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アンコ椿は恋の花 (1)

三日おくれの便りをのせて
船が行く行く波浮港(はぶみなと)
いくら好きでもあなたは遠い
波の彼方へ去ったきり
あんこ便りは あんこ便りは
あゝ 片便り

(『アンコ椿は恋の花』歌:都はるみ、詞:星野哲郎、曲:市川昭介、1964年)

錆びだらけの連絡船のデッキで、立木祐介は開襟シャツに学帽姿で船酔いに耐えていた。
開成高校に入学して初めての夏休みを、父と母と三人で伊豆大島の別荘で過ごそうとやってきたのだが、遠い南方で台風が発生しているとかで、ひどく海がうねっていた。
船の後方から、白い航跡が伸び、その延長に霞んだ富士の高嶺が小さく見えている。よほど天城の山々のほうが祐介には立派に見えた。

「祐介、船はいやか?これを飲むといい」
父が酔い止めの「トリブラ錠」を懐から出して、水筒と一緒に渡してくれた。
祐介の父、春信は、東京の町田で内科の開業医を戦前からしており、先の大戦では陸軍の軍医として比島(フィリピン)に渡っていた。
昭和二十年の五月二十五日の深夜に来襲した敵機による焼夷弾撒布(さっぷ)の空襲に見舞われ、祐介たち一家も焼け出された。
今も目をつむると、あの紅蓮(ぐれん)の炎に包まれた母屋が崩れ落ちるのをまざまざと思い浮かべることができる祐介だった。
父が出征して不在だった分、まだ十一歳だった長男の祐介が母を助けて、命はとりとめたが、祖父の代からの医院の屋敷は洋館の診療室を残して焼け落ちてしまった。
そして終戦…さいわい、九月も終わるころ、父が無事に復員してきたのである。
父が生きているらしいことは、先に復員してこられた同じ部隊にいた戦友の方から聞いていた。
父は、軍医なので傷病兵のために米軍の基地で手当てに居残っているらしいということだった。

あれから五年、家も小さく再建され、元の場所で父が医業を再開することができた。十六になった祐介も医師を目指して、一昨年新しい学制のもとで開校した進学校の開成高校に今年入学できたのである。
この大島旅行は、両親からの祐介へのご褒美だった。

大島の波浮には、亡き祖父が建てた立木家の別荘があった。
祐介がそこに赴くのは初めてである。
祐介の家族も戦中・戦後と別荘に行くなどという余裕はなかった。
しかし、今年の春、祐介の父が、横浜で米兵相手に画商をやっている伯父とともに件(くだん)の別荘の手入れをしに行ったのがきっかけで、今日の旅行が成ったのであった。
別荘は、伯父のコレクションの置き場にもなっているそうで、それらを鑑賞できるのも祐介にとって楽しみなことだった。

薬が効いたのか、近づく大島の三原山の雄姿に心が奪われたのか、祐介の船酔いは回復してきた。
「父さん、大島が見えるよ」
「ああ、そうだ。三原山は活火山なんだよ。今日はよく見えるな」
最初、島は青く、次第に、木々の緑が鮮明になり、島の西側を船は南下していく。
海のうねりもだいぶおとなしくなってきたようだ。

ゴロンゴロンという船の発動機の音が重低音を規則正しく響かせている。
「祐介、ほら、この船は戦争で徴用されたらしいぜ」
父が指さす船の鉄骨に、風穴が二か所開いていた。どうやら銃弾の貫通した穴のようだ。
そういう目で見ると、あちこちにそういう穴が開いていて、戦争の傷跡が生々しく感ぜられた。
「こわいね」
「ああ、そういう中で、父さんは兵隊をたくさん治療してきたよ」
「みんな助かったの?」
「いいや、ほとんどは手のほどこしようのない深手でね。苦しみながら死んでいったよ」
「薬もないんだもんね」
「乏しいモルヒネで痛みをやわらげて、その場を凌ぐんだが、すぐに薬が切れる」
祐介は、医者という仕事に、大きな希望を持っていたが、父の言葉を聞くと、暗雲が垂れ込めるような気がしてきた。
「ゆうすけ」
祐介の母、民子が、船首の方から呼びかける。
祐介が振り向くと、洋装の母が笑顔で、両手にラムネの壜を持って立っていた。
「ラムネ、飲まない?」
「母さん、ありがとう。船酔いで口の中が気持ち悪くって」
祐介が手を出す。
「あなたは?」と夫に民子が壜を差し出す。
「母さんは、いらないのかい?」
「あたしは、ごめんなさい。もう飲んできちゃった」
そう言って母は、いたずらっ子のように舌をぺろっと出した。
祐介は、こんな屈託のない母の姿を見たのは初めてだった。
医院での祐介の母は厳格で、いつも楚々とした和服姿で父の仕事を支えていた。
妻の民子は、看護婦の資格を持たないので、もっぱら家事と消毒、ガーゼや病衣の洗濯を粛々とこなしていた。
そのうえで、期待を寄せる息子に勉強の環境を整えたりもしてきた。
開成高校の受験勉強は並大抵のものではなく、祐介も徹夜勉強を始めて経験したし、親しかった友人との付き合いも辞して、その上、無理がたたって体を壊しもした。
友人たちは、祐介が父の医院を継ぐことを暗に諒解しており、そんな祐介に気を使って、なるべく邪魔をしないようにしてくれたのだった。

