、古参兵の靴を舐めさせられるんや」
と、怖い顔で言うのやった。
おれはそんなこともあるやろうと信じている。
軍隊いうところは、なんでもえげつないいじめがあるそうやから。
逃げて、つかまって、折檻されて、ついに自殺した人の話も聞いたことがあった。

信吾の話では、ちんこから出る白い汁は「子種」やそうや。
つまり、ちんこを女のおめこに突き刺して、子種を女の腹のなかに出すと女は孕むんやそうや。
「そうやって、おれらは生まれて来たんや」と信吾が得意げに話してくれたことを、渋やんと一緒に聞いた。
自分のおとんとおかんがそういうことをして、おれが生まれたという話には、いささか衝撃を受けたが、しかしそれ以外には考えられへんという確信も湧いてきた。
「こうやってな、かっちかちに立たしてな…握りながらこするんや。好きなおなごの顔を思ってな」
信吾の実演に固唾をのみながら、おれらは見入っていた。
おれのちんこもだんだんに硬さを増して、ふんどしの脇からにょっきりと顔を出してしまう。
信吾の黒々とした毛に飾られた、おれよりもいかついちんこはさながら亀の首のように、いや、アオダイショウの鎌首のように股の間から伸びあがっている。
「どや、おまえらも出せ」
「ええっ」
「やってみ。出ぇへんでも、練習や」
おれも渋やんも、慎吾が怖いのと、恥ずかしいのとでもじもじしていたが、渋やんのほうが先に褌を解いてしまって、細いすぼけ(包茎)のちんこを出してしまった。
半分立ちかけという感じであった。
おれも思い切って、褌のひもをほどいて、すでにビンビンになっているちんこを曝した。
「へへぇ、古関(おれの苗字)は剥けとるやんけ。渋谷は、それ剥いとかんといかんぞ」
信吾がニヤニヤしながら言う。
渋やんもおれも毛は生えかけで、まばらだった。

そのときはおれらは射精することはできなかったが、春には香(かぐわ)しい己(おのれ)の子種を手に受けることができたことが誇らしかった。
渋やんも同じやったようや。
「これで一人前や。おやじになれるっちゅうわけや」
「相手がおればな」
「ごもっとも」

そんなことを思い出しながら、おれは蝉しぐれの木陰で褌を解いてちんこをしごきだしていた。
毎日ではないが、かなりの頻度でおれは一人になると「せんずり」をおこなっとった。
そして今は「田村先生」というオカズがある…
おれは、今あったばかりの、汗を浮かべた若い女を瞼の裏に描いた。
一瞬しか見ていないのに、結構細かいところまで再現できるのには驚いた。
おれはそれほど女に飢えとるのか?
分身は、さらに硬く反り返り、おれの手の中で熱くなった。
「たむら…たむら…なんて言うたかな」
名前が思い出せない…

「りつこよ」
おれは飛び上がるほどびっくりした。
尻もちをついたところがせせらぎの中だった。
目の前に、包みを抱えた田村先生が立っていた。
おれは穴があったら飛び込みたかった。
「ああ、もう終わりや…」
おれは、閻魔様の前に引き立てられた亡者の気分だった。
それよりも、この姿をなんとかせんと…
おれは川にうつぶせになって、先生の視野からのがれようとした。
「お弁当、忘れたでしょう?お母さまからことづかって。ごめんなさい。そしたら」
「あ、はあ、その、なんというたらええか、今日は暑いので、水浴びでもしようかと思てね」
「あたしの名前を呼びながら?」
そういってくすくすと笑う。
おれは言葉もなかった。
もう、いっそ殺してくれ…こんな生き恥をさらすなら、いっそのことこの胸を一突きにしてくれ…

「気にしないで。誰にも言いませんから」
「あ、ありがとうございます」
おれは、そそくさとズボンを履き、褌はちゃっかり履き忘れてそこに打ち捨てられていた。
それを慌てて拾おうとしゃがむと、先生が先に拾ってしまった。
そうして、きれいにたたんでくれたのだ。
「はい」
「ども」
「そこにお座りなさいな」
手ごろな岩があったので、先生がうながした。
「孝君だっけ」
「へぇ」
「あたしが続きをやったげる」
「ほへ?」
おれは、あほみたいな顔をしていたにちがいない。
「ごめんね。さわっていい?」
「あ、いや」
「見ちゃったお詫びよ。そうでないと私が誰にも言わないって信じてくれないでしょ?」
「しかし…」
「しかしもへちまもないの…ほらちゃんと見せて」
おれは、ふたたびズボンを下ろした。
そこには縮こまったちんこが垂れ下がっていた。
「もう、大人ね。ああやって出してたんだ」
「…」
先生は、しゃがんだまま手を伸ばし、やさしく握ってきたからたまらない。
他人(ひと)に触らせたことのない部分である。
それも、汚い恥ずかしい部分である。
裏腹に、分身は嬉々として伸びあがってきたのである。
先生は扱いなれているかのように、裏筋を指の腹でさすりつつ、川の水をすくって掛けて、滑りをよくしてからおもむろにしごきだした。
そのときには、おれは先生の顔を穴が開くほど見つめ、そしてその手元をも凝視した。
喉がカラカラに乾いて、心臓が破裂しそうに叩いている。
もう限界だった。
「せ、せんせ…あかんて、出てまうって」
「ええのよ。ええの、出してっ!」
先生の握る力が強くなり、ちんこが痛痒くなって、背筋に電気が走った。
びくん!
白い線を引いて川面に向かって精液がほとばしった。
先生の白い開襟シャツにも二打目が命中して流れを作った。
「おわぉ」
驚いた表情で、先生はゆっくりとちんこを絞ってくれる。
それがくすぐったくって、おれは身をよじった。
「せんせ、もうええです。もう離してください」
「あら、ごめんなさい」
先生は、しゃがんだまま方向を変えて川水で手を洗った。
おれも肩で息をしながら、よろよろと立ち上がり、ズボンから足を抜いて下半身をさらして川に入って洗った。
今まで感じたことのなかった快感と、そのあとの泣きたくなるような後悔…
おれは先生の前では幼児だった。
無言で、濡れたまま褌をつけ、ズボンを履いた。
先生は少し遠くで水の中を見ている。
「魚がいるんやね。ほら」
「アマゴですわ」
「戦争なんか嘘みたいね、ここは」
「まあ、山奥ですから、アメ公もここまでは来まへん」
おれは、先生のそばに歩いて近づいた。
「お水、汲んでたのね。手伝おうか?」
「あ、いや、おれの仕事ですから」

おれは桶二つに水を満たして、天秤棒を差し「よいこら」と声をだしてかついだ。
水の重さが肩に食い込む。
先生がお弁当の包みを持ってくれて後ろをついてきてくれる。
「こんな戦争、早く終わってくれたらええのに…ぜったい日本は負ける」
おれはまた、繰り言のように言った。
「私もそう思うわ」
先生が、先生までがそう言うのだった。

その日、東條内閣が総辞職した。

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