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「ポスト資本主義? -超管理社会には賛成できないが、新たな可能性も生まれつつある中国-」“NHKクローズアップ現代(2月12日放送)で、伝えきれなかったこと”

2019年2月12日放送のクローズアップ現代「個人情報格付け社会 ~恋も金回りもスコア次第!?~」というテーマに、出演させて頂きました。ここでは放送時間の都合上、十分にお話できなかったことを補完させて頂きます。

まずはこのトピックのテーマである中国の社会信用スコアについて簡単に紹介させて頂きます。中国ではIT大手アリババグループの子会社アントファイナンシャルが始めた芝麻(ジーマ)信用が代表的な信用スコアとして用いられています。信用評価については、これまでも職業や年収、金銭の貸借実績などで金融機関が世界中で行なってきています。また自動車運転免許の評価も、交通ルール違反の減点法による信用評価であるといえます。芝麻信用はこれらの情報を多元的に、更には金融機関を横断して組み合わせることによって、銀行が単独では実現できないようなサービスを提供できるようになりました。信用スコアを用いることで単独の金融機関がこれまで知り得ない情報の活用が可能となり、これまでのユーザーである富裕層に対する運用の利益率を大幅に改善することができました。これにより銀行の立ち位置は、中国では大きく変わることになりました。またアントファイナンシャルが強調するのは、「これまでの富の8割を所有する2割の人々のみを対象にした金融サービスを、富の2割しか持たないが人口の8割を占める人たちに同じ運用利益で拡張できる」ということです。これは例えば信用スコアを用いることで、個人のこれまでの行動と実績を評価し、これまでカードが作れなかった人たちにチャンスを与えるということです。これまでは資金を持たないがチャンスをつかみたい人は、まずは数年間働いてから学校に行っていました。その間に、時間を浪費してしまいます。信用スコアを活用することで人生を担保にしてカードを作るだけでなく、成功率を高めるためのサポートをスコアアップというゲームの中で得ることができます。

ただ上記のようなアプローチのみで中国が既に広がっている大きな格差を解消できるのかはまだ評価できません。また国家と一体になってプライバシーに踏み込むアプローチや、トップダウンのみによる価値の構築は過度な監視社会向かうリスクも持っています。信用スコアの運用は、むしろ新たな格差社会を助長するという指摘もあり、社会での運用には注意が必要です。一方でデータ駆動型経済の踏み込んだ未来には、資本主義経済の次の可能性を示唆するような手がかりもあります。既存の信用評価が基本とする減点方式だけでなく、芝麻信用では様々なアプローチで加点方式による評価も組み込んでいます。例えば、低炭素行動です。ガソリン車を使わないで自転車や電気自動車で通勤したら点がプラスされる、そのポイントが一定以上に達すると植樹が行われるというものです。またゴミを適切に分別して廃棄すると重量に応じてポイントが付与される、など環境への影響をさまざまなアプローチで評価して人々の善行を引き出す、という事例があります。実際これらのアクションにより、世界の緑化に中国が貢献しているというような研究もでており、インパクトもあなどれません。このような評価で可視化される芝麻信用は、無担保で融資を受けることができる金額だけでなく、時に子どもの進学先にも影響ようにもなってきています。そうなるとお金を持っていても良い大学には必ずしも入れないけど、信用の高い人は良い大学に行けるということが起こります。信用スコアが、貨幣を超えるような価値をもたらす場面も出てくるかもしれません。アントファイナンシャルと話をする限り2019年の段階においては、彼らはこの可能性については明確に認識していません。あくまでも既存の金融サービスの補完であると彼らは考えています。

ただデータで様々な価値を可視化し、社会の中で共有するというアプローチは世界に新しい可能性をもたらすと考えられます。今まではお金より大事なものがあると言っても、客観的な形として共有することは困難でした。これが中国では国家単位で“信用”という価値に形を与えたといえます。ポスト資本主義の流れが中国から始まりつつあるかもしれません。このような文脈ではデータは単に資源としての『石油』だけではなく、貨幣を代替するようなものになる可能性があります。国家の役割などを含むと中国そのものを参考にすることは難しいですが、データを活用して新しい価値を構築するというチャレンジに見るべき点があります。ただし中国は今の体制である限り、トップダウンによる価値の統制から脱却することは難しいでしょう。

日本は価値の多様性を踏まえた上で、米国のような巨大プラットフォーマー企業によるデータ覇権でもなく、中国のような国家主導による一元的監視社会でもない、人権を中心とした多様な価値の実現を目指す第三の道を選ぶべきだと考えます。例えば価値の多様性ということであれば今後は、信用を軸だけでなく、仁(教育や人材育成への貢献)、義(社会の相互扶助や持続可能性への貢献)、礼(質の高いサービスの提供、人々へのリスペクト)、知(イノベーション創出への貢献)など多元的な価値を創出することができるでしょう。これまでの社会活動は貨幣を主軸に成り立っていました、従って貨幣として交換が困難な行動は評価がされにくいということもありました。また社会システムも経済活動を回すということが第一となり、人々の人生もその貢献の中で捧げられてきました。しかしながら今後、データにより多元的な価値を共有することができれば、生き方のデザインを変えることができるかもしれません。人々は自分の人生の中で何を大切にし、社会の中のどのような価値に貢献する生き方を選ぶのか?という人々が中心となる社会の実現に近づくことができます。

例えば医療・ヘルスケア分野は既に、人々の健康やいのちが世界中で貨幣に先行した価値として認識されている分野です。日本では企業だけでもなく、国だけでもない産官学連携の取り組みが始まっています。全国的に不足している病理医の診断の仕事には波があります。検体をクラウドに上げて、遠隔診断で誰か空いている人がみれば仕事の量は最適化されます。AIの診断支援と組み合わせれば、データはクラウドにどんどんたまるので学習も進みます。 国内だけでなく、病理医がほとんどいない途上国にも広めることで、日本を支えるようなサービスに転換できるかもしれません。データは「所有」だけでなく「共有」という側面からも捉えることが重要です。またどこかにデータを集中させずに、分散型で管理していても、適宜データをつなげることができれば、個人の許可を得て切り出すことができます。目的に応じていろいろな人が使える姿が望ましいです。今後到来するデータ駆動型社会では、貨幣の所有を競い合うよりも、データにより価値を共創することが重要になると考えています。


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