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必死~シューベルト 弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」

Irisシリーズ、ラストはシューベルトの死と乙女です。


挑戦ふたたび

 死と乙女も、ウェーベルンの緩徐楽章同様、3年前の演奏会でもメインとして演奏したため、9/3の演奏会で二度目という事になります。そのため、この曲がどれだけヤバいかという事も今回の合わせをする前から身をもって感じていました。この曲のどのへんがヤバいのかはまぁ聴いてみて感じる通りです。ここまでの長時間を表現的に休む箇所無く突っ走る弦カル作品は後にも先にもこの曲だけなような気がします。個人的にはこのような作品が大好きなのですが、演奏するとなると心身はさすがに疲れますね…

 以前やった時も個人練からかなり苦労して、本番も必死状態だったのですが、そこは2回目の挑戦となって前よりも曲のことを熟知していても残念ながら変わらずでした。それどころか、自分のリズムのキレとか、この曲をぶっ通すだけのスタミナとかが以前と比べて落ちてしまったと感じる羽目になってしまいました。大学生であるうちにもう既に老いを感じる時が来てしまうとは。でもその分、以前以上の必死な演奏ができる、ということはむしろこの曲にとってはプラスなことなのかもしれません。その理由は次のブロックで書きます。それにこの曲自体はとても好きだし、この際ほんとにスタミナがなくならない今のうちにもっとたくさん演奏する機会を作った方がいいのかもしれません笑

死への恐怖からみなぎる生命力

 当時のシューベルトは既に病魔に襲われていて、自らの死に対する恐怖心からこの作品が作られたとも言われているという話は聞いたことがある方もいらっしゃるかと思われます。人間はいつかは必ず死ぬため、死をテーマにした作品を書いた作曲家はたくさんいます。ひたすら暗いモーツァルトのレクイエム、祈りの音楽のようなマーラーの交響曲第9番、聴いているこっちまで怖くなってくるショスタコーヴィチの交響曲第14番など。

ではシューベルトの死と乙女はどうでしょうか。緩徐楽章ですら、死神に追っかけられているような切迫感満載な音楽です。(実際第2楽章の元となった自作の歌曲は、死神に追っかけられている乙女という設定がされています)ここに、シューベルト自身の生命力を感じざるを得ません。まだ死にたくは無い、この世界で生き続けていたい、だからひたすら死に導く者から逃げて生の道へと走り続ける、みたいな。そう考えると、たまに「死への絶望が表れている」みたいな解説が見られる事もありますが、僕の中ではその解釈はちょっと違います。むしろ彼にとっての希望は見えていて、そこに向かって必死に走り続けている、というのが僕がこの曲を聴いたり弾いたりして感じる解釈です。これが、前述の「スタミナが落ちたけどその分この曲にとってはそれがプラスに働く」と感じた理由です。

自作の弦楽四重奏曲への影響

 ところで、ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、僕自身も弦楽四重奏曲を3年前に1つ完成させています。(後々録画してYouTubeにアップロード予定です)実はこの自作の弦カルが影響を受けている作品こそが、この死と乙女なのです。1楽章の第2主題に器楽的なパッセージを登場させた事、緩徐楽章を可能な限り(死と乙女とはタイプが違うけれど)ドラマチックなものにした事、終楽章はひたすら全員暴れさせる譜面にした事、などは全て死と乙女の要素から拾ってきたものです。当時の僕は、まだ作曲経験が浅いせいなのか、その時研究していた作品から影響を受ける事がよくあったためにこのようなことが起きたのだろうと思います。本当は自作の弦カルについては別の回でまとめて話したかったのですが、せっかく死と乙女と関連するのでちょっとだけここでも触れさせていただきました。


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