「もう、元町の港よ」
母が祐介に言った。
大島の西岸に位置する、この島随一の港は元町港という。
連絡船は取り舵を取って、元町港の岸に平行になるように減速していく。
岸壁では数人の釣りをしている人がいて、こちらに手を振っている。
別荘のある波浮港には、連絡船が直接行くことはできず、陸路を使うか、島の漁船に頼んで海から接近するほかない。

やっと陸地に降り立った祐介は、やれやれという表情で、ほかの客と一緒にバス停の方に流れた。
「おい、祐介、母さん」と父が呼びとめた。
「なぁに?あなた」
「あそこにいるのは、唐獅子丸の船長だ」「その方がどうしたの?」
「春に兄貴とここに来たときに、漁船で波浮港に送ってもらったんだ。そのときの船長さ。今度も頼んでみよう」
そう言うと父は、さっさと漁港の方に行ってしまった。
その先に、手拭いで鉢巻をした真っ黒に日に焼けた中年男が煙草をふかしている。
「よぉ、先生」と、その男が白い歯を見せて手を上げる。
そして二人で何やら話し込んで、父が祐介たちの方を指さした。そしてその手で「おいでおいで」をする。
「民子、祐介、この船長が船で波浮港に連れて行ってくださるそうだ」
「すみません。主人がお世話になっております」
「唐獅子丸の竹本です。こちらはぼっちゃんで?」
「祐介、挨拶しろ」と父。
「こんにちは。祐介と言います。父がお世話になりました」
「うちにもこれくらいの坊主がいるんだけど、からっきし、ばはっけ(馬鹿者)だもんで」
「いやあ、うちの息子も頼りないです。少しはこの島で過ごして大人になってもらわんと」
「ま、みなさん、ちっこい船だけんど、乗ってくだっさい」
岸と船べりに渡された板を伝って、船に乗り込む。
唐獅子丸は全長十五メートル程度で、はえ縄漁船ということだが、かなり小さいものだった。
おそらくこの近辺を漁場としている船だろうと祐介には見えた。
「夜はイカもやるんだけんどネ」
そのための照明の電球が数個ぶら下がっていた。
「ちょうど、波浮に届けるものがあるんでよかったよ、先生」
「そういってもらえるとありがたいよ。船長」
一畳ほどの船室に、父と船長が入ると満員だった。祐介と母は船首の左舷に立った。
お盆程度の舵輪が大きな船長の手につかまれているので頼りなくおかしかった。
「じゃ、行ぎますど」
ドドドと、後部のエンジンがうなりだした。
海水が波立ち、船がゆっくり岸を離れる。

港を出ると、船は足を速めた。
波を切るように、快走し、祐介は連絡船とは全く違う船旅を楽しんだ。
半時間ほどで、波浮港の入り口についたが、静かな入り江の漁村という感じだった。
湾には山が迫って、港からはもう、島のどこからでも見えていた三原山は見えなくなってしまっていた。
波浮港は、かつて噴火口だったのだと父が祐介に説明した。
お椀の中を「みずすまし」が弧を描くように、唐獅子丸が入港する。
「あ、ここにも連絡船が来ているじゃないか。どうしてさっきの連絡船はここにも行ってくれないの?」波浮港に横付けされている連絡船を見て祐介が父に尋ねた。
「この連絡船は利島(としま)と大島の間を往復するだけなんだよ」「そうなのかぁ」
船長が岸壁に板を渡してくれて、祐介たちは再び上陸を果たしたのだった。
すると、港ではこれから何か始まるのか、人垣ができていた。
利島連絡船からの乗客への歓迎のための「アンコさん」の踊りが始まるのだと船長が言う。
「アンコ」とはこの土地で「姉っこ」のなまった言葉で、年上の女性に対しての人称代名詞だそうだ。
まあ「姐(ねえ)さん」程度の意味だろうと思われる。

