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青キジか、赤犬か。~正論の暴力~

『障害書用駐輪場にバイクを停めて休憩すること』に対する議論


この世には"正論"がある
しかしその正論を押し通すことは必ずしも正しいことではないとおもう。

僕は学生時代バイクに乗っていた関係で、Twitterでホワイトベースというバイク屋を経営している二宮さんという方をフォローしているのですが、二宮さんは少し前にプチ炎上のようなことがありました。

Twitter上にとあるツイートがありました。

「障害者スペースにバイクを停めてる奴らがいる!けしからん!こんなんやからバイク乗りのイメージが悪くなるんだ!」という要旨の呟きと共に添付された写真には、少し薄暗い閑散としたようなサービスエリア?の屋根つき"障害者用駐車スペース"にバイクを停めているライダーが数人うつっていた。


そのツイートがそれなりに拡散され、こりゃだめだろ、という叩き気味な雰囲気になっていたところに二宮さん

「うーん、雨も降ってきたっぽいし、カッパでも着ようと逃げ込んだのでは?そんなに悪質には見えない」


と先程のツイートを引用してツイートした。

僕は「たしかにこの写真からでは、ライダー達に悪意があったかどうかも分からないし周りに人もいなさそうやし、たいした問題ではなさそうだな」
と思ったのですが

これに対して所謂アンチコメントがちょくちょくついていました。

中には

・馬鹿だ!
・障害者の場所を勝手に使う常識のない奴!
・これを擁護するのは頭が沸いている


といった酷い表現のものもありました

このちょっとした騒動が目に入ったわけなのですが、僕はこの件をきっかけにちょっと言いたいことがあるんです。

馬鹿だとか頭沸いてるとか、人を罵倒する言葉を他人に使う人について

Twitterでわりとよくこんな言葉を目にするんですが、普段皆さんはこんな言葉をひとに言いますか?
こういう言葉を使ってる人に限って、相手に対して常識がないとか悪者だとか罵ったりしてることがよくあります。

仕事でミスした部下に一言めに""バカ野郎!""て言いますか?
それこそ世間の皆さんが忌み嫌うパワハラでは?
そういう過激な言葉や罵倒をする一部の人については、「どっちが非常識なんだか」と僕は思います。

ネットでは顔が見えない分、普段言えないことを言いやすいというのはたしかにあるでしょうが、
普通の心を持った人なら、相手の人間にいきなり非常識な言葉遣いはしないものだと思います。

まぁそういう過激派みたいな人は一定数いるのでほっとくしかないんですが、
もうちょっと平和的にならんもんかなぁと僕はつくづく思うわけです。
ネット上だろうが現実の対面だろうが、相手は生身の人間です。現実でハラスメントになるようなことはネットでも控えましょう。

そんな言葉遣い、ふつうに生活してて出るもんなのかって一度考えてほしい。

事実を見抜くリテラシーについて

ひとつ確認したいのが

障害者スペースに駐車した人及びそれを擁護したように見える二宮さんを叩く人は、その一枚の写真で状況が正確に把握できているのか?
ということ。

人がバイクを障害者スペースに停めているという状況の一部を切り抜いた写真に過ぎない。

「障害者スペースを障害者じゃない人が使用すべきではない」
そりゃいってることは正しいですよ。

でも、一部を切り取った写真をみて
障害者スペースにライダーが駐車=こいつは悪者だ!と短絡的に決めつけて正論を振りかざし皆で責めるのはどうなの。

例えばこのケースで、あたりに誰一人他人がいなかったとして、障害者スペースのみに屋根があり、どしゃ降りの雨が降ってきたという状況でしたらどうでしょう。(僕は写真を見たとき、どしゃ降りではないにせよそんな感じの状況に見えた)

健常者はいかなる場合も障害者スペースを使うべきではないのでしょうか?
健常者ならいかなる場合もだめだ!の一点張りで非難してる人は、
自分がその状況でもあえて屋根に入らず、どしゃ降りの雨に打たれるんだろうか。

誰にも迷惑をかけないのに(障害者の方の邪魔にならないのに)あえて頑なにルールを守ってずぶ濡れになるのだろうか。

それこそ不幸で不自然な考え方ではないかと思います。
(僕だったら思わず「ドMかよ!」って突っ込んじゃいそうなんですが…)

そのような状況下で"屋根" を目的に一時的に使用することが、そんなに"悪"なのでしょうか。

また、このライダー自身が障害者だった可能性もあります。

バイクに乗ることができる→健康体である
というイメージはありますが、絶対とは限りません。それは固定観念です。
もし何かしらの障害を持つ方であったのなら、この人を叩くのは理不尽な攻撃に他なりません。
可能性は低いのかもしれませんが、あの写真一枚で健常者だと断定することはできないのです。

