1組目『V6』〜大袈裟な言い方をすれば全てだった

曲や物を語るなら、人やグループを語ってもいいじゃない!!!
と気づいてしまった今日この頃。
というか、自分が何故その人達を好きなのか、という下地を語ってないのに個別の物を語るってどうなんだ?とも思ったので、やっぱり最初はこの人達から語ってみる。
だが先に断っておく。
このシリーズ、収拾はきっとつかない。


1.出逢い

わたしが彼らと出逢ったのは、地元にある古ぼけたCDショップだった。
その頃嵐担としてジャニーズの沼にどっぷりと浸かっていたわたしは、所属している他の先輩方のCDも聴いてみようと、他のグループのCDをよく買い漁っていた。

ちょうど推していた櫻井翔がV6の岡田准一と“木更津キャッツアイ“というドラマをやると知って、じゃあV6のCDを買ってみよう、と手に取ったのが1996年発売のアルバム『GREETING』である。

今思い返しても、なんでこれを最初に買った自分?と問い詰めたいやら感心するやら。
他にもっとアルバムもシングルも出てただろ!!と言いたいのだが、このCDがなかったら、わたしは間違いなくV6担として存在していなかったと思うので、わたしは当時の自分を心から褒めたいと思う。
よくやった。

2.コバルトブルー


いそいそとCDを購入し、家のコンポにCDを挿し入れたわたしは、ふんふん、と曲を聴いていく。
2、3曲を聴いて、こんな感じかア、としたり顔で頷き「やっぱり嵐最高やん」とクソほど失礼なことを思いながら、たかが数曲でV6を知った気になっていたガキンチョが、全力でぶっ飛ばされるまであと少し。

それは4曲目。
EPの繊細な旋律が流れ、男の色香溢れる低音ボイスがわたしの鼓膜を震わせる。

ずきゅーーーん!と、今思い返しても面白いくらい速攻で悩殺されたのは言うまでもない。

ハアハアと自然と息が荒くなった。
胸の鼓動は早鐘を打ち、キュンキュンと腹の中心からときめいていた。
この人は……このソロ曲を歌っている人は一体誰なんだ……と、歌詞カードを開いて驚愕する。
この胸のときめきを投球してきたのが、よりによって、自分と15も年が離れた最年長のリーダーだとは思わなかったのである。

しかしたった1曲で彼にがっしりと心を掴まれてしまったわたしは悩んだ。
これはもう、嵐を推している場合ではない。
わたしの運命の人はこの人だったのだ!!と思考が飛躍に飛躍を重ね、その日のうちにわたしは嵐担の友人達にメールを送っていた。

「わたし!担当上がるわ!!」と。

3.坂本昌行という運命


時代が変わった今、この言葉というか慣例が残っているかはわからないが、当時、自分の担当グループよりも後輩グループに鞍替えすることを“担降り“と言った。(余談だが“担当“とは、今で言う“推し“だと思っていただいてよい)
基本的に鞍替えする時は後輩に降りるのが基本で、先輩グループに担当を変えることはあまりない。
だがわたしは違う。その基本をまるっと無視してしまったのだ。
わたしの発言を聞いた友人達は慌てて返信を寄越してきた。

「何があった、ついにファンを辞めるのか」と。

実を言うと当時、わたしは櫻井翔の担当を辞めるかどうかで悩んでいた時でもあった。
見た目から入ったので当たり前なのだが、如何にもこうにも、当時櫻井さんがされていた髪型が自分の好みとかけ離れてしまったのである。

強火の嵐担の皆さんに聞かれたらぶん殴られそうではあるが、わたしはそんな些細な理由で櫻井担当という肩書きを捨てようとしていた。
そしてそれを知っていた友人達は、ついにわたしが決断したのだと驚いたらしい。

わたしは慌てて、“降りる“のではなく“上がる“のだということを丁寧に説明した。
担当グループが変わると、縁もそれまでになってしまい、友人と離れてしまう事が多いこの界隈で、ありがたいことにわたしの友人達は皆わたしの決断を受け入れてくれた。
結局嵐からも離れられなかったので、毎回コンサートに参加していたこともよかったのだと思うが。

そしてわたしは坂本昌行を勝手に“運命の人“だと位置づけ、それこそ今までにない行動力を発揮して文字通り全力で推し始めるのである。

4.わたしにとってのV6

入りは坂本さんであったが、知れば知るほど、わたしは彼ら6人がどんどん好きになっていった。

井ノ原さんは坂本さんに負けず劣らず歌が上手かったし、長野さんは可愛らしい顔をして全開で毒を吐く面白い人だと知った。
岡田さんは年々成長して色気を増していくし、森田さんはいつだってクールなのに、バラエティ番組ではどんな時も楽しそうに笑っていた。
三宅さんは本当に可愛くて、でも可愛いだけじゃない。実直で誠実なスーパーアイドルだということを知った。

いつのまにか坂本さんだけじゃなく、6人それぞれが、みんなわたしにとって“運命の6人“になっていた。

大袈裟な言い方をすれば支えだった。
生き甲斐だった、拠り所だった。
わたしの原動力はV6で、辛い事があった時、挫けそうな時、泣きたいのに泣けない時。
わたしのそばに寄り添っていてくれたのが家族や友人なら、V6は下を向きそうなわたしの心を掬いあげて、いつも前で笑って手を引いてくれていたのである。

ふ、と顔を上げれば、数歩先には6人がいて。
決して追いつけないし縮まらない距離でも、いつもそこで笑っていてくれた。

それにどれほど救われたかわからない。

だからfull circleの項で述べたように、わたしが彼らの解散を現実のものとして認識出来なかったのは、きっと“救いがなくなる“ことからの現実逃避だった。
顔を上げた数歩先に、もう笑顔の彼らが待っていてくれないことを認めたくなかったのだ。

だが彼らが解散した今も、彼らが解散することを現実として認めた今も、わたしはこうして生きている。
それは新しい支えが出来たからでもあるし、彼らがもういない事を諦めにも似た気持ちで受け入れたからでもある。

そして受け入れて、咀嚼して。
何気なく前を向いたわたしは、ふと気づいた。

彼らはわたしの前からいなくなったのではない。
立ち位置が変わっただけなのだと。

5.振り返ればきみがいる


今まで彼ら6人は、いつだってわたしの前にいて、まるで道標のように、往く先を暖かく照らしてくれていた。
わたしと彼らの交わった道は、そうして続いていくものだと信じてた。

だけど彼らの道が閉ざされた今、わたしはこれからひとりで歩いていくのだと思っていた。
けれど違うのだ。

辛い時、苦しい時、ふと彼らの事を思い出した時。
これからは後ろを振り返れば彼らがいる。

立ち位置が変わっただけだ。
振り返ればいつだって、あの頃の6人が優しい笑顔でわたしを見ている。
大丈夫だよ、と背中を押してくれる。

前にはいない。もう何をどうあがいても、6人での道は造られていかないから。
でも、色褪せず、あの頃の6人がずっとわたしの後ろで見守ってくれているなら。
きっとこれからも大丈夫だという確信がある。

誰1人欠けることなく、最後の瞬間まで。
6人でいてくれてありがとう。
わたしたちの思い出に遺る姿が
6人揃っていて本当に良かった。

もしもサポートをいただけたら。 旦那(´・ω・`)のおかず🍖が1品増えるか、母(。・ω・。)のおやつ🍫がひとつ増えるか、嫁( ゚д゚)のプリン🍮が冷蔵庫に1個増えます。たぶん。