ムルマンスク紀行~世界最北の鉄道駅がある街へ~①
ムルマンスク《Мурманск》
バレンツ海に面するコラ半島の北端にある街
ロシアの歴史上でも重要な役割を演じたこの街に現役の世界最北端の鉄道駅がある。
人間とはなぜ北というものに憧れをいだいてしまうのか?(私だけ?)
せっかくペテルブルクまで留学で来ているのだから、どうせなら世界最北の駅とやらに行きたいではないか。
更にムルマンスクは北極圏内オーロラベルトに属しているため、運が良ければオーロラも眺められるのである。
これは行くしかない!ということで今回のムルマンスク行きが決まった。
■1日目
ロシア連邦の首都であるモスクワからサンクトペテルブルク、北カレリア共和国のペトロザボーツクを経由しムルマンスクへ至る夜行列車"Арктика"《北極》号が一日一便走っており、今回はその列車にペテルブルクから乗車しムルマンスクへ向かうことにした。
貧乏なのでクラスはもちろん3等開放寝台。
料金は4,000Р(約6,200円)で約26時間の乗車となる。
出発はサンクトペテルブルクの”Ла́дожский вокза́л”ラドージュスキー駅。
サプサン特急が発着しているモスコフスキー駅やアレグロ特急が発着しているフィンランツキー駅とは別の駅で、なおかつ郊外にあるので注意が必要だ。
9:30にはモスクワからやってきたアルクティカ号が入線したのでチケットで自分の乗り込む車両と座席を確認し、車両の前に立っている車掌にパスポートを見せ乗り込む。
アルクティカ号は名がついた列車ではあるがモスクワ-ペテルブルクを結んでいる”Кра́сная стрела́”《赤い矢》号のように特別な車両を使っているわけではなく、ほかの一般的な寝台列車と同様に3等車は1ボックスには2段ベッドが線路に平行に1つ、通路を挟み線路に垂直に2つ、計6人が寝られるようになっている。
ボックスといっても通路との間に壁や扉があるわけではなく、便宜上そう呼んでいることをご容赦いただきたい。
今回は友人も同行し2人での乗車である。私の席は線路に平行に配置された2段ベッドの下段だ。この場所が私のいつもの3等車での定位置である。
この座席は普段は1名ずつ向かい合わせの座席だが、テーブルをひっくり返すとベッドが出現する構造になっている。
そのため昼は座席スタイル、夜はベッドスタイルとするのが生活リズムを守るうえでも良いポイントなのだ。(ずっとベッドにしているといつまでもゴロゴロしてしまう…)
乗車後すぐに荷物を降ろし室内着に着替え腰を落ち着けたところで、列車は定刻から20分遅れでホームを滑るように動き出しペテルブルクを後にした。
出発してしばらくすると車掌がベッド用の新しいシーツを持ってきてくれた。
話はそれるがロシアの鉄道の車掌さんは恰幅のいいおばさんばかりだと思うのは私だけだろうか。この車掌も例にもれず典型的バーブシュカ(おばちゃん)車掌だった。
シーツを受け取った後、ロシアの鉄道旅には必須のマグカップと紅茶のティーバッグをカバンから取り出し車内のサモワールと呼ばれる給湯器で紅茶を入れる。
そこにあらかじめ駅で買っておいたサブウェイのサンドイッチを組み合わせてゆっくりのんびりと朝食を摂る。どうせここから先24時間以上なにも予定は無いのである、急ぐことはない。
とはいっても30分もかければこの程度の食事も終わってしまった。
ふと周りを見渡すとまずまずの乗車率ということに気が付いた。7,8割は埋まっているといった感じだ。
車内でやることだが特に何もない。
本当に何もない。
ひたすら森の中を走るので携帯の電波も入らない。エンタメとしては車窓を眺めるか、寝るか、ほかの乗客と喋るかくらいである。
私はあまり喋るのが得意ではないので車窓を眺めながら音楽を聴いていた。
前述したがこのアルクティカ号はペテルブルクを出発した後ラドガ湖の南を通り東カレリアへ、さらにペトロザボーツクを通りコラ半島の付け根から北へと半島を横断する形でムルマンスクへ至る。
カレリア地域は森と川、湖などの自然が非常に豊かでアルクティカ号の車窓からもその美しさが楽しめる。
私はクラシック音楽を聴くのが好きなので、フィンランドの作曲家シベリウスが生前に見たであろうカレリアの自然(厳密にはおそらく西カレリアなので東カレリアとは違うと思うが)を眺めながら彼の交響曲や組曲を聴いていた。
17時にはペトロザボーツクの駅へと到着した。ここで乗客の半分ほどが下車した。この先は約1,000km先の終点、ムルマンスクまで都市はないのである。
ここでは30分ほどの停車時間があったので、ここから先へと乗車する愛煙家のロシア人は一斉に外へ出てタバコを吸い始める。
これも長距離列車ならではの旅情を誘う光景だなと思う。良くも悪くも、日本ではもう見られなくなった光景でもある。
私も運動がてらホームへと出てみる。
するとホームには飲み物やたばこ、カップ麺などを売る売り子がおり、その中には現地でとれたであろうベリー類やキノコ類、魚の干物を販売する売り子もいた。
完売している売り子もいたので地物はそこそこ人気があるのだろう。
ピロシキを売っているおばちゃんもいるのでご飯などはこういったもので調達するのも良いかもしれない。かくいう私はペテルブルクのスーパーでカップ麺を買ってきているので心配には及ばない。
けれどもせっかくなので私も運動がてら駅前まで出てみると、旧型のトロリーバスが駅前まで乗り入れていた。だいぶ年季の入った車両だ。
日本では無くなってしまったけれど、ロシアではモスクワやペテルブルクにもトロリーバスが市民の足として今でもしっかり残っている。
駅のキオスクで少しだけお菓子を買い再び列車へ乗り込む。
列車が動き出すとまたやることがなくなった。紅茶を入れては飲むの繰り返しである。
しばらくすると同じ車両に乗っていた幼稚園児ぐらいの姉弟がおもちゃを持ってこちらに近づいてきた。どうせやることもないのでその子たちとしばらく遊んでいると夕飯の頃合いまで時間をつぶすことが出来た。腹が減ってきたところでいそいそとカップラーメンを取り出しお湯を入れる。
思えばこうやって列車内でカップ麺を作るのも何度目だろうか。ロシアで一番食べたものといえばこのカップ麺(ドシラク麺)かもしれない。
このドシラク麺、チキン味やシャシリク味など一応数種類の味があってそのすべてをまんべんなく買うようにはしているのだが、正直どれも味が一緒なのである。私が味覚音痴という説もあったが、友人たちも同じ意見だったので間違いない。ロシア人はこの味たちを食べ分けているのだろうか…
ときどき思い出したように味変したくなり持参の味噌汁用の出汁入り味噌を入れたりするのだが残念ながら特に美味しくなるわけでもない。
さて夕食もあっという間に食べ終わるとそろそろ日が沈む。
紅茶タイムを挟み座席をベッドモードへ。シーツを敷き長い一日を思い出しているといつの間にか眠りに落ちていた。
列車は夜のカレリアの森の中をひたすら北へと走るのであった。
その2へと続く
※この旅行記は2018年9月のものです。
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