"物事の一部を切り抜く"というのはそういうこと

悪質なマスコミなんかと一緒だと思います。

よく、政治家の発言なんかが悪質な意図をもって一部のみを切り抜かれることとかがあるけど、
いまやマスコミはマスゴミなんて揶揄されることがありますよね。
テレビや新聞しか見ておらず、それもそのまま完全に正しいものだと思い込んでしまうような一部の情報弱者を除き、マスメディアが印象操作をすることがあるのは多くの人が知ってるかと思います。(そう思いたい。笑)

ちょっと話はそれますが…😂
マスメディアの影響力は確実におちてきている。
SNSの発展によって、YouTubeや一般の人の目撃情報等の方が隠された真実を発信したり、メディアよりも早くタイムリーな状況を伝えることだって多くなってきたから。

かといってYouTubeや一般人が信用できる情報ばかりかというとそうではなく、誤りやデマも流れる。

つまり、発信してる人が人間である限り、絶対的に正解や中立的な情報発信というのはなかなかないということ。
何事も盲信するのではなく、最後に信じられるのは自分のメディアリテラシーのみ。

"マスゴミ"的手法と同じ事をしてないかい?
一部の切り抜きを事実の全てと信じこんでいないかい?というのは、まず自身できちんと確認するべき。
このネット社会において、かなり重要なことだと僕は思います。

そうすれば、安易に写真一枚で人を叩くことなんてよっぽどできないと思うんです。

ルールに縛られ思考停止している人


そして僕が一番言いたいのは
融通ってきかないわけ?
一律に白黒つけなあかんの?

ということです。

僕は理屈が好きです。基本的に筋が通った話に共感し、感情に任せたものやダブルスタンダード、自分を棚にあげた物言いとかは嫌いです。

僕自身、理屈立てて白黒はつけたがる方だとは思う。それでも、
「さすがにこのケースはこうでよくない?」みたいに柔軟に考えることはするし、何よりもそれが大事だと思う。

今回の件についてもむろん、どうみてもこれは悪質だという証拠があればまだ分かります。(それにしても僕はこういうさらしあげ風潮には反対ですが)
しかし、この写真一枚で"こいつは叩くべき悪者だ!"というのがどうやってわかるっていうのか

もちろん障害者スペースの使用を擁護する訳じゃないが、あたかも悪者みたいにして叩くのはどうなんかなあ、早計じゃないかなぁと思う。

一般社会や生活における多くの物事はケースバイケースじゃないの?
あくまでも基本の軸があり、その上で状況に応じて臨機応変な対応をするのが現実、"リアル"だと思うのです。

どしゃ降りで、あたりに障害者が誰もいない状況であったとしても、健常者ならば屋根を借りるために一時的に障害者スペースに入ることさえ許されない?
それはなんで?
そういう決まりだから
そういうのを思考停止と言うんだと思う。

なぜ障害者用スペースが用意されているのか。
それはハンデのある障害者の方が、少しでもハンデを下げて楽に駐車できるようにするためでしょう。

上記の状況で屋根付き障害者用スペースに健常者が入って誰が困るの?

それで本当に障害者の人たちが怒るんだろうか。
「かーっ!別におれはその場に居なかったからおれには関係ない話だけど、おれたちの場所を勝手に使いやがって!」って…

そりゃまぁ一部はおるんでしょうけどね…
ほとんどの人はそうではないんじゃないかな、と思う。
むしろ今回の罵倒は、障害者達はこんなに心が狭いのか、という彼らへの侮辱になるまいか。

ルールが大事だというのはもちろん分かるんですが、諸々の状況を考えた上でもう少し、優しい、柔軟な社会にならないと生きづらくないでしょうか。

二宮さんは(もちろん僕も)別に健常者が障害者スペースを使うことを推奨したり称賛したわけでは決してないです。
あたかもそのように捉えて批判攻撃をする人もいましたが、そんな人たちはそもそもの国語力の問題なのでどうしようもない。

あくまで、その時の状況や前後の事情を考慮しようという話です。世の中のすべてが0か100ではない。

ちなみに裁判所ですらこういう基準は使います。
僕が憲法や判例を勉強していたのは4年前くらいなのであくまでもニュアンス程度にですが、

判決文で"社会通念上相当とされる範囲では"、"一般常識に照らして相当といえる程度なら"みたいな文言が使われます。

ある程度の情状酌量やコンテクストからの判断というのは必要で、ルールを一度決めたら一律に
「これはよし!これはだめ!」ていうのは実生活上、不幸で生きづらくないでしようか?