アンコたちはみな十代から二十代のうら若い乙女であり、祐介とあまり年が違わないように見えた。
彼女はみな前垂れと絣(かすり)の着物を着ていて、頭に巨大な桶を乗せて踊っている。
説明では、この島では水が貴重で、彼女たちは水汲みの重労働に従事しているのだそうだ。
その水も、普通に掘った井戸では井水に塩分が含まれるので、清水の出る井戸の場所が限られている。
だいたい、海岸から少し内陸に入った低地に水脈があり、清水には塩分が含まれていないために、比重差で海水より上に層をなしているから、そこだけを狙って井戸が掘られているそうだ。
地図を見ると明らかだが、島には川がない。しかし地下には水脈という見えない川があり、島の人は「浜(はま)んかぁ」と、その水脈を呼ぶ。どうやら「浜の川」という意味らしい。
ここの土地はたいてい、多孔質の「スコリア」という火山性の礫(れき)が層をなしており、保水性が全くないから、雨水はみな深くしみ込んでしまう。だから井戸を深堀りすると塩分を含んだ層に達してしまうのだった。
それに海岸から登った場所だと、当然に深く井戸を掘らないと清水層に届かないので井戸は作られない。つまりは、アンコたちの人力に頼るしかないのである。
祐介の目の前のアンコたちは、島の名物「椿の花」の造花を手に、可憐な踊りを見せてくれた。
本来なら、造花ではなく、本当の椿の花を使うのだろうが、今は夏である。椿は結実の時期を迎えていた。

アンコたちの歓迎の踊りで、祐介は一人の可憐な少女にくぎ付けになっていた。
右から三番目の少し背の高いアンコだった。
踊りが終わると、ぺこりとお辞儀をし、祐介と目が合った。
祐介はどぎまぎして、ひきつった笑顔を返してしまった。
そのアンコは、おそらくまとめ役のようで、年下のアンコたちを指導しているように見えた。
「祐介、行くぞ」
父が彼の背中を押した。
祐介は、地べたに置いていた手荷物を拾い、父母の後ろに従った。
あの子は、アンコの集団とともに、港の集落の方に消えた。

祐介たちの別荘は、波浮港から歩いて五分ほどの高台にあった。
軽石の石垣がつづく、だらだら坂を登ったところにあり、振り向けば、波浮港の丸い形が見渡せる。

別荘に着くと、すでに見知らぬ小母さんが一人待ち構えていて、昼飯の準備ができているという。
父が、島の知り合いの人に頼んで、賄いをしてもらう約束を取り付けていたようだ。
これなら祐介の母も羽を伸ばせるに相違ない。祐介は内心、良かったと思った。
昼飯は、ライスカレーだった。このご時世、とても珍しい洋食だった。
「娘がね、手伝うてくれましてね。ぼっちゃんが内地からお見えになるってんで、何かハイカラなものをと。お口に合いますかどうか」
そう、揉み手しながら、小母さんがテーブルの上に配膳してくれる。
そこに、なんとさっきの少女が鍋を持って入ってきたのだった。
「あら」
そういう表情で、少女が祐介を見た。
「あ、君は」
「なんだ、祐介の知り合いかい?」と父が驚いたように言う。
「だって、さっき」
「うふふ。そう。さっきこの姿で踊っとりました」
祐介の父も、「あ、そう言えば」と言って膝を打った。
「舟屋りんと言います。こちらは母です」と、少女がカレーをお玉でご飯につぎながらさわやかな笑顔ではきはきと答えた。
「ぼ、ぼくは立木祐介です。今年、高校一年になりました」
と、祐介が立ち上がって自己紹介したものだから、皆の笑いを誘った。
「あら、高校一年生?おら、中学生かと思うてた」
祐介は、真っ赤になって、下を向いた。
「こいつ、まだまだ子供なんでね。りんさん、ひとついろいろ教えてやってください」
父が、おどけてそんなことをいう。
「祐介、もっと運動して、背を伸ばさんとな」
「…」祐介は恥ずかしくて、たまらなかった。
「ぬしは(君は)、ひとみす(人見知り)なんじゃね」
「はい?」祐介は、その意味をはかりかねて、もじもじしていた。

りんとその母の小母さんといっしょに、祐介一家もライスカレーを食べた。
「どうかね、お味の方は」と小母さんが尋ねる。
「おいしいですわ。ねえ祐介」
母がうながすので、祐介も「おいしいです」と答えた。
じっさい、うまかった。こんなにおいしいライスカレーを食べたことはなかった。
お代わりを、りんが入れてくれた。
「たんと、召し上がって、おっきくなってヨ」なんて、姉のような口を利く。
しかし、祐介は、りんにそう言われても、いやな気はしなかった。
それほど、りんが可憐で、まぶしく祐介の目には映った。
これから始まる夏休みが、とても楽しみに思える祐介だった。

(つづく)

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