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河童ものがたり(火野葦平)

この本は「珍本」もしくは「奇本」だと私は思う。亡くなった父が学生の頃に買ったのだろう、父の書棚にあったものだ。

河童ものがたり

作者は火野葦平(ひのあしへい、1907~1960)で、彼の代表作は『麦と兵隊』である。ご存知の方も多かろう。

本書の奥書は以下のようであった。

河童ものがたり奥書

定価130圓(円)で、おもしろいことに「地方賣價(売価)」が140圓となっていて、山間部や離島だと、すこしお高くなっていたようだ。

1955年(昭和30年)の出版であることもわかる。

表紙と挿絵は小川芋錢(おがわうせん、1868~1938)で、日本画家で、彼の『河童百選』から採られている。

火野は広島生まれらしいが、旧制中学(今の高校生ぐらい)の多感な頃を福岡県小倉中学(旧制)に過ごした。そのためかこの物語の舞台は、「筑紫次郎」つまり筑後川流域になっている。「坂東太郎(利根川)」の弟ということで「次郎」と呼ばれていて、西日本でもっとも大きい河川なのだと九州人は胸を張る。

河童は火野にとって、心の支えになっている竹馬の友であり、彼が河童について書いた物語や絵本などは数えきれないほどだと言われる。その一つが本書なのだった。

河童については芥川龍之介の『河童』がすでにあり、火野もそのことは知っており、ゆえに芥川を尊敬してもいた。火野の河童たちはとても妖怪のようではなく、なんとも人間臭いのである。愛すべき河童たちは、黄桜酒造のかつてのコマーシャルに使われた初代清水崑、二代目小島功の両画伯の河童たちを想起させる。もちろん芋錢の絵も「哀愁」を帯びて好もしい。

河童だって恋もすれば、いたずらもする。

また人間の醜さを河童の目を通して、垣間見ることもできる。

河童は純朴である。河童は人間とは一定の距離を置いて平和を保っているが、人間の方が河童の領域を侵す。河童がその怪力で人間を川に引きずり込むこともある。人間の「尻子玉(しりこだま)」を抜いて、腑抜けにしてしまう技も持っている。頭の皿に水があれば、馬をも引き込む怪力が発揮できるのが河童であり、人を見ると相撲を取りたがるとも言われる。

人間はそんな河童を捕まえて見世物にしようとする。かわいそうな河童は瓶詰にされて見世物にされそうになるが、実はそうならないように、河童は自らの命を絶って、悪臭を放つドロドロの緑の粘液に変化し、人間の思うようにはならないのだった。

宗八という、酒が入ると手の付けられない乱暴者で通っている猟師がいた。鉄砲の使い手である。一人娘のヤヨイと暮らしている。あまりの宗八の酒癖の悪さに愛妻のチヨノは、娘を置いて出奔してしまったのだ。

宗八は犬鳴川で女の河童を見つけた。宗八の頭の中に恐ろしい考えが浮かぶ。宗八は銃を構えた。「あいつを仕留めて、香具師に見世物として売りつけたら、べらぼうなカネになるはずや」と。腕に覚えのある宗八である、女河童は敢え無く凶弾に倒れた。

女河童はキノといい、犬鳴川で與助坊(よすけぼう)という男河童と夫婦だったが、些細なことで與助坊と喧嘩して、川の岩の上で悲しみに打ちひしがれ、宗八に狙われていることなど思いもしなかったのであった。

宗八は有頂天でキノの亡骸(なきがら)を瓶に焼酎漬けにして香具師に売り、目的の大金を得たのである。

與助坊がこのことを知らないはずがなかった。彼は妻の仇を討たんと、宗八の娘、ヤヨイに目をつける。人の姿に化けた與助坊は、何も知らないヤヨイを言葉巧みに誘い出し、ヤヨイの愛を得る…

いっぽう、見世物になったキノは、夫の與助坊の術で異臭を放つ、ドロドロの緑の粘液になってしまい、そのあまりの悪臭で馬は狂って暴れ、嗅いだ者の皮膚が、ただれる始末。周囲の村には住めないほどの被害が出てしまう。見世物どころではなく、香具師は大損をこいた。

ヤヨイと與助坊が化けた若者との逢引は村の噂になり、宗八の耳にも入る。宗八は怒り狂って、逢引の現場を抑えようとのぞき見すると、若者が河童になっていたのだった。河童の変化(へんげ)は気を許すと戻ってしまうらしい。宗八の手には銃が構えられた。

ヤヨイの目の前で與助坊は凶弾に倒れたが、瞬時に自分に溶解の術をかけて果てた。ヤヨイは発狂した。臭気だけではない、最愛の人が河童で、目の前で殺されたからであろう。そして宗八も與助坊の仲間たちによって川に引きずり込まれて殺されたのであった。

ヤヨイのお腹は、心なしか膨れて見えた。與助坊の子を宿していたようだった。

これは「復讐」のあらすじであるが、このような短編があと10編あり、とても読みごたえがある。

私は小学生のころ「河童」の存在を信じていた。交野市のため池で従弟と泳いでいたころ、立ち入り禁止の看板には必ず河童が子供を水に引き込む絵が描かれていたからだ。それに父が私たちが水浴びしているそばで釣り糸を垂れながら「ほら、あそこで河童がこっち見とる」と、まじめな顔で目を細めてため池の対岸を指さすのだった。たしかに、その先には黒い、人の頭のようなものが浮き沈みしていて、あたかもこっちをうかがっているように見えたのである。私と従弟はそっと水から上がったのは言うまでもない。

父は、たいへんなウソつきで、あの河童らしきものも、私が中学に上がった頃に「カイツブリ」という水鳥だということが判明したのであった。

『河童ものがたり』は芥川龍之介の『河童』と比べ読みしていただきたいものだが、火野葦平の本書は、とうてい入手不可能と考えられるので、あきらめてください。お勧めしたいが、できません。

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