今回の件のように、判断材料が少なすぎるのに決めつけて、罵倒するというのは早計で残酷なように感じます。

みんなは一度もやったことないんだろうか

たとえば小さい頃、田舎の10メートルくらいのちっちゃい横断歩道で歩行者側は赤信号のとき
『車も来ていないし、他に迷惑かかりそうな人も誰もいない。小学校に遅れそうだから一刻も早く渡りたい…!』という状況で、いけないこととは分かっていても、走って渡ってしまった…

また、電車で腹痛がしんどくなって、でも優先座席以外空いてない!回りに必要としてそうな人もいまのところいなし…
優先座席に座って休もう😖💦

こんな感じの"小さな悪事"とか、本当に許されないことでしょうか。

そんな状況の時にこっちの体調などの事情もわからない赤の他人が、その部分を写真に撮ってSNSにアップして
「若者が優先座席に居座っている!けしからん!恥知らずめ!これだからゆとりは!」
みたいに言われたら、
僕だったら悲しいですね。
それが本当に正義なのかな?と思ってしまいます。

たしかに「若者が優先座席に座るのはけしからん」というのは正論かもしれないけど、
その若者の状況もわからないのに一部だけ切り抜いて、その正論をおしつけて叩いていたら

それは幸せで思いやりのある世の中と言えますか?

青キジか、赤犬か。

『徹底した正義は時に人を狂気に変える』

僕の好きな超有名漫画ONE PIECEのキャラ、青キジの台詞なんですが、

彼は海軍という海賊(悪)を取り締まる組織(正義)の最高戦力という立場※の超強い重要キャラなんですが

彼の思想としては、一義的な正義を徹底することよりも、より広い視野をもち、感情を勘案したりして何が本当に正しいのか、について柔軟な思考を巡らせるものとなっています(少くとも僕はそう読み取っています。)

むろんきっちりと線引きして、するべき任務(対海賊戦闘や取り締まり)はしますが、海軍の最高戦力としては意外な一面の持ち主としての印象が強いです。

一方で、同じく海軍大将にこれまためちゃくちゃ強い赤犬というキャラがいる※のですが、

彼は青キジとは対照的に、"徹底した正義"を貫く頑固で融通の効かないキャラとして描かれています。

海賊=悪。たとえ無抵抗でも、どんな経緯があろうとも、悪は根絶やしにする。海賊への過剰なまでの攻撃を行い、それに疑問を持った海軍の部下ですら悪として処分(殺害)したりします。
悪が乗っている"かもしれない"からという理由で、無罪の民間人がたくさん乗っている避難船に大砲を打ち込んで民間人もろとも全滅させるというえげつない描写もあります。

その時の彼の台詞は

『やるんなら徹底的にだ!』

そんなキャラです。

僕は漫画のキャラとしてはどっちもかっこいいので好きなんですが、
その思考を現実に置き換えたら絶対に青キジ派です

赤犬のような上司だったらどうでしょう?

正義・正論はたしかに正しい
しかしそれを押しつけて暴力を振るうことは本当に正しいのとなのか
世の中は本当に正論だけで成り立っているのか
僕らの生きる世界はそんなに単純な善/悪で割りきれるものなのか

マナー違反、ルール違反、不快なこと、人に迷惑をかけること…
こういうのはダメだと思います。
あるよりはない方が絶対にいい。

でも、
この事情なら仕方ないじゃないか
この程度なら融通を効かす範囲でしょ
これくらい許してあげてもいいんじゃない?

そんな感じ軽微なものもたくさんあると思うのです。

みなさんはそういう"違反"を目にし、自分の中の正義を示さなければならなくなった時、

『徹底した正義は時に人を狂気に変える』
『やるんなら徹底的にだ!』

どっちの言葉で自分を動かしますか?

どっちが正しいということはないと思いますが、
僕は、"青キジ"として
きちんと事実確認をし、そのうえで悪質なものかそうでないのか区別をしたうえで
酷いことにはきちんと指摘する。
許してあげられるものには、まぁそんなこともあるよね と理解を示す。

そんな判断ができる大人であるように心掛けて生きていこうと思います。

少しでも
暴言が減り、情報リテラシーが向上し、柔軟で寛容な判断ができる社会になりますように。

※都合上、取り上げている設定はONE PIECE最新話のものとは違うことがあります。

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