南樺太地名集 〈地名篇海馬村〉
本記事では以下の資料を用いる。
⑴ 樺太社『樺太』第十二巻八号(昭和15年8月号),1940 中 中居照治郞「露兵海󠄀馬島を襲擊す」
⑵ 日本弁護士協会『日本辯護士協會錄事』百六号〜百十号,1907 中 川島仟司「海󠄀馬島紀行」
古丹
こたん
帝:ー
現:ー
ー
アイヌ語由来;kotan:村。[1]北古丹と南古丹の総称。いわゆる志田組の根拠地であった。[2]海馬村の大字名(字北古丹、南古丹、宇須、南宇須を含む)。
|オ:コタン ほ:リヤコタン
北古丹
きたこたん
帝:ー
現:ー
N:46.2590 E:141.2519
沖ノ島の南西傍に位置する。海馬村役場所在地。旧名コタン第一号。
南古丹
みなみこたん
帝:ー
現:Водолний ヴァドールニー
N:46.2513 E:141.2580
日ノ出鼻の北西傍に位置する。旧名コタン第二号。
宇須
うす
帝:ー
現:Красный クラースヌィー
[1]N:46.2670 E:141.2424
アイヌ語由来;us:入江。[1]沖ノ島の西1.1kmの処に位置する。[2]宇須と南宇須の総称。旧名ウッス第一号。
|オ:ウツス ほ:ウチシユ
南宇須
みなみうす
帝:ー
現:Красный クラースヌィー
N:46.2626 E:141.2453
北古丹の北西傍に位置する。旧名ウッス第二号。
清水谷
淸水谷 しみずたに しみづたに
帝:ー
現:ー
宇須付近
⑴,⑵に見える。宇須付近に存在した。いわゆる五十嵐組の根拠地であった。
[個人的見解]⑴の記述を見るに、沖ノ島の真西で海に注ぐ無名の小沢付近を指したものだろうと思われる。
鷗沢
鷗澤 かもめさわ ーさは
帝:ー
現:Старицкий スターリツキー
N:46.2412 E:141.2532
日本語地名。長浜の南西傍に位置する。旧名カモメザワハ。
[参考]この付近はアイヌ語でチカプトマリ(cikap-tomari:鳥の泊)と呼ばれていたらしい(ほを参照)。
|:ほ:チカフトマリ
長浜
長濱 ながはま
帝:ー
現:ー
N:46.2454 E:141.2600
日本語地名。日ノ出鼻の南西傍に位置する。
磯浦
いそうら
帝:ー
現:ー
N:46.2393 E:141.2467
日本語地名。鷗沢の西傍に位置する。旧名イソウラフジミウラ。
|オ:フジミウラ
大沢
大澤 おおさわ おほさは
帝:ー
現:ー
N:46.2287 E:141.2328
日本語地名。帆立岩の北北東傍、鷗河の河口部に位置する。
|①:大沢漁舎
望楼下
望󠄂樓下 ぼうろうした ばうろうした
帝:ー
現:ー
N:46.2333 E:141.2186
日本語地名。大沢の西北西1.2kmの処に位置する。
泊皿
とまりさら
帝:ー
現:Монерон マニローン
N:46.2812 E:141.2161
アイヌ語由来。海馬島最北の集落。黒岩鼻の西南西1.5kmの処に位置する。旧名トマリザラ第一号。
|オ:トマリサラ ほ:トマリサラ
東泊皿
ひがしとまりさら
帝:ー
現:ー
N:46.2806 E:141.2238
泊皿の東傍に位置する。旧名トマリザラ第二号。
西浜
西濱 にしはま
帝:ー
現:ー
N:46.2706 E:141.2190
日本語地名。泊皿の南1.2kmの処に位置する。旧名オコイタクス。
海馬浜
海󠄀馬濱 とどはま
帝:ー
現:ー
N:46.2566 E:141.2196
日本語地名。釣鐘岩の北東傍に位置する。旧名トド濱。
[参考]海馬浜という地名は西浜南傍から望楼下北傍までの海岸一帯を指すが、海馬浜のうち釣鐘鼻以南の地域は大字鷗沢字望楼下の一部となっており(キ-p.50:(大字鷗沢字望楼下の領域について)「第十號漁場用地ヲ含ミタル望󠄂樓下海󠄀馬濱(一部)從來ノ地域一圓」)、釣鐘鼻以北の地域は大字泊皿字海馬浜となっている。
|オ:トドハマ
海馬村終り
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