![マガジンのカバー画像](https://d2l930y2yx77uc.cloudfront.net/assets/default/default_magazine_header-fcef937b52acc29928856475838f16e16c530559fc5e72d04d56d795ceb0dc0f.png?width=800)
- 運営しているクリエイター
2024年3月の記事一覧
南樺太地名集 〈地名篇好仁村〉
好仁
こうに かうに
帝:一
現:ー
好仁村
好仁村。旧南名好村と旧宗仁村のそれぞれ一字をとって合体させ村名となしたものである。
媼古丹
おうばこたん
帝:ー
現:ー
N:45.9125 E:142.0616
アイヌ語由来。ア-4,ア-18に見える。南白主に同じか。
[類]白縫村箱田(旧名オハコタン)
|セ:Огакотанъ(オガコタン) ほ,へ,を,か:ヲハコタン
白主
白主
南樺太地名集 〈地名篇海馬村〉
本記事では以下の資料を用いる。
⑴ 樺太社『樺太』第十二巻八号(昭和15年8月号),1940 中 中居照治郞「露兵海󠄀馬島を襲擊す」
⑵ 日本弁護士協会『日本辯護士協會錄事』百六号〜百十号,1907 中 川島仟司「海󠄀馬島紀行」
古丹
こたん
帝:ー
現:ー
ー
アイヌ語由来;kotan:村。[1]北古丹と南古丹の総称。いわゆる志田組の根拠地であった。[2]海馬村の大字名(
南樺太地名集 〈地形篇水系の部 好仁村〉
本記事では以下の古地図、資料を用いる。
★ 新岡武彦編 木村信六・和田文治郎・林欽吾著『北方歴史文化叢書 千島・樺太の文化誌』,北海道出版企画センター,1984 中 木村信六「本斗郡遺跡地名表」,1934
⑴ 樺太庁「樺太油田調査報告第1号附図」1932
白主川
白主󠄁川 しらぬしがわ ーがは
帝:ー
現:р.Пекарня ピカールニャ
N:45.9123 E:142.05
南樺太地名集 〈地形篇水系の部 海馬村〉
本記事では以下の古地図・資料を用いる。
⑴ 樺太社『樺太』第十二巻八号(昭和15年8月号),1940 中 中居照治郞「露兵海󠄀馬島を襲擊す」
⑵ 日本弁護士協会『日本辯護士協會錄事』百六号〜百十号,1907 中 川島仟司「海󠄀馬島紀行」
宇須湾
宇須灣 うすわん
帝:бух.Чупрова チュプローヴァ
現:бух.Чупрова チュプローヴァ
N:46.2682 E:
南樺太地名集 〈地形篇山系の部 好仁村〉
⑦において、鴨居泊の東に存在する峠に固有の名称が付与されているが、文字が潰れていて判読出来なかったので、これについては扱わない。情報を頂けると大変ありがたい。→島見峠
白主山
白主󠄁山 しらぬしやま
帝:ー
現:г.Дальняя ダーリニヤ
N:45.9544 E:142.0651
好仁村と能登呂村に跨る。石浜の北北西2.6kmの処に位置する。標高320m。旧名シラヌシ山。
|イ,ニ:しら
南樺太地名集 〈地形篇山系の部 海馬村〉
本記事では以下の古地図・資料を用いる。
⑴ 樺太社『樺太』第十二巻八号(昭和15年8月号),1940 中 中居照治郞「露兵海󠄀馬島を襲擊す」
⑵ 日本弁護士協会『日本辯護士協會錄事』百六号〜百十号,1907 中 川島仟司「海󠄀馬島紀行」
⑶ 「花の島といわれた絶海の美しき孤島 海馬島Web」
台南岳
臺南嶽 だいなんたけ
帝:ー
現:г.Старицкого スターリツカヴァ
N
南樺太地名集 〈地形篇土系の部 好仁村〉
白主岬
白主󠄁岬 しらぬしみさき
帝:м.Сирануси シラヌシ
現:м.Майделя マイヂェーリャ
N:45.9307 E:142.0277
好仁村域内。白主の西傍に位置する。コ-p.123等に見える。アイヌ語名はクシュンエンルン(kus-un-enrum:対岸の岬)。
|イ,ハ,ネ,オ,エ',ヱ:シラヌシ岬 ロ:シラータシ岬 ホ:シラーヌシ岬/白主 は:クシユンヱンルン
南樺太地名集 〈地形篇土系の部 海馬村〉
本記事では以下の古地図・資料を用いる。
⑴ 樺太社『樺太』第十二巻八号(昭和15年8月号),1940 中 中居照治郞「露兵海󠄀馬島を襲擊す」
⑵ 日本弁護士協会『日本辯護士協會錄事』百六号〜百十号,1907 中 川島仟司「海󠄀馬島紀行」
⑶ 「花の島といわれた絶海の美しき孤島 海馬島Web」
海馬島
海󠄀馬島 かいばとう(とどしま) ーたう(ー)
帝:о.Монеронъ マニ