『私が無職の旦那にプロポーズした理由』
高収入、高学歴、そして安定した企業に在職中。
昨今の婚活サイトを見てみると、そんな言葉がトップに踊っている。
生活の安定という面で見れば、確かにその三拍子が揃った男性は間違いなく安定しているんだろうし、性格や内面のなんやかんやは置いておいて、少なくとも金銭的な面で安心したいという女性の気持ちもわかる。
だが残念なことに我が旦那には何もない。
高収入でもなければ高学歴でもない。
大手企業には勤めているけど、それだって正社員で雇われたわけじゃないから、期間がくれば契約満了になってしまう。
そもそも私が旦那と出会った時、
旦那はなにを隠そう無職だった。
この話を他人にすると「なんでそんな不良物件と結婚したの?」とあけすけに訊いてくる人もいる。
そう言われるのもわかる。
まあ、確かに無職だったけど。
それでもいいと思ったし、私にそう思わせるだけの魅力があったから、私は旦那を「不良物件」だと思わなかっただけだ。
そりゃ私だって、本音を言えば安定した生活が欲しいし、お金になんの不安もなく暮らせたらいいなと思ってるよ。
でも、そんなものより大切なものがあるんだ。
5年間の約束
旦那は1型糖尿病を患っている。
何度かnoteでお話ししたことがあるが、世間は未だ病気持ちの人間に対する風当たりが強い。
数多の企業に就活しても、病気を明かした瞬間に落とされるのである。
でも、企業側の気持ちとしては理解できる。
無理させればすぐに壊れる病気持ちより、酷使しても壊れない健常者の方がいいのだろう。
正社員として就職できないのは、病気以外に髪が長いせいも大いにあると思うが、
私は旦那と出会ってから今まで、どれだけ面接で落とされても、旦那に髪を切らせるつもりはなかった。
だって私は、髪の長いこの人に惚れたのだから。
髪を切っても旦那なのは変わらないけど、嫌いになるわけでは決してないけど、でも、私が惚れた旦那ではなくなるのだ。
この感覚、わかる人いるかな。
今までそこにあったものがなくなってしまったというか。
お気に入りのお皿のフチが欠けてしまったような感覚というか。
それに髪を切ったところで、旦那には病気というウィークポイントがある。
どちらにせよ就職自体が難しいのなら、私の好きなままの旦那でいてほしかった。
“今日も旦那が旦那であること“に、私は価値を感じているのだ。
そして何より、私がプロポーズをした時、旦那と約束したことがある。
「5年待ってほしい。今から5年の間に正社員になってみせるから、あなたは何も変わらないままでいて欲しい」
例え病気が悪化して働けなくなっても、髪が長いせいで就職先から切られてしまっても。
何も心配なく暮らせるようにしてみせるから、5年間は大変だと思うけど、髪を切らずに仕事をしてほしい。
幸い、私は大手企業勤めである。
子供は望めないかもしれないが、正社員になれば一家3人、難なく暮らしていけるだけの給料は手にすることが出来る。
女の身ではあるが、私が頑張れば頑張っただけ、それなりの安定を掴めるのだ。
躊躇はなかった。専業主婦になるつもりは最初からなかった。
私は、私が愛した旦那を維持するために、働かなくてはならない。
私のわがままを叶えるために、「私がこの人の分まで働くんだ」と心に決めたのだ。
結婚を決めた理由
じゃあ、どうして私がそう思ったか、って。
どうしてそこまで旦那に惚れたかって。
流石に髪が長いだけじゃないよ。
でもここまで引っ張っておいてなんだけど、実をいうと別に明確な理由があったわけじゃない。
ただ、相性?そう、相性かもしれない。
なんとなく波長が合うのだ、この人とは。
いつも言うように私は傍若無人な人間である。
たぶんみなさんが思う何十倍も。
機嫌が悪ければ当たり散らすし、気分の波が激しくて、低調な時は何もしない。
およそ世間の主婦がやっているような家事も毎日は無理だし、そもそもわがままだから我慢も出来ない。
家庭環境は複雑で、結婚するにしても嫁には行けなかったから、婿養子を取るしかなかった。
そして母との同居、それを認めてくれる人じゃないと結婚出来なかった。
それらを全部ひっくるめて、受け入れてくれたのが旦那である。
大抵のことをひとりでこなす旦那は、私が何もしなくても怒らない。
帰ってきてご飯がなくても、掃除をしてなくて部屋が散らかっていても、洗濯物が籠の中に山になっていても、絶対に怒らないし嫌味も言わない。
突発的に大金が必要になればバイトをしてでも稼いでくるし、やりくりが下手だと文句を言うこともなく、血の繋がりのない母を慕ってあれこれと世話を焼いてくれる。
困った顔をすることはあっても「大丈夫大丈夫、なんとかなるから」と、実際になんとかしてしまうのが旦那だ。
なにか起こるたびにグダグダ悩んで、身動きが取れなくなる私とは全く違う。
1型糖尿病発症時に、1度三途の川から帰宅したことのある旦那は「死ぬわけじゃないんだから大丈夫」だといつも私に言う。
例えお金がなくても、欲しいものが買えなくても、ちょっと心が苦しい日が続いても。
みんなが健康で元気なら、いつかなんとかなる日が来る。
私は旦那のそんな考え方が大好きだ。
旦那と結婚を決めた理由は、こんな風に何事も笑い飛ばしてくれる人だから。
傍若無人な私のやることも、私の弱いところも、全部まとめて笑い飛ばして、いつだって“私の心を安心させて、なんとかしてくれる“人だから。
だから、旦那がなんとかならない部分は私が全力で働いて、頑張って。
どうにでもしてみせる、という気にさせてくれるくらいには、私にとってこの人はキラキラして輝いていて、とても素敵な人だった。
無職であることは、その人を嫌いになる理由にはならない
金を稼がない、稼げない、ということは、世間では叩かれる理由になる。
いい年の男性が無職になったというだけで、長年付き合った彼女から振られる理由になる。
私にはその気持ちが上手く理解出来ない。
それは本当に、相手のことが好きだったのだろうか。
無職であることは結婚相手として不適格であると、付き合う前に判断するのはわかる。
私だって、その人の人となりを何も知らない状態で、「実は俺無職でさ〜」とヘラヘラされたら、「コイツふざけてんのか?」となるだろう。
けれど、相手がどんな人であるかを知り、少なくとも人間として尊敬出来る部分があって、そして相手のことが心の底から好きならば。
働けない、という些細なことで、相手の全てを否定してしまうのは、どうなんだろう、と思う。
その人のことが好きで、どうしても一緒にいたいと願うのなら、自分が働いて、稼いでくればいいだけの話じゃないのか、と。
もちろん、それが難しいこともわかってる、わかってるのだけど。
理屈で考えたら、結局なんのスキルもない、普通の会社勤めの女性が稼ぐ金額なんて、大多数の男性からしたら所詮、微々たるものなのだから。
でも、だからといって「稼いでこない人に用はないわ」と切り捨てることは出来なかった。
苦労をするとわかっていても、茨の道だと予測出来ても、何かを諦めることになったとしても。
たったひとつ出来ないことがあるくらいで、この人を嫌いにはなれなかった。
暴力をふるうとか、尊厳を傷つけるような言動をするとか、人として幻滅するような出来事があれば別だけど、そうじゃない。
私には曲が作れないのと同じ。
旦那には出来ないことがあっただけだ。
思い描く生活水準が同じなら一緒にいられる
上記にあるように、所詮、私のような人間が稼いで来られる金額なんてたかが知れている。
最新の生活家電とかはとても揃えられないだろうし、旅行は毎年行けないだろうし、外車の新車を乗り回すとかは考えずとも無理だろう。
だけど身の丈に合った生活で、たまに美味しいものを食べたり、趣味のものをお互いに贈りあったり、たまには節約生活しながら、お金を貯めて時々遠くに旅行して。
全員の姿が見える家で、慎ましく暮らすくらいは出来るはずだ。
私も旦那も、そんな生活が自分に合っていると知っている。
上を見たらキリがないけど、そんな生活でもいいと言ってくれる人がたまたますぐそばにいた。
そんな私はきっと幸せだったんだと思う。
ごちゃごちゃと語ってきたけど、要約すれば結局、私は運がよかっただけだ。
最後に、私があの日、旦那へなんと言ってプロポーズをしたか。
その言葉で今日は締めたいと思う。
「一生一緒にいてほしい。どんな悪意からも、私が一生守っていくから」
結局、私がこの人の盾になるのは最初から決まっていたのである。
もしもサポートをいただけたら。 旦那(´・ω・`)のおかず🍖が1品増えるか、母(。・ω・。)のおやつ🍫がひとつ増えるか、嫁( ゚д゚)のプリン🍮が冷蔵庫に1個増えます。たぶん。